今月初め、かつて話題になった、リアル・タイガーマスク運動の、「伊達直人さん」、がついに御本名を明かしたとのニュースがありました。
ご自身も児童養護施設出身で、ランドセルが買えなかった思いから、同じ境遇の子供たちにプレゼントしたという、普通の社会人の方だったことがわかりましたけれども、自分の過去の悲しい体験を、良きことのための力に変えていかれたその話を聞くと、
誰かさんを連想させられますね…
サンタクロースの起源でもある、「聖ニコラウス」とは、
イエス=キリストの言葉に従って、恵まれない子供たちのためにプレゼントを寄付した、昔の実在の人物です。
「聖ニコラウス」 (セイント・ニコラウス → サン・ニコラウス → サンタクラウス→ サンタクロース)
さてさて、伊達直人… ではないけれども、自分の五輪・金メダルの報奨金の全額を、迷いもせずに被災地に寄付した、
やけに素直で実直な「伊達」の殿様を演じた方なら、羽生ファンは、良く知っているでござる!
羽生ファンなら多くが知っていることでございますが、このお方、子供の頃は、だってー!だってー! っとゴネては、年上にむかっても平気で食って掛かっていく、超負けず嫌いな、一歩も引かないお子様だったそうな。(笑)
伊達にただの負けず嫌いだったわけではないようで。(笑) (都築コーチや、佐野さん談より)
ついでに可愛い顔して完璧主義だったりするのは、この頃から同じという、お子様時代の映像 がこちら。
ござる… いや、時に「子ザる」のもお得意な、負けず嫌いな 羽生藩のお殿様は、
先日のグランプリ・ファイナルで、あの6名の中で一番おでこが狭かったことが、並んだ写真撮影時についに発覚してしまい、
日本の悩める中高年男性を励ますためにも、自ら率先立って 「ハゲむ!」 と宣言されてはきた殿ではございましたが、
世界は広く、その道は思いのほか険しく、ライバルは実に多く、チャン選手の激しい進化ぶりに思わず目を見張り、
オーサーコーチやキャンデロロさんはおろか、「頭頂部の頂上決戦」では、なかなか外国勢に勝てる見込みはないと思ったのか、
ついに先日、方針転換と思しきご発言があったとか…。
な、なんと、
「これから、髪る!」 と宣言されたそうな… (←かみる!と読むそうな… ほほう、21世紀の日本語は難しいでゴザルな。)
グランプリ・ファイナルから帰国直後に、成田空港で応じたという、
全日本選手権に向けての目標として、「結ぶ!」と宣言された、殿のインタビュー番組が、こちらでござる 。
VIDEO
この中で、羽生選手は、「言霊」についてきかれ、「言霊ってあると思います」と答えています。
「できる、できる、できる」については、耳から入ることで錯覚してくれれば、と言っていますけど、
それはつまり、思ってはいなかったということでしょうか…? (笑)
「言霊」は、日本独自の発想だなどと勘違いしている方も多いようですが、
そもそも「言霊」の思想というのは、聖書に起源があり、それどころか、聖書は始めから終わりまで、「言霊の思想だらけ」です。
旧約聖書も、新約聖書も、どこもかしこも、言霊の力について力説されている箇所だらけです。
キリスト教は「告白の宗教」などとも呼ばれますが、「言葉の力が全て」、と言っても良いくらいです。
ただし、「心」「本音」が伴う言葉でないと、価値も効果も認められませんが。
新約聖書・「ヨハネによる福音書」は、超・有名な、次の一連の言葉で始まります。(1章1~5節)
「初めに言(ことば)があった。 言(ことば)は神と共にあった。 言(ことば)は神であった。
この言(ことば)は、初めに神と共にあった。 万物は言(ことば)によって成った。
成ったもので、言(ことば)によらずに成ったものは何一つなかった。
言(ことば)の内に命があった。 命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。 暗闇は光を理解しなかった。 」
さて、英語だと、次のように訳されています。 ( John 1: 1 - 5 Today's English Version)
「In the beginning the Word already existed;
the Word was with God, and the Word was God.
