フィギュアスケートという競技の歴史の中では、競争心が過ぎるあまり、あるいは様々な事情により、
特定選手が、ライバル選手から「妨害された」と見られる行為をされて、大議論になった事件が、いくつも実在しています。
「意図的に怪我させようとして(傷つけようとして) 自分から本当にぶつかる選手」なんていうのは、確かにいないでしょう。
相手を怪我をさせても、自分が傷ついたら、選手はそこでお終いですから。
しかし、ただの「妨害行為」「心理的圧力」「心理攻撃」となったら、話は別です。
ただの心理的かけひきや、心理圧力をかけることそのものは、それこそよくあることだと思われ、過去にも多数報道されてきました。そのやり方や程度が問題になってきます。
羽生選手だって、それは良く分かっていると思います。
今回取りざたされた、「それはねーだろう、お前!」と羽生選手が日本語で叫んだという言葉。
これをどう見るかですが、この言葉には、その前に省略されている、重要な言葉がありますよね。さて、何でしょう?
「いくらなんでも、それはないだろう、お前!」というのが、言葉の本来の意味ですね。
すなわち、この日本語から直ちに分かるのは、羽生選手は、ある程度の心理妨害や駆け引きは我慢して受忍してきたものの、「もはやこれだけは許せない!いくら何でも、これは卑怯すぎる!あり得ない!」と怒った状態だったということです。
つまり、「我慢や常識の限界を超えるほどの卑怯さ」だと羽生選手はみなした、少なくとも、羽生選手にそうみなされるようなことがあったのだ、ということが、このセリフだけでわかるのです。
また、これを下品だなんだと非難した人たちがいますが、話はちょっとそれますが、関東以北~東北地方で、標準語で言う「あなたは~」を、「おめーは~、」と言い、「~ではない」という標準語を、「~じゃねえ」「~でねえ」というように、「ない」を「ねえ」と表現するのが正式の「方言」の地域はかなりあり、「それはないだろう」は、「それはねーだろう」になります。
これらは、標準語感覚で初めて聞くと、ちょっと粗野か、あるいはおやじくさいと感じたとしても、地方の方言であり、女性でも正式に使っているような地域も日本には沢山あります。
(他の例:オレ(語尾を下げる)、ワシ、おめえ、お前、アンタ等が、男女ともに使う、正式な一人称や二人称の言葉である地方、等。)
知らない地域の方言を初めて聞くと、ものすごい違和感が生じたり、いらぬ大きな誤解が生じることは、日本では多々あります。同じ地域でも、家庭によって様々です。
羽生選手が、どういう感覚で使ったかはわかりませんし、どういう言語環境で育ったのかわかりませんけれども、怒ってとっさに出た言葉なのですし、羽生選手は日本では仙台以外に定住したことはないのですから、普通の感覚だった可能性もあります。
私にはどちらであっても、どうでもいいことなのですが、わざわざそこを非難している人たちがいるので、ちょっとご参考までに知っておいてもらえたら、と思って、書かせてもらいました。
さて、このように、「かなり卑怯だ」とみなされた場合、周りを巻き込んで大議論になってきたのは、今回だけではありません。
まず、大前提として、今回問題になったのは、ニアミスも多発し、過去に何度も衝突例がある、「6分間練習」ではなく、そんなことは絶対にあってはならない、優先権が明確な、「公式の曲かけ練習」であったということを、押さえておきましょう。
まず、この事件の事実関係を、確認してみます。 (以下、このページの翻訳は全て、管理人によるものです。)
この事件が起きた翌日である3月31日の、アイスネットワークの記事の中(→http://web.icenetwork.com/news/2016/03/31/169878518)には、次のように書かれています。
「複数の目撃証言によれば、ハニュウがショートプログラム「バラード第一番」の曲かけ練習中、彼のまさに演技軌道上で、テンがキャメル・スピン練習をしているのに気づいた時には、この日本人の五輪王者はトリプル・アクセルを跳ぶための直前ターンを終えたところだった。 羽生は大声で叫び、テンを避けるために本来のパターンを変えてトリプル・アクセルを無理に跳びあがり、そして転落した。そのまま氷の上に座り込みながら、羽生はボード(フェンス)をパンチした。」
これは、日本で日本語で報道されたものと、完全に一致しています。
また、ネット上で、勘違いなのか、意図的な一部ねつ造なのか不明ですが、羽生選手に不利となる誤解を拡散させた人たちがいましたが、この記事には正確には、こう書いてあります。
「ハニュウのコーチである、ブライアン・オーサー氏は、デニス・テンに明らかに責任があったと考えている。
『 誰かがプログラムを滑っている時は、その人に優先権がある。』と、2度の五輪銀メダリスト(=ブライアン・オーサー・コーチ)は言った。
『 それは明快な、暗黙のルールなんだよ。誰もが試合の演技プランがあり、(その演技のための)一定の決められた動作があるんだ。
だからそれが妨げられたりしたら、誰でも、滅茶苦茶になってしまう。』
