※ご注意:韓国においても、平昌五輪前から「本当に」ファンだった方々には、懐かしいこのページを再UPいたします。「旧・統一協会」(世界平和統一家庭連合)は、キリスト教とは全く認められていませんので、勘違いしないよう、どうぞ十分にご注意ください。
日本は「力を合わせるべき隣国」 韓国の尹大統領が光復節で初演説 元徴用工問題に言及なし:東京新聞 TOKYO Web
「悪魔は偽りの父」だと聖書は語ります。強要や脅迫、監禁、虚偽流布は、真の「美しさ」からは最も遠い人間たちのすることです。
ロッテが2月27日に、全国の読売新聞に6種類の、羽生選手の広告を「We respect you」と題して展開。(ロッテ公式ツイッター) 「勇気ある人だけが、高く跳べる」他、6つのキャッチコピーで。
羽生選手は何一つ、韓国に対しても日本に対しても、恥じるようなことはしておりませんし、日本で羽生選手に対して行われてきたあまりにも酷すぎる人権侵害の数々が、決して肯定されるはずもないので、羽生選手には堂々としていてほしいですね!
平昌五輪シーズンと平昌五輪本番の衣装は、足立奈緒さんの衣装でした。しかし、2018年以降、Originを侮辱と技術妨害・名誉毀損の衣装でつぶされ、望まない人間の衣装を強要をされ、4大陸選手権2020の「新SEIMEI」の衣装には、蛍光色の黄緑をしかけられ、現地観客をギョッとさせましたし、和の衣装を侮辱的に変えられるなどしてきたので、これらの強要をしてきた人間を、羽生結弦は法的措置で闘っています。
それでも、羽生選手の真の想いを理解して、優勝して掲げられた国旗の背後に、素敵な宇宙の星々が流れる映像を映して、粋な演出をして理解を示して下さいました、現地韓国の 誠意ある方々に、心より感謝申し上げます!あれは涙が出ましたね…!
…羽生選手が頑張ってきたのは、外国に喧嘩を売ったり、外国と優劣争いをするためではありません。それなのに、わざと関係を悪化させる方向へと虚偽を流布し、ひたすら妨害して怪我を仕掛ける衣装を強要してきた卑劣な行為は名誉毀損であり偽計業務妨害・侮辱・信用毀損です。
2018年の10月に初掲載のこのページは、平昌五輪前に掲載した日本と韓国にまつわる記事の、続きとしてUPしました。
プログラム「SEIMEI」の根底にあり、「Origin」の源となっている一つです。2020年の7月、羽生選手がISUアワードで、最優秀選手賞を受賞した後にも再UPさせています。(衣装賞は受賞していませんので嘘にご注意。)
羽生選手は脅迫で強要されて、自分から望んでもいない人の衣装を押し付けられてきたわけですが、その衣装を作った人間は、全日本選手権2020の最中に、大日本帝国軍のマンガの残酷キャラをわざとクリスマスに祝ってアピールしたり、この記事の中にある「扇子」と「センス」を裏アカウント(「カモンカモン×××」以前は「さとみ★YUZU」)を名乗りながらネタにして笑ってたりなど、明らかに羽生選手と私への侮辱と意図的妨害行為を繰り返し行ってきました。(こちらのぺージで証拠をどうぞ)
公式サイトに、著作権表記を2023年などと「まだ来ていない未来」で表記する人間は、著作権がないことを最初から認めているか、都合よく誤魔化せるようにした卑怯な手法にしか見えません。(著作権は、それが発生した年、つまり創作された年を普通は表記します。)
フィギュアスケートマガジンで、技術妨害衣装を作って脅迫者の脅迫で強要し続けた人間は、自分で「最優秀衣装賞」を受賞したということにしてしまい(実際に受賞したのはアメリカのアイスダンサーチームです) イエス=キリストを意味していた「紫のレッツゴー・クレイジー衣装」も「なかったこと」にしてしまいましたし、その他も酷い内容だらけ。問題の重さを証明して下さったフィギュアスケートマガジン記者には心より感謝いたします!(本人が語った通りに書いた記者は、謝罪の必要などはないです)
2018年に掲載していた、このページの内容をよくご確認いただければ、どれほど酷いことの連続だったか、よくわかることでしょう。
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2020年7月12日追記: 羽生選手は、ISUスケートアワードで、2019‐2020シーズンの最優秀選手賞を受賞!
