Number という雑誌で答えているインタビューでの、現時点での羽生選手のシーズンを通した詳細な自己分析に、注目してみました。
http://number.bunshun.jp/articles/-/816469 ← こちらから引用させてもらっています。
以下、羽生選手の言葉の部分だけを抜粋しました。(下線は私が勝手に引きました。)
「 先に言っておきますが、五輪で金を獲ったからといって、僕の気持ちが変わる事はありません。五輪は、今の僕にとって単に2つ前の試合で優勝したなあというだけです。今年は今年。来年になれば、違う場所で、違う演技を、違うお客さんの前でするだけです。
3冠についても同じです。達成したから次に目指すものが無くなる訳ではありません。記録はあくまでも記録。僕は記録を残すより、自分自身が成長したいんです。現役を続けるということは、僕が競技者であり続けたいと思っているということ。そして競技者であるからには、もっと強くなって試合で戦いたいということです。
パトリックとの3戦は、僕のスケート人生において濃縮された時間でした。もっと精神面で強くなろうと考え抜いて、色々なメンタルの本を読み、理論を学びました。それを自分の心に当てはめて、自分なりの気持ちの持って行き方を探し、試合をやり、また探す、というのを繰り返しました。自分の心を脳で理解することで、心を理論でコントロール出来るようにしたんです。
'13年10月のスケートカナダではパトリックに勝ちたいと思いすぎて、かえってミスをしました。そこから「自分に集中する」という理論を取り入れ、11月のフランス杯のショートでは、自分の演技ができた。でもフリーはまたパトリックが気になってダメ。さらに自分の心の奥、脳の奥まで落ち着かせてみたのがグランプリファイナルでした。結果、この試合は自分のベストに近い綺麗な動きができたと思います。
パトリックから何かを学ぶのではなく、パトリックを前に自分がどうなるか、ということを追求した期間でした。
ソチ五輪のあと、3月の世界選手権が終わってから気づいたのは、理論だけじゃダメだったということ。
五輪のとき、理論と自分の気持ちの間には、誤差があった。自分としては、「そもそも理論に則らなきゃいけないのか」というストレスがあり、その誤差のために五輪では自分に負けました。五輪という大舞台に行った時に、理論で押さえ込んでいたけれど自分の心の奥底には弱い所があって、その自分に負けたんです。理論だけに頼ったがために、“ライバルへの感情を抑える”という本心とは違う気持ちを作っていたんです。
五輪のあと、自分の戦い方はこんなんじゃない、って悩みました。そして、“ライバルへの気持ちを抑える平常心”と“勝ちたい気持ち”の誤差。それが五輪のフリーでミスをした理由だったのだろうなと、今のところ分析しています。グランプリファイナルまでは理論だけで通用したけど、本を読んで自分にあてはめて試合に臨んだのは、付け焼き刃だった。やはり理論って統計ですから、多くの場合あてはまっても、偏りがあるんですね。
(世界選手権の)ショートのミスについては、ちょっとした過信とか気の緩みがあったと思います。今季、練習でもショートはミスなく来ていたので。五輪王者だからといって過信しないと頭では考えてましたが、心とほんのちょっと誤差があったのだろうと。
フリーは、とにかく「勝ちたい」しか頭にありませんでした。そして自分に対する怒り。追いかける立場になって、久しぶりにアドレナリンを出し切れたと思います。あれくらい自分の中でフツフツと燃え上がる感じは楽しいですね。」
まだ続きがあるようですが、続きは、雑誌「Number」852号、もしくはNumberモバイルでお読みください。 だそうです。(笑)↓
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 5/15号 [雑誌] | |
文藝春秋 |
・・・で、私、続きも読みました。
最後まで読むと、上の文章の終わり方で受ける印象とは、少し印象が変わります。
上の部分は、なんか攻撃的なイメージの終わり方で切れていますけど、最後まで読むとやはり羽生選手は終始冷静で、面白かったです。
細かく語ってくれるのが、本当に羽生選手らしい。(笑)ありがとうございます。