ブライアン・オーサーは続けて言った。
『 何も意図的だったとまでは自分は思わない。(が、)一部のスケーターたちは、特に誰かがソロの曲かけ練習をやっている時には、氷の上でもっと注意を払わなければならない。』」
冒頭で明確に、「テン選手に明らかに責任があった」とオーサーコーチが考えていることが強調されており、続けてその理由がオーサーコーチのセリフとして書かれています。最後の言葉は、事実上、今回のテン選手への忠告です。
これを、部分的にだけ取り上げて拡散して、現場を見ていたオーサーコーチが羽生選手を非難したかのように書き、さらに羽生選手をも非難する手段に使っている人たちがいますが、読めばすぐにわかることです。
意図的かどうかについては否定気味に書かれていますが、どちらに非があるのかについては、オーサーコーチの意見は明らかにされていて、ここで故意かどうかで大きくもめて対立を激化させたら、フリー直前であった羽生選手にとって、プラスになることは何もありません。
これを読んで、アメリカ人をはじめ、欧米人の多くが羽生選手を誤解するなどという心配も、全くないでしょう。
多くのアメリカ人は、過去の有名な妨害事件の実在を知っていますし、殆どの日本人より、フィギュアスケートを観ている歴史は長いのです。裏でのドロドロがあること等、多くの日本人よりよくわかっています。
続いてこの記事の中で、元・全米王者であり、氷上の選手たちの攻防をよく知るはずのジョニー・ウィアーさんは、次のように語ったことが書かれていることに注目です。
「『世界トップのメンバーたちと一緒に氷の上で滑らなければならない時は、皆が、自分のための空間や 自分の滑る領域、時間の確保について争っているものさ。 それはスポーツの当然の性質だよ。』
ウィアーは、TDガーデン(=ボストン世界選手権の会場名)で、木曜日の朝(=事件が起き、男子ショート試合のあった日の翌朝)、報道機関との会議の時に言った。
『 選手たちが、この世界トップレベル集団にいる時は、他のスケーターたちの演技パターンを知っているものだよ。
彼らは互いに、数え切れないほど一緒に滑ってきているんだからね。
だから気を付けて、互いに気を配らなければならない。
礼儀正しく、相手を尊重する競技者でいるためには、当然のことだよ。』」
ジョニーさんは、デニス・テン選手が意図的だったかどうかの明言は避けているものの、元選手の立場から、相手の演技パターンを知らなかった可能性はあり得ないと指摘し、羽生選手の曲かけ練習中にテン選手がしたことが意図的であるとの認識を匂わせ、トップレベルの競技者としてのテン選手の態度をやんわりと非難し、羽生選手を擁護しています。
羽生選手も、「ボーヤン選手の4回転ルッツを研究させてもらっている」と語っていたように、トップ選手たちがライバルの演技を研究しているのは、ごく普通で当たり前のことだし、そこで行われる高難度の技などは、勝敗を左右するのですから、むしろ他の誰よりも真剣に観ていることでしょう。
逆に言えば、「何の時に何をされたら邪魔になるのか」も、良く分かっているはずなわけです。
曲かけ練習の途中で、しかもまさに相手のその進路上で「キャメル・スピン」(=ブレードを外側に出して回るので、最もぶつかると危ないスピン、しかもスペースを一番広く使うスピンなので、妨害度も最も高くなる)をわざわざやることの意味が、わからない選手なんていないでしょう。
羽生選手の今シーズンのプログラムは、歴代最高得点を出したほど注目度の高いものであり、また彼のトリプル・アクセルは、「リンクのど真ん中を、複雑で難しいターンを繰り返しながら横切ってきて、助走なしの状態で直ちに跳ぶ」ということは、みんな覚えているだろうし、私にだってしっかりと記憶されていることです。
なぜなら、そここそが、ソチ五輪の頃から一貫している、羽生選手だけが出来、他の選手たちには出来ない、一番凄いところでもあり、解説者たちを最も驚かせてきた点でもあるのですから。
それがハッキリと分かるからこそ、そしてここでこのように妨害されたら、演技でも致命的なだけでなく、直ちに羽生選手側の怪我につながる可能性さえあることが、選手ならすぐにわかるはずだからこそ、
羽生選手は、相手のこの行為に意図的な、許せないほどの卑怯さを感じて、「いくらなんでも、それはないだろう!」と、激怒したのだろうと私は思います。
(まして、前日にも繰り返されたがゆえに、相手に注意したばかりだったのですから。
さらに、この時にその場で周囲には言えなくても、実際に怪我を悪化させてしまった可能性は非常に高いですから、その時の怒りと悲しみ、やりきれない思いは想像に難くありません。)
もし、公式曲かけ練習で、スピンをしてさえいれば、曲かけ練習をしている選手の優先権さえもが、後回しになるなどということが許されるようになるのなら、
それこそ、ライバルの曲かけ練習の時に、軌道の真ん中に入り込んで、周りを見ないふりをしてスピンさえしてしまえば、いくらでも相手を妨害できることになってしまいます。
それを選手たちが互いにやりあったら、どうなるでしょう?