新型コロナによる「世界選手権2020」の中止により、シーズン最後の試合となった4大陸選手権(会場:韓国)での「スーパースラム達成」は、衣装での激しい妨害を乗り越えて手にしたもので、日韓で非常に重要な歴史的な意味をもつ年に、本当に価値のあるものとなったと思います。ここまで、すべてをお導き下さった神様に、感謝します!ハレルヤ♪
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今年(2020年)は、韓国で「建国のヒロイン」とされている、ユ・カンスンさんが(大日本帝国軍に)殺されて殉国されてから、ちょうど100年目となります。
4月18日: 今年の四大陸選手権の舞台裏の真実、そのベースとなるのはこのページなので再UPします!
4月20日追記:世界選手権中止が決定した3月中旬、トレイシーコーチが投稿して下さった、羽生選手からのメッセージ動画はこちらです。 一番左のジェイソン選手はユダヤ系アメリカ人、その隣のチャ選手は韓国人、羽生選手の隣のクラコワ選手はポーランド代表。
3月1日は、韓国でかつて「3.1独立運動」という、日本からの(植民地時代の)独立運動が起きた日です。その記念式典があったそうですが、韓国の大統領から、日本に向けて「共に危機を克服しよう」と呼びかけがありました。こちらの日テレニュースより。(映像付き)
日本の外務省スポーツアカウントが、羽生選手の4大陸選手権2020(韓国・ソウル)での、スーパースラム達成を祝福して下さっています!こちら
「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。」(ガラテヤ人への手紙5章1節 新約聖書 新改訳2017より)
あまりにも残酷すぎてこのページには書くのを遠慮してしまった、あるいは、写真を掲載するのをやめてしまった、数多くの残虐非道な歴史的事実・沢山の証言があり、その重すぎるほどの悲劇的な歴史の上に、初めて羽生選手の金メダルもあったこと、そのことを、羽生選手を応援する日本人としては、思い上がることも勘違いすることもなく、永久に忘れないでいたいものです。
※ 五芒星というのは、当時の大日本帝国軍が、軍帽につけてシンボルにしていたものです。実はこれは、有名な悪魔崇拝世界のシンボルでもあります。(当時の日本は知らなかったどころか、魔よけだと信じていたわけですが。)
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基本的人権、国民主権、が定められていることが当たり前でなかった時代を振り返り、その深い意味と有難さを、かみしめたいものです。
決して忘れても誤魔化してもいけない歴史上の罪、人間神格化の大罪を、日本が心から悔い改め、真の天地創造主の赦しを得られますように…!