下線を引いた、グランプリファイナルは、私にも一番強く印象に残っている試合で、「これぞ羽生結弦!これが羽生結弦!」と呼べるほどの会心の演技でした。「脳の奥まで落ち着かせてみた」結果だったとは…それは凄い。(笑)
いい意味でリラックス出来ているのか、柔軟度抜群で、これと比べたら全日本選手権やソチ五輪の羽生選手は、ノーミスで本当に凄かったけど、緊張して少し硬くなっているのが、見ていてよくわかりました。
ソチ五輪では、驚異のスコアを出したにも関わらず、「自分のベストにはまだ程遠い」発言をしたせいで、マスコミの方々が猛烈に驚いていましたけど、グランプリファイナルを見ていた羽生ファンの方々にはすぐに羽生選手の言う「ベスト」がどんなのを指しているのか、わかったのではないかと思います。
あの羽生選手は完全に、「無欲無心」になれている印象で、いい意味で「他選手たちなんか目じゃない」状態でしたから、本当の意味での「無敵」だったんだと思います。
(↓ この羽生選手ですね。 非常にいい表情!この表紙、素晴らしいです。)
ワールド・フィギュアスケート 62 | |
2013グランプリファイナル号 | |
新書館 |
だから、私がソチ五輪で羽生選手に期待していたのは、(4回転サルコー成功ももちろんですが)、この上で、さらに「ロミオっぽい表現力」を見せてくれること!でした。
羽生選手は、ソチ五輪のフリー演技は、「自分に負けた」と言っているんですけれども、(ご本人的にはそうなんでしょうけれども、)
私は、今ではちょっと違った見方をしています。
確かにジャンプは失敗したし、技術面では羽生選手のベストには程遠かったのかもしれないのですが、表現面の、ロミオらしさという点においては、「シーズン中でベストだった」と思っています。
世界選手権後のインタビューで、羽生選手がウィルソンさんのこのプログラムの振り付けが難しかったと言っていました。私が思ったのは、それは多分、羽生選手の本当の姿が、激情に溺れていくタイプのロミオとは、遠いタイプだからじゃないのかなと。
(そもそも、日本人の10代男性で、原作ロミオに心底共感できるような人は、かなり「稀」かと思います ・・・イタリア人ならともかく。(笑) )
本当のロミオって、「心を理論でなんかコントロールできなかったからこそ」、ああいう展開になっていくので・・・。
羽生選手は、最初のジャンプ群で2度の失敗が出たからこそ、動揺して頭真っ白になって、「完全に途中から記憶がない」状態(羽生選手談)になったんだろうと思うんですが・・・
そのおかげか、見ている側からすると、羽生選手が、本当にロミオになっちゃった!のが、あの演技だったかと。
ロミオの「切なさ」は、シーズン中の全演技の中では、ピカイチに出ています。「自分に負けて」、ロミオになって、試合で勝った、印象。
ロミオは、劇的な恋に落ちて結婚直後に、いきなりその死に直面させられるわけですから、人間として体験し得る動揺の中でも、究極の動揺です。 最高の期待を目の前にして、突然、奈落の底に落とされる・・・・そういうロミオの心境は、あの時の羽生選手が、「不覚にも」(笑)一番近づけたのかな、と。
もちろん、感情的な動揺からくる弱弱しさというのは、スケーティング技術では、ひたすらマイナス要素になると思いますが、そういう状況がオリンピックで起こりうることも見越して、それを表現面でプラスに転じさせる可能性をも考慮したうえでの、コーチ陣のあのプログラム戦略だったのではないかと最初から思っていたんですけど・・・ 違うのでしょうか?(笑)
もう、ハッとするほど美しい、苦しそうで本当に切ない、素晴らしい”ロミオな表情”や”ロミオな瞬間”が、あの演技にはいくつもありました。音楽が変わる中盤と、特にラストのほう、イナバウアー後が素晴らしい!!
羽生選手の記憶がなかったとしても、見ている側の記憶にはきちんと残っています。
「ロミオが(墓で横たわる)ジュリエットに頬ずりした」ように見える瞬間、「ロミオが泣いている」ように見える瞬間、「ナイフで自分を刺そうとしたか」のように見える瞬間、「絶望的に頭を抱えて悲嘆している」ように見える瞬間、「ロミオが、天を仰いで叫んだ」ように見える瞬間・・・
それまでは、ジュリエットを切なく追い求め、嘆き悲しんでいるという”イメージ”以外には、具体的に何の場面かまではあまりわからなかったのですが、あの「ソチ五輪」の時だけは、それが何の場面か、見ているだけで次々にひらめくように、イメージできていったんです!