その程度のことさえもわからない選手など、トップレベルの選手たちにはさすがに誰もいないでしょう。
彼らは遊びやお遊戯で演技をしているのではありません。
トップ選手たちはみんな、その人生のほぼ全てをかけて、その後の人生を大きく変えるかもしれないほどの結果を出すために、真剣に練習してきて、真剣勝負で試合に臨んでいるのです。
元日本の代表選手だった、佐野稔さん(77年世界選手権・銅メダリスト、76年インスブルック五輪日本代表選手)は、この出来事の翌日に出た、次の記事の中で、こう述べています。→ http://www.sanspo.com/sports/news/20160401/fgr16040105000005-n1.html
「誰であろうとなかろうと、曲をかけての練習で進路を妨害してはいけないのが暗黙のルール。
羽生が怒るのも無理はない。
トリノ五輪金メダルのプルシェンコ(ロシア)が同じような状況に遭遇し、コーチが激怒したシーンを思い出した。」
どこかの週刊誌が、ずいぶん後になってから、いい加減なことを書いて印象を操作したようですが、佐野さんは自分のコラムで、直後にこう語っているのです。
「羽生選手が怒るのも無理はない」 そして、「あのプルシェンコ選手も、かつて同じような状況になって、コーチが激怒したことがある」、と、過去の事例まで証言しています。
つまり、こういうことは、過去にもあったということです。
結果的に妨げたのは事実であり、意図的でなかったのなら、「あ、失礼しました」で直ちに終了させて、その後は気を付けるようにしたはずで、これはたとえ外国でも(アメリカでも)、人々から信頼されるような人物なら、礼儀として当然のことです。
「未必の故意」(そうなっちゃうかもしれないけれども、まあいいや、と、結果が起こり得ることを認識しつつやった過失。)というのは、法律上は「故意」と同じとして扱われます。 (報道関係者なら、そのくらいのことは知っているでしょう。)
よって、「羽生ほどの人ならば、避けられるだろうから問題ないと思った」などという発言がコーチから出てきた段階で、故意と同じ、「未必の故意」があったことを自白したようなものなのです。 避けなければならない位置でスピンをやっている自覚があったことを認めたことになるわけですから。
自分の選手を庇うためにそう言ったのだろうとは思いますが、このセリフは、そのように庇わなければ反論できない状態でスピンしていた事実を証明しています。ですから、たとえ映像を見なくても、相手方のこの発言だけで、実際にはどのような状態だったのかが、簡単に推測できてしまいます。
羽生選手は、相手を引きずり下ろすような「汚い」方法で勝ちたいと思う人ではなく、むしろ、相手が優れているなら、自分がさらに優れた演技をしてみせることで、堂々と勝負して勝ちたい人です。
羽生選手が良く言ってきた、「みんながベストな中でも、それでも俺が一番だよ、という状態で勝ちたい」というのは、そういう意味であり、ライバルが怪我で絶不調な時に圧勝したところで、そういう勝ち方では、あまり嬉しそうな表情を見せません。
それは、2013年の全日本選手権の羽生選手の様子を観ていた人なら、それが本心からの言葉だと気づくことだろうと思います。
逆に言うと、汚いと思った行為をされたときは、耐えて悔しかった分だけ、喜びが爆発するのは理解できます。
オーサーコーチはこの記事の中で、羽生選手のことを、「情熱的で非常に集中力が高い、彼のそういうところは、私は大好きなんだ」とも、わざわざ述べています。(羽生選手のそういう性格が、今回の羽生選手の反応に大きく影響したと見ているからでしょう。)
この記事が出たのは現地の31日ですから、羽生選手のショートの翌日、そしてフリーの試合の前日です。