二度と同じ過ちを犯す愚に陥ることがなきよう、決して「美化」されることなく、絶えず「真実」こそが国民に明らかにされていきますよう、罪を赦す権威を唯一持つ真の神で真の救い主、王の中の王、主の中の主である、主イエス=キリストの御名で祈ります!アーメン。
2019年3月1日: 1919年の3.1独立運動(韓国が日本の植民地支配から独立解放を求めた運動)から、今日でちょうど100年となります。
当時の韓国の大勢の犠牲者を悼み、韓国はもちろん、日本でも日本人に行われていた「人権蹂躙」の歴史を2度と繰り返さずに済みますよう、心から主イエス=キリストの御名でお祈りいたします。
今も苦しめられ、心に深い傷を負われている方々の癒しがたい痛みを、その痛みを誰よりも知る主が癒して下さり、100年も続く深い「憎しみの連鎖」から解放されていきますよう、心より真剣に、主イエス=キリストの御名で祈ります。
戦争を回避し続けることのできた平成最後の年、同じ人間を奴隷のように扱うことが、人間お一人お一人を造られた、天地創造主への大きな罪であることはもちろん、人間神格化というのも、(正真正銘の本物の救世主である場合を除き、)勝手に神格化させられた本人が誰よりも苦しめられる、天地創造主への大罪だということを忘れないでいきたいものです。
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初掲載:2018年10月20日
史上最年少、23歳で、日本で国民栄誉賞を受賞した羽生選手。
わずか17歳の年齢でその生涯を終え、韓国を独立へと導いたきっかけを作った人として韓国史に残る英雄となっている、韓国の、ユ・カンスンさん。
―――私は決して、この二人を特別な英雄視したくて、このページを書くのではなく、その瞳の先に見つめてきたもの―――それこそが、日本と朝鮮半島との、ひいてはそれを巻き込んだ世界の未来の行方をも決める可能性があると思うからこそ、の想いで書きます。
今年の平昌五輪で、私は幸いにも羽生選手の演技を全て、現地で観ることが出来ました。
これは、羽生選手があれほどの大怪我を負ったことで、多くの人がチケットを手放したりキャンセルしたりしたことを土台として、私にとっては、色々な形での、すごい奇跡に次ぐ奇跡の連続が起きて、実現したことでした。
そして、平昌五輪前の、1月下旬に出した記事「 日本人が、平昌五輪の前に知っておきたい簡単な日韓の歴史~ …」
これを書いた以上は、やはりこの場所に自分で行って、自分の目で見ておく必要があると感じ、羽生選手の金メダルが確定した後、私は実際に、ここの場所に足を運んで、見てきました。(上のページをご覧になったことがない方々は、よろしければお読みください。)
「ここ」とは、上の記事で取り上げた、日本がかつて 韓国の独立運動家たちを逮捕して収監した獄舎などを、保存公開しているという「西大門刑務所歴史館」。
日本植民地時代に朝鮮半島に設けられた刑務所の中では、最大規模だったという場所。
そこで私が実際に見たものの一部を、ほんの少しだけ、ここにご報告しておきたいと思います。
アジア人とわかる人は大勢いたものの、すぐに日本人とわかるような人は、特に見かけませんでしたし、日本語を話す観光客にも、私は遭遇しませんでした。
(周囲にいた人たちが本当はどこの国の人なのかまでは、見た目だけでは全然特定できませんけれども…)
やはり、この場所にわざわざ足を運ぶ日本人がいるとしたら、本気で歴史を知りたいと思い、相手国が何を記録し、主張しているのかを知りたいと強く願う人たちぐらいでしょう。
羽生ファンで、現地に行った人たちでも、この場所を実際に見た人は恐らくほとんどいないだろうと思います。
だからこそ、その記録と写真を、少しだけご紹介していきたいと思います。
まず、こちらが入り口から見た建物の全体像。
これは、全体の案内図です。
上の地図の中に、「扇形」の謎の建造物が見えるかと思います。
これが何なのかについては、後に説明します。
建物の中に入って最初に出てくる、壁につけられたタイトルの文字。
「自由と平和のための80年の闘いの歴史」というタイトルで、「西大門監獄歴史館」と書かれていました。
これを見ると、韓国側の歴史認識では、この「自由と平和のための闘いの歴史」は、
1908年~1987年という認識のようです。
1908年に始まった―――つまり、2018年である今年は、それからちょうど110年経った、ということになります。
平昌五輪は、その110年目にあたる今年に開催されたのですね!
