羽生選手が殿役で、友情出演した、
「殿!利息でござる!」 を観てまいりました。
詳細情報のある、公式HP → http://tono-gozaru.jp/
基本的に私は、史実に則した内容を描いた映画が一番好きで、(もちろん、多少の脚色はあったとしても)、
そのほうが面白いし、そういうものこそ、観る価値があると思っています。
一応、原作も何も読まず、宣伝文句とメイキング動画と、ネタバレ動画だけを観てから、観ました。
以下、既に公開されている情報以上のネタバレにならない程度に感想を。
まず、メイキング動画で、庶民すぎて笑えた妻夫木さんですが、スクリーンでは逆に、良い意味で色々と裏切られましたね。(笑)
豪華俳優陣は演技力も安定していて、主役の阿部サダヲさんのキャラがなかなか魅力的で、松田龍平さんは強烈で(笑)、安心してみていられる感じでした。
話は後半の展開がなかなか不意をつかれて素晴らしく、とても良かったと思いました。
映画を見始めてすぐに思ったのは、
「お上!(おかみ)、 酷いじゃないの!」 (←お上とは、羽生選手の役のことです)
続いて思ったのは、
「殿! セコイでござる!」(笑)
続けて、
「殿! それはダメダメでごさるな!」
「殿! それはないでござる!」
(以下、延々続く…) という感じで、ずっと殿様に心の中で直訴したくなる展開でござった~!(笑)
一体ここの殿様は、どれだけ酷いの… という流れ。
わかってはいましたけどね…。(笑)
この殿様役が羽生選手だと解っている羽生ファンとしては、
(ああ… こ、こんな酷い役を、友情出演で 快く引き受けただなんて、
羽生選手は一体どこまで「無私な人」だったの…?! )と、
変なところで、逆に妙にいたたまれなくなって、うるうると感動してくる始末でございました。
殿~!ちょんまげを、何度も指でちょん!と隠して、申し訳ございませんでした~!(涙)
羽生藩の民は、深く反省いたしましたぞ~!
(でも、今、落ち込んでいる方にはやっぱり奨励。(笑))
思っていたよりも、コメディ調でもなくて、むしろ、真剣な感動ものの印象なお話でしたね。
少なくともギャグ話って呼ぶ感じではなかったです。 誤解しておりました、スミマセン!
しかし、「あ、こういう流れでの登場だったのかー! 」 と。
あの場面ばかり繰り返し、宣伝で見させられていた私でも、さすがに映画の中の庶民の気分になって、ドキドキしました。
羽生選手の演技は全く違和感なく、確かに気品が漂っていて、配役としては適役だったように見えました。
・・・というか、思った以上に自然で、なおかつ、カッコよすぎでした。 セリフも、振る舞いも。
だからそこがですね、羽生ファンとしては、「殿! 理想でござる!」と叫びたいところなのですが、
話の流れや、史実を考えると、逆にそれはどうなの?!
庶民をこんなに苦しめたのに、こんなにカッコよくて良いの?!という意味で、
「しかし殿! ちょっとそれは反則ではござらんのか?!」(笑)という感じでした。
「重村である!」は、宣伝の時から良い声だな~と思っていましたけど、
予想外にもその後もずっと、声がすごくカッコよくて、(セリフもカッコイイのだけど、)
おまけに、確かに事前に役者さんたちに言われていた通り、なぜか滅茶苦茶爽やかで、
映画館出た後まで爽やかな風につつまれているような感覚が残るほどで、そこが凄かった!!
短い登場場面でも、確かにインパクト大でした。
ビックリしましたね。
確かに庶民との差が、良い意味でものすごく出ている感じ。 声がとても凛としていたのかな。
役者さんの演技臭くない、自然な感じが良かったのかもしれませんが、
やはり羽生選手は、根っからの「王者気質」「殿様気質」だからじゃないか、と思えましたね。
メイキングでは、羽生選手は声色まで監督に確認していましたけど、たぶん羽生選手のそういった計算も、
しっかりと成功しているのでしょう。
阿部サダヲさんが、「羽生さんは天空の人」だなんて、思わず、「…ラピュタですか?」と笑ってツッコミを入れたいような言葉を語ってくれていましたけど、
大げさな話ではなく、なるほど、言いたいことは良く分かりました。(笑)
しかし、羽生ファンとしては、殿があまりにも凄いスピードで、サッサと、颯爽とお帰りになられるので、
思わず、
「殿! 早速(さそく)でござる!」と叫んで、
馬か鹿に乗って、追いかけたい気分になりました。
今、
「なるほど、馬・鹿でござるな!」と、心から感動して下さった皆様・・・
有り難き感想でございます。
(注:「うま・しか」、と読むか、連続して音読みで読むかは、あなた次第です!)