つまり、そういう演技になっていたということです。
(もちろん、それが振付師ウィルソンさんの本来の意図と合っていたのかどうかは、私は知りませんけど。)
一番最後のスピン、私はなぜか、当初からずっとあれだけが気に入りませんでした。理由は解らなかったけど、嫌だった。羽生選手のスピン、すごく好きなはずなのに。
でもあの日、あれが「ロミオが、ジュリエットを強く追い求めて毒を一気に飲み干し、息が止まって倒れこんだ瞬間を表したもの」だったのかと・・・ ソチのあの日に、初めて明確にそうイメージできて、思わず涙が出そうになりました。
ソチ五輪の時には、羽生選手がそれまでと違って、「本当に苦しそうな表情で」、片手を喉下に、もう片手を天に差し出しながらもがき苦しむかのように回転して見えました。(それは羽生選手の言葉から、実際に苦しかったのだと判明したので、間違いなかったわけですが。)
その姿が、ジュリエットを思いながら、毒を飲み干して息を引き取るロミオの姿と初めて重なって見えたし、あの、一気に「がくんと」倒れ込んで決めたフィニッシュポーズこそが、ロミオの呼吸が永遠に止まった象徴だったのだと思ったら・・・
まさに息を呑む、息が詰まるようなラスト! ロミオとジュリエットのシーンそのもの!
私は、前半はともかく、中盤から後半は追い詰められた羽生選手が、五輪の場で死力を尽くした迫真の演技だったんだと思っていました。
ところが、後の番組やインタビュー記事で、羽生選手が、「ソチ五輪では、途中から意識が完全になくなっていて、記憶がない。最後、あのスピンの場面で呼吸が苦しくなって、そこでやっと、意識が戻った(我に帰った、だったかな?)」という内容の発言をされていたのを見て、本当に驚きました。
あの苦しむポーズが、演技じゃなくて、羽生選手が”本当に息ができずに”苦しんでいた瞬間だったとは!
しかも、羽生選手が「意識がない」と証言した間がまさに、私には「本当のロミオになったかのよう」に見えていたわけですから。
つまり、羽生選手はあの間、自分の意識によらずに、「ロミオにさせられていた」、と。 それもオリンピックという大舞台で。
前半で2度のジャンプの失敗がなかったら、決してああはならなかったのだろうから、あのロミオは見られなかったことになります。
あの時、多分、世界中で見ていた羽生ファンの大半は、一斉に必死に祈っただろうと思うんです。
もしかしたら、金メダルがかかっていたから、普段は羽生ファンじゃない日本人でも、思わず祈った人たちは多かったかも。
特に、東北地方で、羽生選手に希望と期待をかけていた人は格別に多かっただろうから、羽生選手はあの時、東北からも相当大勢に祈られたのではないでしょうか。
その瞬間から、羽生選手の意識がなくなって、結果、一番ロミオらしくなったのなら・・・ これって、一種の奇跡の演技ですよね?
あの時しかできなかった、唯一のロミオ。
金メダルの行方についても、あの時の「ジュリエット=金メダル」は、羽生ロミオの目の前で、悲しくもその手からすり抜けていってしまったかに見えて、実は原作と同じく、やはり一時的な「仮死状態」だっただけで、なんとあのあと、チャン選手の演技が終わったところで、突然、信じられない形で息を吹き返してきました。
この展開も、「ロミオとジュリエット」の話と同様に、誰もが驚く予測不能な展開だったので、見ていて、なんか怖いくらいでした。
「実は意識がなかった」というインタビューを読んだ後に、唸りながら改めて感じました。 羽生選手は、やっぱり金メダリストになるべくして生まれてきたのかもしれない・・・って。
あの時は本当にロミオになるような「見えない力」が働いたのではないかと・・・。神様に、ロミオにさせられた、とでも言うべきか。
もちろん、稀有な才能があり、その上に不断の努力が積み重ねられていたことが、大前提です。その上でさらにそういうことが起こり、だからこそ出来た演技だったのではないかと・・・。
あの男子シングルフリーの試合は、羽生選手以外も、ほぼ全員が失敗続きになってしまった試合でしたから、明らかに選手達のメンタル以外の要因があったんじゃないかな、と私は思っていますし、多くの人が思っているでしょう。
前日からのスケジュールの強行さによる睡眠不足とか、氷の状況とか、色々言われていますが、団体戦の影響も絶対にあっただろうし、他にも色々。 男子シングルの選手たち、よく頑張ったと思います。
何が言いたいのかと言うと・・・ ソチ五輪の演技も、表現面やドラマティックさでは、凄かったよ、ということです。(笑)
だからこそ、あの切ないロミオ演技を見て、世界中に突如、ファンが急増したんじゃないでしょうか。ショートの影響だけじゃないと思います。あの後半の切ないロミオは非常に貴重です。
私のこの意見に同意してくれそうなのが、ソチ五輪の「広東語の解説者たち」です。↓ (広東語は 香港・マカオ・中国広東省 等が主)
ソチ五輪後、中国を始めアジア各地で羽生人気が爆発しているとの報道がありましたが、これを見ると、その理由も納得です。
震災を含めたこれまでの困難な道のりをきちんと説明し、演技中は冷静かつ丁寧に解説してくれているのに、終わった途端に皆でため息をつき、「うわ~、うっとりしました!」 、 その後、(動画主様の翻訳によれば、) 男性解説者が、
「表現者として、舞者として、アスリートとして氷上で演技していて、見る者を息詰まらせ、心拍数も上がり、息を呑み、目頭を熱くさせる何かがあります。」
とまで言っています。(その後も興奮した解説が続きます。)
なんと的を射た言葉! もし横にいたら、この解説者たちと握手したいくらいです。(笑) 興味のある方は、ご確認下さい。↓
ニコニコ動画・ ソチ五輪「ロミオとジュリエット」 (広東語解説 翻訳つき) (動画主様、拝借します。翻訳どうもありがとうございます。)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22967700
ついでに言うと、ソチ五輪における、私から見た羽生選手の「ベストな瞬間」は、実は、フリーの演技を終えた直後の羽生選手でした。
下を向いたまま羽生選手がしばらく動かなくって、それを世界中の人が多分”息を呑んで”見守っていたあの直後、きっぱりと覚悟を決めたかのように・・・あるいは、ある種の無念を抱えつつも、「それでも自分は全てをやりきった」というように顔を上げた瞬間の、あの羽生選手の、潔く(いさぎよく)て清清しい(すがすがしい)までの顔を見たときです!!