もう一つの、1987年ーーーー羽生選手はまだ生まれていない年ですが、プルシェンコさんは生まれていますね。
次に、敷地内の他の建物の様子。
かつて収監所だった建物、というのが、よくわかる扉、雰囲気です。
次の写真は、ちょっと説明が必要です。
この西大門刑務所(歴史館)で観た中で、ある意味では私が一番ショックを受けたといえるものは、実はこれでした。
こんなものがあるという事前情報は全くなかったので、知らなかったし想像もしていなかったことが、衝撃度を高めた感じです。どこにも紹介されていなかったので、最初、これを見た時は怪訝に思い、そして、これが何なのかの説明を読んだときは大変なショックを受けました。
この看板の向こう側に残されていた「遺跡」は、日本の伝統的文化物の中でも、私が特に素敵だと思っている「扇子」(センス)の形をかたどって、わざわざ上から見ると「扇形」になるように作られた、謎の壁のようなスペースでした。
(これはいったい何?)と誰でも思うかと思います。
日本語での説明文もあります。 書いてあることを下に転載してみます。
「受刑者が運動する際、互いに話をすることを防止し、受刑者に対する監視を容易にするために複数の隔壁を作り、
各区画に受刑者を別々に収容して運動させた運動施設。
1920年代に建てられたが、解放後に撤去されていたものを 2011年に元の場所から 約20M移動して復元した。」
私は、「扇子(せんす)」は、日本の美しい文化的なものの象徴の一つだと思っていて、よく外国人へのプレゼントに使っていました。色んなデザインのものを見るのも好きです。
でも、「扇子(せんす)」を、こんな「一種の拷問」のための場所としてわざわざデザインに取り入れて作った、「大日本帝国軍」のあまりのセンスの無さには、驚き呆れ、強い怒りを感じるとともに、ガッカリ感と、本当にやりきれない思いを私は感じました。
なぜ当時の日本側は、こんな形で日本の文化を強調・利用したのでしょう。
本当に狂ってるんだな、と思いました。
次の写真も、悲しい記録です。
↓ この部屋は、大日本帝国軍が 韓国に残していった、収監者(犠牲者)の記録のカードが 壁一面にずらっと並べて貼られた部屋でした。
当時の大日本帝国軍によって、ここの収監所に入れられ、ここで尋問や拷問を受け、あるいは最後には殺された人々の記録、その膨大な情報を、日本軍(大日本帝国軍)は、韓国に置いて行ったそうですが、それをそのまま残して展示してありました。
一つ一つは、個人情報カードみたいになっていて、その人の写真や、お名前などが書かれていましたが、写真は、前から撮ったものと横から撮影されたものが2つ並べられて貼られているものが多かったです。
一人一人を「監視や管理のため」に記録したのは、もちろん、当時の日本側です。
この写真は、その部屋の中の一部の壁です。写真手前で写っていない壁にも、びっしりと貼られていました。
ここに貼られている方々は、収監者のすべてではなく、およそ7割ぐらいだと推定されているようです。
こういうものを見ると、私が直ちに思い出すのは、やはり広島の原爆資料館などです。
あまりにも多い犠牲者の数を、こうして視覚化されて見てみると、本当に改めて言葉を失いますし、重く厳粛な気持ちになります…
他にも、あまりにも残酷で、写真にとる気持ちにはとてもなれなかった、日本軍が韓国人の収監者への拷問に使ったという、残酷な拷問の道具も、リアルな状態のまま残って展示されていて、それを見た時は本当にゾッとしましたし、同じように、私の周囲でそれを目にした他の見物人たちも、軽い悲鳴を上げたり、ショックで思わず息を呑んだりしていました。
どう見ても殺す気満々としか思えないその拷問の道具は、本当に、なぜ人間はここまで残虐になれるのか…
やはり、当時それを行っていた日本側が、相手を「同じ人間」だとは思っていなかったからこそ、やれたことだろうと強く感じました。
それでも、全体としては、以前と比べれば、残酷な展示物はかなり減らされたと言われていただけのことはあり、(2010年の改修前までは、凄惨な拷問描写があったらしいのですが、今は減らして、戦後の韓国の民主化運動の展示を取り入れてあるとのことでした)
他には、そんなに残酷なものが残されていたとは思いませんでしたけど、