From the very beginning the Word was with God.
Through him God made all things; not one thing in all creation was made without him.
The Word was the source of life, and this life brought light to people.
The light shines in the darkness, and the darkness has never put it out. 」
KJVだと、冒頭は次のように訳されています。 (John 1:1-5 King James Easy Reading Version)
「In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God 」
つまりどれであっても、「神=言葉」だとまで言っているのがわかるかと思いますが、
「世界の全ては、「言葉」 (神の言葉)によって成り立った」、と説明されているのが、聖書です。
ここでいう「言(ことば)」とは、イエス=キリストを指しますが、そもそも旧約聖書のスタートである「創世記」もまた、
神の言葉によって世界の全ては創られていった様が描かれ、世界は言葉によって成り立った、との記述から始まっています。
言葉は非常に神聖なものでもあり、だからこそ、悪い言葉、汚れた言葉を使わないよう、聖書は繰り返し警告しています。
参考例:
「言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。
あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。 」
(イエス=キリストの言葉 マタイによる福音書 12章36,37節 新約聖書 新共同訳より )
また、肝心の救いさえも、実に単純に、「心を伴う言葉」 によって成立するのが、キリスト教の真理です。
「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、
あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」 (ローマの信徒への手紙 9章9,10節)
「主(=神様)の名を呼び求める者はだれでも救われる」 のです。 (ローマの信徒への手紙 9章13節)
さて、この番組の最後を観る限り、
仙台人なのに広島カープファンだという羽生選手は、今カープで流行語の「神ってる!」とやらを思い出し、
きっとひらめいたように顔を輝かせて、得意になって語ってくれたに違いないと私は勝手に想像するのですが、
やはりちょっと これは 「コザル・モード」な言葉だったのか…(笑)、
スルスルと木のてっぺんに上ったつもりが、見事に広島カープのことはスルーされて、ちょっと寂しく星を見上げた 星降る夜かな?
羽生選手の滑りの本領発揮は、やはり、氷の上でこそ期待したいところです!
「神る」 ことが出来るかどうかは、神様がお決めになることですからね…! どうか頑張って下さいね!(笑)
あ、「髪り方」ですけど、個人的には、SPの頂上作戦では、NHK杯の時のものが今のところ、一番カッコよかったと思いました、はい。
さて、そんな羽生選手の永遠の憧れ、
誰もが認める天才・ プルシェンコ選手の自伝(英語版)を、翻訳して下さっているサイト様があります。
こちらが、プルシェンコ選手がスケートをやることになったいきさつ、
その運命的な出会い方を書いた文章(自伝)を 翻訳して下さった文章 です。 ←クリックどうぞ
熱心なプルシェンコ選手ファンなら、ほぼ皆知っていると思われる、有名な内容です。
不思議ですね、この「絶対にスケートをやりたくかなった女の子」との、まさにこの時この瞬間での、お店での出会いがなかったら、
今のプルシェンコ選手はいなかったわけですから。(笑) 本当に運命の出会いですね。
これ、プルシェンコ選手は、「神様がスケート靴を下さった」と、他の時には表現しておられましたね。
さて、そんなプルシェンコ選手は、共産主義国・ソビエト連邦(現・ロシア)に生まれながら、幼少期に神様に呼ばれて、自らご両親を説得して、自ら進んで希望し、教会に行って洗礼を受けたという、驚きのお子様だったエピソードを、ご自分で公にも告白されてきました。
やはり天才は何か違いますね…
その、プルシェンコ選手の、心の部分を告白してある箇所が、次のページです。
プルシェンコ選手の自伝の一部を翻訳して下さっているHP ←クリック
以下、上の文章の、一部だけを抜粋させてもらいました。
「信仰は僕にとって重大な事柄だ。
僕の魂がそれを必要とする時、僕はいつも一人で教会を訪れる。 僕は、自分の才能は神から与えられたもので、これ無しではきっと何者にもなれやしないだろうと思っている。
そしてまた、この才能は大きな責務であるとも感じている。
僕は、僕の持ちうる才能すべてを出し切らねばならない。 そのために、僕はたくさん、徹底的に練習をしなければいけない。
つまり、プログラムの細かい部分まで、しっかりと熟考しなければいけないということだ。」
才能を責務(使命)とも感じており、この才能全てを出し来ならなければならない、という発言は、
羽生選手も良く言っていることでもあり、この意識は、全く同じですね。
…っていうか、熱血プルシェンコ・ファンの羽生選手はそもそも、プルシェンコ選手の言葉は、
私なんかよりずっと詳しく知っておられることでしょう。
さて、上のプルシェンコ選手の言葉の根拠となっている、有名な聖書の言葉が、これです。
これは、イエス=キリストの語った言葉です。 以下に出てくる「わたし」とは、全てイエス=キリストのことです。
ついでに、これは実は、「レッツ・ゴー・クレイジー」の歌詞の中で、プリンスさんが歌っている内容でもあるのです!