でもきっと、あれくらいの登場時間だからこそ、強烈なインパクトも残せて、ちょうどよいのかもしれません…
羽生選手は、短時間集中勝負の演技が得意ですし。
話の流れ的に、
「どんな酷い殿様なの!」 → 「 え、こんなにカッコイイ殿だったの?!」
という意味でのギャップが一番印象に残ってしまったので、それは史実的には良いのかどうか不明ですが(汗)、
映画としては成功だったと思います。
特に最後のセリフはカッコよくて、うっかり惚れそうなくらいなのですが、さすがにこれは…史実じゃないですよね? (汗)
もし史実だったら「それはやっぱり伊達じゃない!」と叫びたいところですね。
想像以上にやはり「伊達男」だった羽生選手も、やっぱり伊達じゃなかったよ~!ということで。(笑)
… 結局、伊達なのか伊達じゃないのか、どっちなの! というあなたは、劇場で確認してください。
驚いたのは、こちらのニュース。→ http://news.walkerplus.com/article/77743/
まさか、あの習字は、羽生選手本人が書いたの? え?え? と、ビックリ。
羽生選手が「本番に強い」のは、文句なしにその通りでございまして、 歴代選手を見ても、群を抜く本番の強さですね。
あと一つ。
セリフの詳細が明かされていた、ネタバレ動画を見ちゃった方へ。
あのネタバレ動画と、映画本編では、羽生選手のセリフが違っていました!
いくつかパターンを撮影して採用をやめたのか、それとも、あれはただの宣伝として言葉だったのか…
すっかり騙された気分です。(笑)
羽生選手の演技力については、やはり、羽生選手が地のままでいけそうな「殿様役」よりもは、
「百姓役」とか、「乞食役」とかの演技を観てみないと、本当の演技力はわからないよね~などと思いましたけど、(笑)
「負けんな!」のCMの頃よりもは、数段は上だったと思います!
羽生選手! 天晴れ(アッパレ)でござった!
この話、主役の阿部さんや妻夫木さんら、庶民の方々に惚れて帰る話なのですが、最後にうっかり、殿様にまで惚れて帰ることになりますね。
羽生ファンは安心して(?)見られると思います。
さて、この映画、「私財をなげうって」他の人たちを助ける庶民の活躍ですが、それを彼らは、「人には話すな」と子孫に至るまで命じたとか。
これを聞くときに、直ちに思い出す言葉があります。
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、あなたがたの天の父(=神様のこと)のもとで、報いをいただけないことになる。
だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
(中略)
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、隠れたことを見ておられる父(=神様)が、あなたに報いて下さる。」
(イエス=キリストの言葉: マタイによる福音書 6章1~4節 新約聖書(新共同訳)より )
———長い長い時を経ながら、この言葉が確かに実現しているのだな、と思わされる映画でした。
さて、「無私な日本人」と言えば、もう一つ、有名な「無私な日本人」の話の映画が今年初頭に公開されました。
唐沢寿明さん主演の、終戦70周年特別企画の 国際映画
「杉原千畝 スギハラチウネ」 → 公式HP http://sugihara-chiune.jp/
(既に上映は終わって、もうすぐDVD発売だと思います。そのうちテレビでもやるでしょう。)
「一人の男が、世界を変えた」とのキャッチコピーの通り、
ホロコーストの最中、自らの立場を顧みず、およそ6千人ものユダヤ人の命を救った、有名な日本人外交官の話。
庶民の世界とは程遠い話なのですが、こちらもものすごく感動します。
彼の話は世界的には有名で、私は原作を数十年前に読んでいるので、よく知っていたのですが、
この映画は映画で、わかりやすく映像化してくれていてとても素晴らしく、また、歴史の上に生かされている重みを感じられる内容です。
なぜ「無私の日本人」つながりで、これを書いたかと言いますと、
実は私、ある外国のある場所で、一人の白髪の老紳士に話しかけられたことがあるのです。
「あなたは、日本人だと聞いたのですが…」と言って、私に英語で話しかけてきたその方は、
「はい、そうです。」と私が答えたら、とても嬉しそうな顔をして、
「 初めまして。 こんにちは。 どうもありがとう。」と、いきなり流ちょうな日本語に切り替えて話してきました。
その風貌からは想像もつかないほどの完璧な発音の日本語で、思わず驚いた私でしたが、
その白髪の紳士的な態度のご老人が言うには、「私は一時期、日本に住んでいたことがあるのです。」と。
そして、「懐かしい…」と。