やはり私がショックを受けたのは、女性たちが収監されていたという場所と、その拷問に使われたという跡地、
そして、独立運動で日本に抵抗した人たちの処刑に使われた場所、です。
本当にただただ、神様に祈るしか出来ませんでしたけど、でも、日本人側であってもこうして祈れるということの究極の幸いを胸に刻みつつ、色々なことを感じ、想いながら、精一杯祈らせてもらいました。
私たちが、日々当たり前のように受けている恩恵や平和というのは、こうした多くの犠牲者や、命をかけて闘った人たちが大勢いて、その重い歴史の上に初めて「現代」があり、「今日」があり、私たちの「今の生活」が成り立っていますが、
でも、こうして後世に生きる私たちが、少しでも真実と真理を真摯に追求し、
「ねつ造」や「作り話」ではない、歴史の真実に触れ、色々なことを感じ、想い、考え、
真の天地創造主たる神様に祈れることこそが、
究極の幸いでもあり、恵みであり、救いでもあり、そして、未来へ向けての希望でもあるのだと気が付きます…
やはり私は日本人なので、「韓国側の視点」というものには、ここに来て初めて気づくこと、知ることが、いくつもありました。
その典型的に思えたのが、次のものです。
以前の記事でも書きましたが、韓国では、その独立の歴史においてかなりの英雄となっている、「ユ・カンスン」さんという、殉国 当時まだ17歳だったという、女子学生の記録です。
1919年4月に、彼女のご両親が、その場で日本軍に殺されています。
(ユ・カンスンさんが16歳の時。)
独立万歳運動の現場で殉国、と書かれているのは、そういう意味です。
ユ・カンスンさん本人も、1920年9月28日に、西大門刑務所女子獄舎の中で「殉国」と書かれているので、刑務所の中で、日本軍に殺されたのだとわかります。
わずか、17歳の時でした。
ところで、私はちょっとものすごい発見をしたのですが、このユ・カンスンさんは、12月17日生まれ、となっていました。(1902年ですが)
12月17日って、実は宇野選手と同じ誕生日ですよね?
羽生選手は、その10日前の、12月7日生まれですけれども。
あれあれ? 神様は面白いことをなさるなあ、と。
平昌五輪の金銀が、日本男子である羽生選手と宇野選手だったことには、全ての起源でもあり、全てを支配されている真の天地創造主の神様の視点から見ると、何やら深い意味と御計画がありそうですね。
さて、この刑務所歴史館の中の、殆どのものは、韓国語と英語だけの表記ばかりで日本語の翻訳はなく、日本人が来ることをあまり期待していないような造りの場所でしたが、わずかに少しだけ、日本語訳がつけられているものがあるにはありました。
これは、その数少ない、「日本語訳の付けられた」ものの一つでした。
つまり、韓国側としては、「これらだけは、どうしても日本から来た人たちがいたら、是非とも知ってもらいたい」と強く思っている内容なのだろう、と私は感じました。
これによると、彼女は教会や学校を周って、書き上げた「独立宣言書」を配ったのだとわかります。
(日本軍からの)拷問を受けたとされる場所や、処刑された場所(の跡地)には、その説明文もありましたが、そこは韓国語と英語だけでした。
彼女が広めることに貢献した、1919年の3月1日に出された、「韓国の独立宣言書」とは、次のようなものです。
『3.1独立宣言書』
「われわれは、わが朝鮮の独立と朝鮮人民が自由民であることを宣言する。
これを世界各国に告げ、人類は平等であると明らかにし、子孫に教え、民族の独立を正当な権利として永遠に保持させるものである。
5000年の歴史の権威によって宣言し、2000万の民衆の忠誠を合わせて、明らかにするものである。
これはすべての人類がともに生きるための正当な権利であって、何人たりともこれを阻止して弾圧することはできない。」
(現代の日本の中学校で使われている、中学歴史資料集より)
この ユ・カンスンさんは、3.1独立運動のあった、1919年の1年後、「1920年」の9月に、この獄舎の中で「殉国」したと、書かれています。
つまり、日本側に殺された、(=韓国という国の独立のために死んだ)ということです。
ちなみに、この1920年、日本では何が起きていたかというと、明治天皇(※天皇は一種の「王様」ポジションとはいえ、王様だろうが何だろうが、天地創造主たる真の神から見たら、もちろんただの人間に過ぎません)を「神格化」して祀った「明治神宮」が作られた年と同じなのです。