「わたしにつながっていなさい。
わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、
あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ 。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
( ヨハネによる福音書 15章4~5節 新約聖書 新共同訳より )
「あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだ。 あなたがたが出かけて行って実を結び、 その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に(=天の創造主たる神様に)願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。
互いに愛し合いなさい。 これがわたしの命令である。 」
(ヨハネによる福音書 15章16~17節 新約聖書 新共同訳より )
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父(=天地創造の神)は農夫である。 (※神様を農夫に例えてあります)
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
(※ 神に従っている、などと口で言いながら、きちんと使命を果たそうともせず、何の努力もしないで怠けている状態は、懲らしめを受けたり、天国に入れてもらえないよ、ということ。)
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
(=実を結ぶ人、すなわちきちんと使命を果たす人たちには、天の神様はますます鍛え上げるための試練をも与え、より沢山の実を結べるようにして下さる、ということ。 だから、試練をも喜んで受け入れて乗り越えていくと、ますます結果が残るようになる。)」
(ヨハネによる福音書 15章1~2節 新約聖書 新共同訳より )
ここで、羽生選手がインタビューで最後に出した言葉、 「結ぶ」 が 沢山出てきましたね。
お子様時代のインタビューでも、上のインタビューでもそうですが生選手は、スケートを始めたばかりの幼少期から、
「自分は金メダルを取れると思っていた」 と告白しています。
この頃から、未来の金メダリストになるイメージ、思いが、強く与えられていたということですね。
「あなたがたの内に働いて、(神の)御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるから です。
何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。
そうすれば、とがめられることのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、
世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。
こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」
(フィリピ人の信徒への手紙 2章13~16節 新約聖書 新共同訳より )
ここで最後に語られている、「キリストの日」とは何かといえば、 キリストに天国で会う日、あるいは、キリストが地上に再臨された日、または、キリストが携挙のために戻って来られた時、であり、
いわば「天国で、報いを頂いた時」 のことを指していて、
つまりこれらも全て、「レッツゴー・クレイジー!」で歌われている内容なのです。
日本は、「天才」という言葉を、ちょっと違った意味でとる人たちがいて、
「天才だから努力しなくても良い」とか、 「あの人は努力している人だから、天才ではない」 などと思う人たちがいて、
その発想がちょっと間違っているというか、 天才の定義が 「おかしい」 と私は思うのですけれども、
いわゆる特技としての才能だけでなく、むしろその分野への「並々ならぬ情熱」が与えられているからこそ、並々ならぬ努力も可能となり、普通ではないことが成し遂げることができるのが、天才と呼ばれる人たちの特徴でもあります。
「才能を与えられているからこそ、徹底的に練習をしなければ… 熟考しなければ…」 と
プルシェンコ選手自身は、考えている ことが判ります。
これは、羽生選手の一連の発言も同じですね。
また、聖書を読むと、「神様は、実を結ぶものには、ますます手入れをする (=実を結ぶ人には、試練を与えて練り清め、余計な部分を取り去って、ますます実を結べるようにしていく)」
という原則があることがわかります。
聖書に、次のような言葉があります。
「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される。」
(ルカによる福音書 12章48節後半 新約聖書 新共同訳より )
「多く与えられた」とありますが、いったい誰から与えられて、誰から任され、誰に要求されているのかと問えば、
これは全て「神様から」 なのです。 (悪魔じゃないよ!)