アメリカ会場で行われている、大事な試合の真っ最中に、有名なアメリカ人コーチともめ事を起こして、色んな点で不利にならないように、オーサー・コーチもジョニーさんも、北米人であり元選手である立場からも、相手を配慮しながらも、責任はデニス・テン選手側にあることを認め、羽生選手を擁護して発言したことがわかります。
またこの記事のライターも、双方の立場にそれぞれ配慮しながら書いていることが、読めばわかります。
(この記事に使われている二人の写真は、この事件の瞬間ではない、全く違う時の写真で、ただのイメージなので、誤解を招くと言えば、その通りかもしれませんが。)
さて、ここからは、20年以上フィギュアスケートを見てきた人たちなら、「当然に知っているはずの」、
過去の有名な、「ライバル選手へ向けた妨害事件」について、2つだけご紹介して、
当時の議論がどのようなものだったか、を見てみたいと思います。
まず、曲かけ練習中の妨害事件について、見てみます。
実在事例1 : 伊藤みどり選手が、フランスのスルヤ・ボナリー選手にされた行為による、妨害騒動 (1992年アルベール・ビル五輪当時)
女子初のトリプルアクセルを成功させたので有名な、日本の伝説的スケーター「伊藤みどり選手」に対して、練習中に妨害をしたとして有名になり、
当時も、日本の解説者からのみならず、海外のトップ選手からも非難されていた、フランスのスルヤ・ボナリー選手。
私の記憶では、彼女のこういった行為は、1度などではなかったと思います。
それにより、当時の私は、「また妨害スルんヤ・ボナリー」などという、どうしようもないダジャレで覚えてしまったほどです。(苦笑)
伊藤選手とボナリー選手は、当時どちらも、すごいジャンパーであり、アスリート型選手として有名でした。
伊藤みどりさんは、女子史上初のトリプル・アクセルの成功者ですし、ボナリー選手もトリプル・アクセルを跳んだ数少ない女子の一人です。
さらに彼女は、女子なのにバック・フリップ(キャンデロロさんがやる、氷上の後方宙返り)が出来てしまう、超人的な脚力の持ち主でした。
1992年のアルベール・ビル五輪の、伊藤みどり選手の、公式「曲かけ練習」中、
伊藤みどり選手が曲に合わせて、トリプルアクセルからのコンビネーション・ジャンプを跳ぼうとしていたその直前に、その目の前で、試合内では禁止されていた高難度危険技「バック・フリップ」を、「バック・フリップ+トリプル・トウ」にして跳んで観客を沸かせました。(この技が出来るということそのものはもちろん、もの凄いのですが。)
それを観ていた多くの人たちが、伊藤みどりさんの集中を妨げてジャンプの練習を妨害したとみなして、議論となり騒ぎになりました。
それを伝えるアメリカの番組が、こちらです。
問題は、それが伊藤みどり選手の、曲かけ練習の途中(真っ最中)でやられたことでした。
ピンクの衣装を着ているのが、ボナリー選手で、彼女がジャンプを終えた直後の背後で、黒い練習着でポニー・テールをしながら横切っていく女子選手が、ジャンプの滑走に入るところだった伊藤みどり選手です。
目の前で跳ばれ、さらに観客の歓声が沸き、まさにジャンプに向かう助走の途中だった「曲かけ練習中の」伊藤みどりさんが、トリプルアクセルを跳ぼうとしていたのに調子が狂い、結果、1回転になってしまった、と動画の中で、アメリカの解説者は指摘しています。
このことについて、1984年サラエボ五輪と、1988年のカルガリー五輪の両方で金メダリストとなった、元祖「表現力の女王」と呼ばれた伝説のスケーター、カタリーナ・ビットさんが、
選手間のかけひきや、選手の心情や実態を良く知るトップ選手の立場から、このボナリー選手の行為を、意図的な妨害行為だとして抗議し、伊藤みどり選手に同情の意を表しました。