言うまでもなく、(本物の救世主である場合を除き、)「ただの人間を神格化すること」や「ただの人間をメシア(=救世主)や神だとすること」は、聖書において、大変に大きな罪です。
「天皇は生きた神である、日本こそは神国で他の国々に優越する」などという「深刻」な「間違った優越感」に浸った「創作話」により、日本が狂気にひた走っていく、その大きな土台が、この1920年に見えるようです…
この「狂気」は、「神風特攻隊」に代表されるような、諸外国から見たら立派な「自爆テロ」と認定される行動を日本の若者たちに煽り、または多くの若者に強要して、多数の日本人の犠牲者も出し、広島と長崎という地への、2度もの原爆投下という、人類史上最大レベルの大悲劇・大惨事を日本にもたらし、想像を絶するほどの犠牲者を出して、終焉を迎えました。
今は2018年、来年は2019年ですから、1919年から、来年で、ちょうど100年ということになりますね。
1945年の8月15日の終戦となった日から、半年後の、1946年の元旦である1月1日に、
「生きた神」だとされていた日本の天皇自らが出した「人間宣言」の文とは、このようなものでした。
天皇の「人間宣言」(1946年1月1日)
「私は国民とともにあり、いつも利害を同じくし、喜びも悲しみもともにしようと思う。私と国民との結びつきは、つねにたがいの信頼と敬愛とにあり、
…天皇を現御神(あきつみかみ)(=現人神・あらひとがみ ※人間を生きた神とすること)とし、日本国民は多民族より優れていて、世界を支配する使命があるという 『つくりごと』 によるものではない…」
昭和天皇は、それまでの「天皇は神の子孫」「生きた神」だという、日本神話(※古事記・日本書紀のことです)を土台としてきた、その考え方を自ら否定しました。
(※ 注釈:「神の子となる」「神の子、その子孫とされる」という考えや表現は、実は聖書の中に出てきます。でも、それはかなり意味が違います。「神の子」は、「救い主」(=本物のメシア、キリスト)そのものを指す言葉でもあり、また、「神の子とされる」という表現は、その救い主(=メシア、キリスト)信じた全ての人たちのことを指す言葉なのです。
『救い主イエスを信じた人たちは、天地創造主の神によって、まるで自分の子供のように、「神の子」として扱われるようになり、人間の側からは、天地創造主の神を「父」と呼ぶことが出来るほど親密な関係を築け、神の分身たる「聖霊」がその人の内に与えられ、光を放ち、聖霊に導かれて生きるようになる』と聖書は語っており、そのことを指しています。
「(特定の人間が)神になる、あるいは、神と同じになって偉くなる」などという意味では全然ありません。)
「平和を実現する者は、幸いである。その人たちは、神の子と呼ばれる。」 (マタイによる福音書5章9節 新約聖書 新共同訳より)
さて、このユ・カンスンさんに関する展示の中で、何よりも私の印象に残ったのは、「拷問を受けた直後だと推定される」という、彼女の写真でした。
拷問をした側の日本軍によって撮られて残されていたというその写真は、他の写真から受ける印象とはまた全然違っていて、まっすぐに、その写真を撮る人を見つめていて、でも、その目が、もう驚くほど澄んでいてキレイで、むしろ優しく、無垢な小鹿のような瞳だったことに、私は驚いて息を呑み、そして、しばらくその写真の前から全く動けませんでした。
恐らく、その胸に深い深い哀しみや痛みは当然あったはずだと思われましたけど…
でも、写真を撮る相手を見つめる彼女のその目には、恨みや怒りの色などは何もうかがえずーーーー少なくとも私には、そういったものを全く感じさせないような、本当に澄んだ目だったのです。
その写真は、他の何よりも、多くの深い真実を知らせ、真理を雄弁に語っているように思いました。
(この女性は、実際にはどんな人だったのだろう…)
そんな私の想いや疑問に、神様はこの写真を通して、すぐに、まっすぐな答えを下さったと感じました。
この写真を撮った人は、もちろん日本軍側の日本人なはずですが、その人は当時、彼女のこの目を見て撮影しながら、一体何を感じたのでしょうか… それとも、何も感じなかったのでしょうか…?