まるで娘か孫でも観るかのような、ものすごい「慈愛の眼差し」で見つめられて、ちょっと戸惑いを覚えるほどでした。
よほど日本に良い思い出でもあるのかな?と思ったものの、色々聞くのも失礼かと思い、詳細は聞かなかったのです。
最後にその白髪の老紳士は、「思いがけず、こんなところで、日本の方にお会いできて嬉しかったです。」と、
帽子を胸に当て、それは丁寧に丁重に、本当に深々と私にお辞儀をして、去っていきました。
(その場にいた人たちの中で、日本人は、私だけだったのです。)
あまりの丁寧さ、深々と下げた頭や姿勢、そこに込められた思いの深さに、
「今の人、一体何だったのだろう?」と思った私でした。
少し時間が経って、私の友人の一人がやってきて、「ねえねえ、これこれこういう、白髪の老紳士に会った?」と聞いてきたので、
「うん、あなたは日本人ですか?って、話しかけられたよ。昔日本にいたという人でしょう?とても丁寧に挨拶されたよ。」と答えたら、
「ああ、良かった、会えたのね。
そう。あの人はユダヤ人なんだけど、一時期、迫害を逃れて日本に住まわせてもらっていたことがあるそうなの。
他に住めるところがなくて、本当に苦しい中を、日本に助けてもらったのですって。
だから、彼は日本にものすごく恩を感じているし、日本に本当に感謝しているのよ。」と教えてくれて、
私はもう、仰天してしまいました。
あの私への、尋常ならざる慈愛の眼差しや、深々とした丁寧すぎるほどのお辞儀は、そういう背景があったのか、と。
思わず、涙が出そうになりました。
そして、もっと、詳しく話を聞いておけば良かったな、と。
「私」は、その人に何もしていないし、ただ日本で生まれた日本人だというだけなのですがーーーー。
「○○人」というくくりやレッテルで、人間を一緒に見なされる時、その一人一人の個性は無視されます。
その結果、時には得することもあれば、酷い目に遭うこともある。
彼らユダヤ人は、命を左右するほどの大変な目にあった訳ですが、
私は当時、彼らを支えたであろう日本人の代わりに、日本人の一人として、彼の態度全体から、言葉に出来ないほどの、
深い深い感謝を伝えられたように感じました。
当たり前ですが、日本人だからと言っても、これは決して「私」が威張るべきことではない。
日本人全てが、他の国の人たちよりも偉い、などという意味でもないです。
だけど、どうせ生きるなら、後世まで憎しみや恨みをまき散らす人ではなく、
あのユダヤ人の方のように、できれば後世に、善意や良いものや感謝を伝えられる一人でありたいとーーー
そう思わされた、深く胸を打つ出来事でした。
私がこれをここに書くことを決めたのは、あのユダヤ人の老紳士が、私に伝えてくれたものは、
「私」へ向けられたものではなく、
当時彼を支えてくれたであろう、見ず知らずの日本人たちであり、
また、「今の日本の人全体」に向けられた感謝でもあるように思ったから、です。
今月の27日に、アメリカのオバマ大統領が、戦後の歴史上初めて、米国大統領として、広島を訪問することになりました。
こちらの記事では、筆者の方が元・核軍縮担当者だったようで、これについて秀逸な見解を述べておられます。
この訪問の歴史的価値は何より、「核の恐ろしさ、非人道性を、被爆地、広島で実感してもらうこと」にあり、そこが最重要なのだと書かれておられます。
長年、「核兵器」の非・人道性を強く訴えてきた被爆者の方々からしたら、念願の第一歩だろうと思います。
この訪問にはいろいろな思惑もあるかもしれないし様々な議論もあるけれども、まずは大統領の立場にある人が、
知ろうとして来て、見て、何かを感じる、そのことこそが最も重要であり、相互理解への重要な第一歩だと私も思います。
過去の出来事の詳細を知ろうとする時、史実に則してしっかりと作られた映画ほど、その当時の現実を体感的に、ストレートに多くの人に伝えることのできる手段は、なかなかないとも言えます。
もちろん、エンターテインメントとしての脚色はそこそこあったとしても、です。
私が、「殿!利息でござる!」を観ることになったのは、羽生選手が出演したからで、
そうでなければ、映画館では観ていなかったでしょう。
(そのうち、いつかテレビで放送されたときに、見ることはあるかもしれませんけれども…)
羽生選手は、友情出演だから、ほとんど、映画出演の「対価」「報酬」「ギャラ」と呼べるほどのものはもらっていないはずです。
そういう羽生選手の、「無私な」態度が、「無私な日本人」の実在を、今に広く知らせる役割を果たしていることも、ちょっと覚えておきたいですね。
この「殿! 利息でござる!」も、「杉原千畝~スギハラチウネ~」も、どちらも、私はおススメ出来ますね!
最後に、羽生藩の民から、殿に一言。
殿!カッコよかったでござるよ!