私の知る限り、語り継がれるほどの有名な金メダリストは、おかしいと感じたことには、信念をもってハッキリと注意したり、抗議表明する「強さ」をもっていますね。
たいてい、利害の対立する関係者から非難されたり、問題を指摘したことに対して、傲慢だの何だのと騒がれたりもするのですが、(例:バンクーバー五輪時のプルシェンコ選手)、何が正しかったかは、時が証明していきます。
トップ選手以外に、そのようなおかしなことを堂々と指摘出来る立場になれる人はなかなかいませんから、不正やおかしいことを放置する羽目にならなくて、問題が明るみになった結果、多くの選手たちが助かります。
元世界王者のチャン選手も、最終グループの時の氷の状態があまりにも酷い時に、たびたび苦情を言っていますけど、これは良いことだと、最近私は思うようになりました。
ソチ五輪(会場ロシア)の時も、今回の世界選手権(会場アメリカ)も、男子フリーの最終グループの氷の状態が、とても伝統的フィギュアスケート国の会場だなどとは思えないほど酷い状態で行われましたけど、
どちらのケースも、フリー当日の(トップ争いをする)最終グループの中に、会場となった国の選手が一人もいなかった、そういう時に起きている、という共通点があるのは、なんとも興味深いことでもあり、同時に残念なことです。
下のニコニコ動画では、この当時、番組の中でカタリーナ・ビットさんが、ボナリー選手のしたことについて意見を問われ、明確に自分の意見を述べています。
動画の最初で、カタリーナ・ビットさん(当時の日本での表記・今はヴィットと書かれる)は、このアルベール・ビル五輪(1992年)で金メダリストになったクリスティ・ヤマグチ選手の演技について絶賛して、その後にこう語りました。
「私はよく、誰かがパーフェクトの演技をした後に滑るのが好きでした。 なぜなら、私はプレッシャーを受けながら滑るのが好きで、”この人に勝つためには、自分が出来る全てをしなければならないわ!”と自分で自分を追い込んで滑るのが好きだったのです!」
…すごいですね。
相手がパーフェクト演技をすると、益々燃えるタイプだったようです。 誰かさんの発言と似ているような…(笑)
カタリーナ・ビットさんが、2度金メダルをとれたのは、このような考え方や性格が、関係しているのかもしれませんね。
(この部分は上の動画内では訳されていません。)
その続きで、質問者がこの問題について話を切り出して、ビットさんに意見を聞いています。
質問者: 「プレッシャーと言えば、今朝、スルヤ・ボナリー選手が、伊藤みどり選手の前でバック・フリップをやったことが物議をかもしていますが、どう思いますか。 ただ滑っている時だったというのではなく、伊藤みどり選手が、自分の曲かけ練習をしている時でしたよね? このような状況下での この倫理的な問題についてどう思われますか?」
カタリーナ・ビットさん :
「 あれを見た時は、さすがに少しショックを受けました。
なぜなら、これは試合の前で、曲に合わせて練習できる最後のチャンスだったのですから!
自分の曲を聞いて合わせられる最後のチャンスですから、いつも、緊張感がものすごく高まる時なのです。
だから、スルヤ・ボナリー選手は、伊藤みどり選手に対して、全くフェアじゃないことをしたと思いました。
伊藤みどり選手は、まさに3回転のコンビネーション・ジャンプを跳ぼうとしていたところでしたから。
観客が、(ボナリー選手のした)バック・フリップを見て沸いたので、(その歓声で)みどり選手は集中を欠いてしまい、失敗してしまったのです。
ボナリー選手のしたこのバック・フリップというのは、彼女が試合の中でやる技でもないし、そもそも試合では禁止されているもので、ただエキシビションでやるだけの技なのですよ!