私は、自分が日本人としてその場に立っていることの意味や、同じ女性としての視点でこの女性を見た時の気持ち、など、色んな思いが混ざりながら、とても打ちのめされたような、重い、厳粛な気持ちになりながら、この場所を後にしました。
でも、その彼女の「目」は、羽生選手がある時に見せてくれた「目」をも、私に思い出させたのです。
理不尽に思われるような目に遭い、深い悲しみと酷い痛みとを体験しながらもーーー
でも、だからこそ、さらに「澄んだ」と思われる、その「瞳」の向こうに見えていたもの、真っすぐに見つめていたものは、一体何だったでしょうか。
韓国側が、1908年に始まったと考えている、自由と平和への闘いの歴史から、ピッタリ110年目となり、3.1独立運動の起きた1919年からあと1年で100年目となる 2018年の今年、奇しくも日本側だった羽生選手がその表彰台の上で、やっと、
「誰にも侵害されない「本当の自由」を感じて涙を流した」、ということの意味は、ナントカ人、なんて本当は関係ない、人間の本質を表していると思いますし、闘うべき「本当の敵」は、実は韓国人も日本人も共通であり、同じであると、気がつかせてくれます。
羽生選手が、フィギュアスケーターであったこと、軍隊として韓国に行くのではなく、フィギュアスケーターとして五輪で韓国に遣わされたこと、そして、今もフィギュアスケーターでいられること、滑れていることを、心から神様に、本当に感謝したいと思います。
羽生選手の活躍の場が、命を殺し合う場ではなく、命を「生かし」「活かし」、生命の力を「輝かすこと」の出来る場であり舞台であることは、何よりも本当に嬉しく、有り難いことだなと改めて思います。
人間にとって、本当の「幸せ」とは何か。
聖書では、幸せについて、イエス=キリストが次のように語ったことが記録されています。
「心の貧しい人は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐みを受ける。
心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
---- イエス=キリストの言葉
(マタイによる福音書 5章3~12節 新約聖書 新共同訳より)
平和を求める祈り
神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。
人々の身代わりとなって罪を背負い、愛によって赦しを与える、唯一の神であり 真の救世主、主イエス=キリストの御名によって。アーメン。
これからの羽生結弦に、大きな大きな祝福がありますように…! 主イエス=キリストの御名によって祈ります。 アーメン。
自分がどの様な心境の時も、このページもまた毎回最後には涙をこらえることが出来ません。すみません、明るいコメントを送らせて頂くべきなのに。
少しだけよろしいでしょうか?
長い時間がたっても、形は変われど何かしら理不尽な事が起こりますね。
罪のない方々や、未来ある方々が道を閉ざされ苦しむような事はあってはならないと思います
毎日イエス様に、平和を求め祈らせて頂いてます。 ( いつか、届くことがあります様に……。)
ありがとうございました。
Y様、コメントどうもありがとうございます!
いつもお祈り下さっているとのこと、本当にどうもありがとうございます!
たとえ誰が、Y様の行動や想いを知らずとも、その事実、想いは、必ず神様(イエス様)がご存知で、天に記録されています。
どこかの国の何かをかばうと、必ず、その国を嫌って憎んでいるような人たちから、かなり見当違いなコメントや嫌がらせがあったりしますが、そういう方々は、そもそも、こちらの本当の想いも知らなければ、前提となる知識も間違っていたり、とにかく自分たちが優越していると思い込まないと アイデンティティが保てない方々が多いのだと思います。
しかし、その方々も、そもそも、自分のアイデンティティや価値の根拠を求める所を根本的に間違えているからこそ、そういうことになっていくのです。
羽生選手は、信じ難いほどの理不尽な目にかなりあってきましたけど、それを乗り越えて、ここまで本当によく頑張って下さっていると思います。
Y様の想いは、羽生選手も嬉しいと思います!
Y様に、神様からの大きな祝福がありますように、心から主イエス=キリストの御名でお祈りいたします!アーメン。