あれに、私は一番感動しました・・・
本当に全力を尽くしてきた人にしか出来ない顔。 ファンとしては、あの表情を見て、ものすごく救われました。
アスリートとしての羽生選手の真の強さを見せられた気がしたし、たとえ結果がどうであろうと、「この選手を応援してきて本当に良かった」と、心からそう思えた瞬間でした。
それに、あー、羽生選手が生きてて良かった~って。(笑) そこだけは、ロミオと一緒では困りますから。(笑)
自分の意思とは違った形であっても、羽生選手は「人間らしさ」をも見せつつ(笑)、「さすがオリンピック」な、大ドラマを見せてくれました。
オリンピックの試合の醍醐味は、結果だけじゃなくて、そこで見られる「選手の態度」や、闘い方、繰り広げられる予測不能なドラマにもあるのですから。
解説者たちは技術的な詳細を語らなければならないので、否定的な言葉が出ますけど、プログラムを作品として見るなら、私にはやっと「ロミオ」を見られたという満足感がありました。(笑) 心臓には悪すぎましたが。(笑)
羽生選手のソチ五輪ロミオが、たとえ一部の人たちの間だけであっても、その記憶の中にずっと「ロミオ」として残るのなら、長い目で見ると、きっとすごく幸せなことです。
「自分の力で抗いきれない不条理な波に呑まれ、我を忘れながらも、必死に死闘を繰り広げようとする、切実な姿」ーーー
そこに垣間見える美しさーーー それこそが、ソチ五輪で見せてくれた「ロミオ」の姿です。
でも、それこそが、被災地の被災者を含む、世界中で見ていた多くの人を、かえって勇気付けたのではないでしょうか。
ショートもフリーも、文句なしのパーフェクト演技だったら、「あいつ(彼)は天才で特別だから。俺(私)とは違う。」で、単に別世界の天才を見て驚嘆するだけの視点で終わってしまった部分もあったかもしれません。
それに、原作ロミオはパーフェクトとは程遠い人物設定です。
人は皆、パーフェクトじゃないからこそ、助け合う尊さが生まれる、とも言います。 弱さがあるからこそ感謝できるし、愛が見えてくる。
「パーフェクトなスケート技術」で「圧勝」した人が「金メダル」じゃないと納得しない人たちは、不満でしょうけれども、羽生選手が、決してパーフェクトではない、上記のような「ロミオ姿」を見せながら、なおかつ、結果として金メダルを獲得したことには、むしろ、深い意味があったような気がします。
羽生選手は、ショートで「パーフェクトな強さで圧倒する美」を見せ、フリーでは「弱さと儚さで翻弄される切ない美」、という、両極端の美を体現してくれました。
すごいことです。やろうと思ってもできることじゃないだけに…。
羽生選手にかけられていた高すぎるほどの期待のために、技術的な失敗のほうが多く語られ、ソチ五輪の「ロミオとジュリエット」にこそあった素晴らしい点の数々に目を向けている人が、どうも少ないような気がしたので、個人的な思いとして、書いてみました。
こういう見方をしている人間もいるよ、ということで。(笑)
それでも、満足せずに更なる高みを目指して、ベストな演技の「トリガー」を真摯に模索中だという、研究熱心な羽生選手の、今後の成長と新しい演技を楽しみにしています!
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