だから、私はあんな風にして見せびらかすのは、全くフェアじゃないと思いました。
”なぜ、わざわざ みどりが曲に合わせて滑っている時にやるの?!”って言いたいです。」
その後、ビットさんも、他の選手の曲の時に、即興で振付をつけて曲に合わせて滑ったりしたことを質問者に指摘されています。
当時、これにより、注目が、魅せるのが上手いビットさんのほうに集まったからです。
これは当時、「私の方が上よ!」という、女王としての一種の心理的圧力をかけているのではないかと一部から見られていて、日本の解説でもそのように指摘していたと私は記憶しています。
(私には当時、ビットさんはすぐに音楽に乗るタイプだから、調子に乗ってやりたいように自由にやっているだけにも見えていました。理由は、圧力をかける必要さえ全くないと思われる、彼女のライバルになり得なそうな選手の時でも、曲がかかると即興で踊りだすことがあったからです。でも、それは確かに優越感や余裕があるからこそできる行為だろうし、それさえも、「カモフラージュ」のためだったという可能性までもは排除はできませんし、やられる側からしたら、主役を奪われる感じで、いい気分がしないのは当然だろうとも思うのですが、これは受忍されるレベルの心理かけひきだとみなされていたと思います。)
ビットさんはこの番組内で、その指摘に対し、「そんなんじゃないのよ~」って笑顔でかわして否定し、自己弁護しています。
さて、この時、ボナリー選手は、伊藤みどり選手に直接ぶつかったりはしていませんし、もちろん、直接傷つけてもいません。
ただ、ライバルの跳ぶタイミングに合わせて、近づいていって高難度のジャンプをしてみせただけです。
この時に限って言うなら、羽生選手がやられたように、露骨に進路を塞がれたとまでは言えず、また当時は長い助走があるので、助走で避けることはできる状況です。
だけど、非常に汚い手段に出たと多くの人にみなされて、動画にあるように、大騒ぎになりました。
特に、試合なんて百戦錬磨で、2度の五輪金メダリストになった彼女が、このような行為について、上のように発言して「全くフェアじゃないわ!」と怒って抗議して、やられた伊藤みどり選手を、かつての最大のライバルであるにも関わらず、大いにかばっていることに注目です。
そのくらい、曲かけ練習が大事であることを、カタリーナ・ビットさんは主張しています。
この感覚が、選手としては、当たり前だろうと思います。
当時、ボナリーさんがこのようなバック・フリップをわざわざライバルの前で、近づいてやって非難を浴びたのは、私の記憶では、一度ではなかったはずです。
公式曲かけ練習時に、非常に強い選手が、ライバル選手によって、何らかの妨害的・心理的圧力を受ける…
強くない選手だったら、このようなことをされることは、もちろんありません。
強い選手だからこそ、やられるわけです。やられるのは、そうしなければ勝てないほどの相手だと認知された証拠でもあります。
(伊藤みどりさんは、この時の、1992年アルベール・ビル五輪で、銀メダリストになりました。 )
しかし、もちろん、故意だろうが過失だろうが、そんな「やられた側がやられ損」なことを繰り返すことが許されていいはずもありません。
選手たちには、きちんと「曲かけ練習」で、演技についての最後の確認ができるチャンスが、公平に、均等に、きちんと保障されなければ、試合そのものがフェアなものと言えなくなります。
さて、もう一つ、紹介します。
こちらは、リンク外での出来事です。
実在事例2: 非常に有名な、驚きの「故意の」傷害事件ーーー「ナンシー・ケリガン襲撃事件」(1994年リレハンメル五輪当時)
リレハンメル五輪(1994年)の直前の当時、ナンシー・ケリガン選手(アメリカ)に対する、トーニャ・ハーディング選手(同じくアメリカ)の関係者による襲撃事件というのがありました。
1994年、リレハンメル五輪を控えた頃、アメリカの代表者を決める全米選手権で、最有力候補だったナンシー・ケリガン選手を何者かが襲ってかなりの怪我をさせ、彼女はそのまま試合に出場できなくなりました。 その後、ライバルのトーニャ・ハーディング選手の関係者(元・夫)が、大会後に逮捕されたという、驚きの事件があります。
フィギュアスケートの歴史上、五輪をめぐる権力闘争の世界のドロドロっぷりを世間に印象付けた、信じがたいけど有名な事件です。
これについてちょっとだけ触れた日本の番組が、以下のものです。
この事件の被害者となったナンシー・ケリガン選手は、代表選考会であるこの試合に出られなくなり、また、怪我からの回復に時間がかかりましたが、最終的にアメリカ代表として選ばれ、リレハンメル五輪で、銀メダルを獲得して終わります。 ご本人は「この状況でよく頑張った」、と満足されたようです。
このリレハンメル五輪で金メダルを獲れたのは、事件と全く関係なかった、ウクライナのオクサナ・バイウル選手でした。
この時のオクサナ・バイウル選手のEX「白鳥」は、ジョニー・ウィアー選手に感銘を与えて、彼がフィギュアスケートをやるきっかけとなりました。
さて、嫌な話が続きましたので、ちょっと気分を良くするためにも、ここでその有名な、オクサナ・バイウル選手のエキシビション「白鳥」を、どうぞ。
