嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

痒いの痒いの、飛んでけ~!

2004年05月01日 09時17分36秒 | Weblog
相変わらず批評が熱いえっけんさんのblog
時々フラっと立ち寄って
ついつい見てしまうんですが
文章の書き方がいかにも煽りっぽくて
噛み付くと何か負けたような気がしてちょっと悔しい今日この頃。

で、この記事に対する僕の考え方なんですが
その前にまず気になるところの指摘から。

>はたしてそれは本当に「blog」なのか?
blogのシステムを使う限りにおいて、それはblogであると思います。
メモ帳とMSペイントしか使わなくても、それはWindowsユーザであると思います。
道具とは必要性において使う物であって
全ての道具を使うことをいつも考えているのは
「道具に使われている」のではないか?
という疑念が発生してしまいます。(僕だけかもしれないが)

>ネガティブな考えしか持てない人のblogは最もつまらない
ネガティブな考えを楽しんでいる僕はどうしようかと思ってしまいましたw
いや、別にいいんですけどね。確信犯の主観的意見だと思うので。
けれど、この文を読んだネガティブな人は傷つくだろうなぁ(;^_^A

記事全体を通しての主張内容は概ね僕も同意できる気がします。
そしてその根底からは「もっとみんなでblogを楽しもうぜ!」
というメッセージが聞こえます(幻聴かもしれないが)

ただちょっと気になるのは えっけんさんの記事はblogerにとって迷いの波及ではないのか?
ということです。
自分自身で矛盾を抱えたままで記事を投稿しているように見受けられるので
先にもうちょっと整理してから投稿されてみてはいかがでしょうか?
僕の指摘に既にご自身で気付いていて わざとやってるなら
「まぁ、いいんじゃないの~?」という気もしますw

最後にくっだらない突っ込みをしておきます。
>閉じこもったままではいつまで経ってもblogの面白さには気付かないでしょうね。
閉じこもったままの人は、そもそもこの記事を読んでいないと思います!!w

気持ちを整理するための暴露癖

2004年05月01日 03時36分44秒 | 駄文(詩とは呼べない)
他人の事よりも自分のことをやればいい。
過ぎた過去をうだうだやってないで
新しい自分に向けて何かすればいい。

だけど駄目なんだ。
考えてしまう。

書くことで
自分を見つめ直す。

僕は我が侭で自己中で自分に甘い人間だ。
人を笑わせようとするのは
自分が笑いたいからだ。

誰か僕を冷静に残酷に罵倒して下さい。
「お前、キモイよ。」
と言って下さい。
「内面見つめすぎなんだよ。」
と批判して下さい。
「他人なんか信じるな。」
と嘲笑って下さい。

僕は彼女の人間性を信じることで人間を信じてきた。
それまでの僕は猜疑心の固まりだった。
穿った見方しかできなかった。
もし、彼女を信じられなくなったら
きっと人を信じられなくなる。

僕が彼女に駅で初めて会った時、
彼女は僕を見て笑った。
その笑顔があまりにも衝撃的だったので
その時から、僕の心は他人を認めざるを得なくなった。

僕が彼女に初めて想いを告げた時、
告白の恐怖心を消すために「手を出して」と言って
僕は相手の手を握ろうとした。
「え、ヤダっ」と彼女は拒否した。

その時から、僕の心は
人を信じることと疑うことの境界で揺れ続けている。

今もまだ、揺れ続けている。

不自然で自然なバランス

2004年05月01日 03時03分43秒 | 駄文(詩とは呼べない)
不幸に浸って不幸ゲーム
思想に染まって思想ゲーム
恋愛に溺れて恋愛ゲーム

全部、偽物なのか
全部、遊びなのか
全部、嘘なのか

自分を欺いて
壊れた自分を楽しんだフリしても
過去は、消せない。

僕はもっと謝るべきだった。

残酷な本音と
優しい嘘

自己中な真実と
配慮した虚構

天秤が揺れて
僕の心が揺れて

ただただ重みで傾いてゆく
僕らの天秤

離れることも
近づくことも

僕らの心が揺れている現実
僕らの何かがシンクロするという真実

今はまだ
今はただ 耐えるしかないのか。

解放による束縛

2004年05月01日 02時46分53秒 | 駄文(詩とは呼べない)
もう君のこと見なくていい。
聞かなくていい。
考えなくていい。

僕は束縛から解放された。
僕は自由になった。

だけど・・・
こんな自由に価値があるのか?

もう君の声を聞けない
もう君の悩みを聞けない
もう君を知ることが出来ない

もう君を助けられない
それはすなわち
もう僕は僕を助けられない