「多く与えられた者は、多く求められる」 が、神様の国のルールであり、
多くの才能や、多くの賜物、多くの経験や、多くの権力等、多くを与えられた者は、大きな責務を担うこととなり、それだけ厳しく、多くの責任と結果を神様から求められていることになります。
そのため、試練も大きくなりやすいです。
大きな財力を頂いている方も、同じです。 それを何に、どのように、何のために使うのかが、厳しく問われるのです。
以前から、よく羽生ファンを驚かせてきた羽生選手の発言に、
「腰が砕けても…」 とか、「魂を削って…」などという発言があったのですが、
それは、そのこと(スケート)に才能と使命を与えられている者として、それほどの情熱と、覚悟をもって臨んでいる、
という思いのストレートな表明だと思って、私は聞いていました。
「使命」とは、「命」を「使う」こと、すなわち、「その人が命を懸けるに値するほどのこと」です。
これは一人一人違いますが、それが何なのかを見つけられることは、生きている意味が明確に見つかることでもありますから、
それが何か判っているということは、とても幸せなことです。
また、これら(才能やそのほか、天から頂いているもの)を、適切に使っていくと、さらに神様から多く与えられる 一方で、
その「与えられているもの」を、使わずに しまっておいたり、適切に使わなかったり、無駄にしたり、間違った目的に使ったり、土の中に埋めたりして隠していると、持っていたものまでもが神様によって取り上げられてしまう
ことが、聖書には明確に書かれています。
ここでいう「才能」やら「賜物」、「天から頂いているもの」、というのは、
別に、いわゆる「天才」と呼ばれるほどの人たちではなくても、誰にでも、全ての人間に、必ず何かが与えられているもの です。
形や目的、そのあり方は様々ですが、あなたにも私にも、必ず与えられているものがある のです。
それをきちんと見つけ、きちんと適切に、使うべきもののために使っていけるかどうか、
どう使うか、それとも、使わずに土に隠してしまうのか、
あるいは、羽生選手が良く言っていたみたいに、出し惜しみせずに使いきっていき、社会に還元したり貢献していくのか、で、
その後に与えられるものも、人生も変わっていく、と聖書は明確に語っています。
ところが、それをやろうとすると、(使命を果たそうとすると)、
必ずと言っていいほど、悪魔の妨害というものを受けるのです。
羽生選手ほど、ド派手に執拗に攻撃されなくても、 誰であっても、大なり小なり、そういう攻撃は受けるようになります。
その攻撃を交わすカギとなるのが、
「レッツゴー・クレイジー!」の中で、「Purple Banana」と表現されている、救い主 イエス=キリストです。
落ち込ませられるようなことが次々と起きたりして、妨げにあいますけど、
そんなものに負けずに、
熱中して、熱狂して、熱心に、真剣に、無我夢中でやるべきことをやり、神様に守られながら、
一人一人が、その人に与えられている使命を果たしていくことを奨励しているーーーー
それこそが、今シーズンの羽生選手のショート、「レッツ・ゴー・クレイジー!」で、
プリンスさんが歌っている内容でもあるのです。
「崖っぷちだらけ」 と羽生選手は、自分の足跡を振り返って語っていましたけど、
そんな、次から次への試練が来る中でも、
小宇宙やら、新しい星やらが生まれているかも、と語ってくれた羽生選手には、
新しい星の輝きに囲まれながら、
楽しく、ノッテ・スベッターラ~♪ との言葉を贈ります!