選手間で、様々な心理的駆け引きが繰り広げられていることは、以前から有名な話で、かつては解説者も堂々と指摘していたし、特に、五輪が絡んだ時は色々あったようです。
Webronzaの田村氏の記事(→http://webronza.asahi.com/national/articles/2016042700009.html)に出てきた、サーシャ・コーエンさんの話は有名ですし、私もよく記憶しています。
当時を知らない人たちは、これを、映像で実際に見てもらいたいと思います。
こちらの冒頭部分は、トリノ五輪の時の、女子のフリー、最終トップグループ直前の六分間練習の動画です。http://www.dailymotion.com/video/x38t47a_2006-torino-ladies-fs-final-group_sport
(注:曲かけ練習ではありませんので、羽生選手のケースとは事情が全然違います。6分間練習と曲かけ練習は、意味も位置づけも性質も全然違いますので、これらを混合して考えないで下さい。 色々あるのだ、ということの証拠として、参考として、ここに提示するまでです。)
金メダルの期待のかかっていたアメリカのサーシャ・コーエン選手が、いつもとは明らかに違った、異常にプレッシャーがかかったかのようなおかしな雰囲気で、同じところを何度もぐるぐると回り、全く他人に進路を譲らない様子で、当時の日本代表選手である、荒川静香選手を押しのけるようにして激突しそうになった瞬間が映っており、また、解説者が、村主章枝選手ともそうなったことを非常に怪訝そうな声で指摘し、その問題に触れています。
この時の解説は、佐藤有香さん(1994年世界選手権金メダリスト)ですから、元・選手として色々知っているであろう立場から見ても、納得できない気持ちでいたことが、珍しく怒ったような彼女の声色からも、良く解ります。
これがわざとかどうかは、本人にしかわかりませんが、誰がどう見ても、コーエン選手が「良い精神状態でない」のは明らかです。
誰がぶつかろうとかまわないほどの盲目な姿勢に見え、他選手に配慮する気配は全くありませんし、余裕もない状態です。
私はこれを観ていた時、コーエン選手の優勝はもうないだろうと思って見ていました。
(この後、フリー本番では冒頭の2度のジャンプで転倒してしまい、精彩を欠いた演技となり、しかしそれでも銀メダルにはなります。)
そして、これもまた有名な話ですが、この直後、リンクから引き上げる時に、結果的にはこの時に金メダルとなった荒川静香さんが、「エッジケースを誰かに取られて、なくなっていた」そうで、エッジのカバーをすぐにつけられなかったことを、引退後に日本の番組で、非常に意味深長に語ってくれたことがあるのです。
エッジケースというのは、スケート靴のブレード(刃)のエッジを守るもので、これをつけることなしに普通のところを歩いてしまうと、スケート靴のエッジがダメージを負います。ダメージを負ったら当然、滑りに大きく影響していきます。(普通は、リンク周りは、ゴムのような素材でできた床になっており、スケート靴のまま歩いても良いようになっています。)
結局、荒川さんの証言によれば、アメリカのコーチ(サーシャ・コーエン選手のコーチ)が「サーシャのと似ていたから」という理由で間違って持っていたそうなのですが、「そうか、間違えたんだ」という番組内での素直な相槌に対して、荒川さんは当時、その番組で「いや、でも、似ているなどとは言っても、きちんと色も違っていたんですよ」と主張していて、少なくとも、荒川さんは意図的なものだったと思っているのだな、ということが良く分かる発言内容でした。
自分のだと指摘して、エッジケースはすぐに返してもらったようですし、大事になったわけではないですが、これは五輪の、6分間練習を終えたまさに本番直前なのですから、荒川さんのちょっとした精神的動揺を誘ったであろうことは、想像に難くありません。
このように、裏では色々なことがあるのだということを、番組内で荒川さんはほのめかしていたと、私は記憶しています。
上の動画でも、リンクから上がる時に、荒川さんが、「エッジケース… 取られた」と苦笑いしながら、日本語で話している声が入っています。
でも、そういうことをやられても、既に慣れているのか、分かった上で余裕で対応しているような冷静さが、当時の荒川さんにはありました。(でも、わざわざ番組内で言ったくらいですから、きっと不服だったのでしょうね。)
そもそも、五輪の時だけ都合よく、「ライバルのエッジケースを、コーチが間違って持っている」なんていうことが偶然起こるのかどうか。
相手は、今まさにオリンピックで金メダル争いをしている選手とそのコーチなのですから、疑われてしまっても、仕方がないかと思います。
こういうことの意味を、どのようにとらえるのか、人それぞれですけど、
私はこういうことが起きたら、「やった側の負けが確定」だと思って 見ています。
結局、トリノ五輪では、この後、荒川さんが優勝して、金メダルとなりました。
羽生選手も、本当に色々あるとは思いますけど、正々堂々と、前向きに頑張ってほしいと思います!