さて、最近放送された、「KENJIの部屋」で、本田武史さん特集がありました。
今はコーチ兼、プロスケーターをしていらっしゃいる本田さんは、この番組でも語っておられましたけど、
試合では4回転トウループと、4回転サルコウの、両方を最初に決めた日本人であり、日本に4回転ジャンプ時代をもたらした最初の一人です。
でも、「練習では」ですけど、当時から、4回転ルッツ、4回転フリップ、4回転ループも跳べていて、4回転+4回転まで跳んでいたことを告白しています!
KENJIの部屋 本田武史さんの回1回目
しかしプログラムの中に入れた練習では、4回転ループだけはちょっと失敗していたそうです。
4回転ルッツとフリップは、それぞれ2人以上の選手が試合で跳んでいますけど、
現在、4回転ループは試合で羽生選手以外が決めることができていないので、やはり、この本田さんの発言を見ても、
4回転だと事実上、ループが一番跳びにくいのではないかと私は思いましたけど、どうでしょうね。
さて、この本田さん、4回転を跳ぶコツを、「ノリ」 だと語っておられます。
・・・ってことは、やっぱり、「ノッテ・滑ったーラ!」は正しい のですよね?!
ノリノリが良い、と。
さらには、4回回り切るまで締めておく… がコツだそうです。
なんてわかりやすい! そ、そりゃそうですね!(笑)
昔から、本田さんは4回転のコツを、「4回回って降りるだけ!」だと答えていました。 …変わってない!(笑)
でも、この最後のところが怖いのだそうで、その恐怖を克服出来るかどうか…がポイントのようです。
羽生選手になら、これらの言葉の意味するところは、きっと通じるのでしょうか。(笑)
怖さの克服なら、羽生選手は得意そうというか… 大丈夫そうですね。
羽生選手と同じように、空中でどんなに曲がっていても、その一瞬で、「あ、もう少し右だった」 だのなんだのと、
軸を修正して着氷できたそうです。
あの回っている一瞬で、4つぐらいのことを考えられる、と。
羽生選手の言っていることと、すごく似ているな~と思った私でした。
羽生選手は3D映像が見えるそうですが、本田さんはそうは言っていなかったけど、空中で感覚で修正できるらしいですね。
4回転の話で、本田さんからここまで詳しく聞けたのは、初めてかもしれません。
天才のジャンプの世界を垣間見せてもらったような、そんなお話でした!
ついでに本田さんは、長野五輪の直前、外国に移住したばかりで、実はすごいホームシック状態だったことを告白しています。
インターネットも携帯もない時代でしたし、英語も話せなかったそうです。
そうだったんですね…
でも、北米に長く住んでいたので、最後には英語より日本語のほうが怪しい状態になっていたようです。
確かに、本田さんの英語は、かなり発音も良く、堪能だったような印象があります。
こちらでは、引退間近の頃の心境や状況、そして今の思いなどを語って下さっています。
KENJIの部屋 本田武史さん第2回
ちょっと辛いのは、やはり引退間近の頃、どんな体の状態だったのか、その辛さやボロボロ具合を語って下さっているあたりです。
…私としては、羽生選手には、本当に同じ目にあってほしくないので…
どうか大事に頑張ってほしいです。
本田さんは、辛いことも多かったけど、今ではスケートがやっぱり好きだったんだと思えているそうで、本当に良かったと思いました!
最後に、「仙台放送」が、すごいポスターを作って、羽生選手を応援 していますので、それをご紹介。
ショート、フリー、エキシビションの衣装違いの写真を3つと、なんと、練習着のものまで!… さすが羽生選手の地元・仙台ですね。
そして何より、このキャッチコピーがまた、なかなか素晴らしい!(笑)
「羽ばたくたびに、星が降る夜」 ですって!
…そ、そ、そうだったのか!
宇宙をぐるぐる回っていた私は、羽生白鳥が羽ばたくたびに、星が降っていたとは、今まで気づきませんでした!
… 次回、楽しみにしておきます!(笑)
羽生選手!
「良い音楽」「良い言葉」を聞いて、心身を 良い状態に整えて、楽しく 頑張って下さい~~!!