なお、選手本人が、国籍・人種差別的「ヘイト発言」をしたことは過去に一度もなく、そういう態度をとったこともないのに、本当にファンかどうかもわからないような怪しい「自称ファン」集団が、勝手にヘイト・コメントを送りつけたとか、勝手に嫌がらせをした、なんて言うことを、選手本人の責任にするほど愚かな人たちは少ないでしょう。
そんなことになったら、数え切れないほどファンが付く有名選手ほど、いつもどこでも、自分とは関係のない、誰かのために謝罪する羽目になります。
正体不明の人たちが勝手にやったような差別的ヘイト発言行為は、それをやった人たちの人生の問題であり、過去にもそういった発言を一度もしたことがない羽生選手に関係はないのは当然のことです。
それと、今回の妨害の真偽についての問題とを混同させて、論点のすり替えを行って、羽生選手を非難するのは、まさに「論外」です。
長年関わっているフィギュアスケート関係者や、長年見てきたようなファンの中で、私が上に書いてきたようなことが、本当に分かっていない人たちは、極めて少数でしょう。
だから、私はあまり心配していませんし、こういう問題が明らかになったのは、良かったことだとも思っています。
様々な事情が複雑に絡む中でも、「羽生選手の現状や将来を思った時に、何がベストになるのか」と、「より真理に忠実に」という視点を、私は個人的には最重視しながら、このブログを書いているつもりです。
裁判において、当事者双方に必ず弁護人がつくことで、公平な裁判が成立するように、どちらが正しいかは別として、双方を徹底擁護するような存在がいることは、私は基本的には良いことだと思っています。
ただし、ミスはあり得ても、意図的に「真実」を捻じ曲げていいはずもなく、仮にそれが行われた場合でも、いずれ真実は明るみになるものだとも私は思っています。
また、裁判において、同一人物による「双方代理(弁護)の禁止」というのがあります。
それは、双方が対立して争っている時、一人の弁護人が当事者双方を同時に対等にかばう、ということは事実上不可能で、それを認めるとかえって双方の利益を害するだけになってしまうからこそ、「禁止されている」のです。
これに対し、双方の間に立つ「仲裁」や、双方が歩み寄る「和解」というのは、どちらが正しいかを判断するものではなく、とりあえず矛先を納め、トラブルを鎮静化させるためのものです。
どちらが正しかったか、という最終判断が下ったわけではありません。
そこを誤解すると、おかしなことになっていきます。
今回、羽生選手は、どちらが正しいか、真実は何か等は、とりあえず自分のお腹に収めて、「お互い辛い状況にあった」という配慮を相手にも見せて、怒りも収め、自分からにこやかに握手して「和解」という形での、トラブル解決を試合後に選びました。
それは、未来のためでもあるし、立派だったと、私は思っています。
しかし、
百聞は一見にしかず、映像はねつ造よりも強し。
知っている人は、知っています。
上に書いてきたように、周囲の人たちが、何もわかっていないなどということは、全くないと私は思っています。
一部の羽生ファンの方々が、羽生選手が不利になったと思って、今でもかなり心配されているようなので、なぜ私があまり心配していないのか、なぜ私がそう思うのかの根拠も含めて、詳細に丁寧に書いたつもりです。
参考になれば、幸いです。
「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず、
悪から遠ざかり、善を行い、
平和を願って、これを追い求めよ。
主の(=神様の)目は正しい者に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
(ペトロの手紙第一 1章10~12節 新約聖書: 新共同訳より )
「 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。
その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。
神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自分でも人を誘惑したりなさらないからです。
むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、そそのかされて、誘惑に陥るのです。
そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
(中略)
良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父(=天地創造の神様)から来るのです。
御父(=天地創造の神様)には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる影もありません。」
(ヤコブの手紙 1章12節~17節 新約聖書: 新共同訳より)
「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」
(ペトロの手紙第一 4章8節 新約聖書 新共同訳より)」