僕は一晩中この記事について色々と考えていたけれど
やはり書かないわけにはいかない。
問題の当事者として、言動に対する責任ってものがあるから。
もけさん事件を書いた事によって
不快に感じた人が少なからず居るようだから。
笑ってくれた人には感謝を。
「ありがとう。」
問題は不快に感じた人の事。
不快に感じた事が問題なのか、記事を書いた事が問題なのか、
という単純比較ではない。
あれは僕の表現方法だし、書いてある事も特に何かを間違えてるとは思えない。
しかし少なからず誤解を招いたということは
僕自身のどこかに配慮が欠けている部分があったはずだ。
心当たりのある事と言えば
普段からあまり僕が読んでいないblog、
あるいは読んでいても交流のないブロガーさんの記事からトラックバックを打った事
記事内容に書かれている「みんな」とは誰の事なのか。
抽象化されていて個人批判しているわけではないが
トラックバックを打たれた読み手からすれば
当然自分の事を批判されているような気分になるはずだ。
だが、それは半分は意図してやったことだ。
すなわちあれは問題提起だからだ。
「私はもけさんに対して敬意を払って記事を書いたのに
コイツはそれをないがしろにするような記事を書いている」
と感じた人が居るかもしれない。
だが、僕とてもけさんに敬意を払っていないわけではない。
むしろ逆だ。僕はもけさんの「ブロガーとしての態度」に憧れと尊敬の念を抱いてきた。
だからこそ、僕には納得できない感情がいくつも渦巻いている。
もう一度、皆に問う。
そしてブロガーに問う。
あなたたちにとってもけさんというブロガーはなんだったのか?
「やめるのは残念だけど、本人の事情だから仕方ないよね」で片付けるのか?
「本人がやめると決めてる意志があるんだから、それを尊重するのが大人の態度」
そういう事なのか?
だったら言わせてもらおう。
大人など、糞食らえだと。
間違っているかもしれないが、俺には確信があるからハッキリとここで書き記しておく。
「もけさんは今も迷っている。」
そして彼には時間が必要である。
悩む時間、決断する時間、記事を書く時間、全てにおいての時間。
彼は俺よりも遙かに大人だ。
だけど人間だ。絶対に子供の心をどこかに隠し持っている。
そうでなければ、僕の過去の記事に対してシンクロするなどということはあり得ない。
大人は言動に責任を持つ。
辞めますと言った以上辞めざるを得ない宿命を背負っている。
今から再開したら格好悪いとか、いい加減な人だと思われる、という世間体のようなものもあるだろう。
だけどそれでいいのか?
書きたい事、あるはずだ。
今まで誰にも言えなかった事も、あるはずだ。
書きたくても書けない事だって、あるはずだ。
俺はそれを書いて欲しい。
もっと本物のもけさんだけの記事があるはずだ。
あんまり書くと余計にプレッシャーだということもわかってる。
それでも僕は我が侭に自分勝手に俺だけの意見を言わせてもらう。
「あんたのblogはニセモノだ!」
やはり書かないわけにはいかない。
問題の当事者として、言動に対する責任ってものがあるから。
もけさん事件を書いた事によって
不快に感じた人が少なからず居るようだから。
笑ってくれた人には感謝を。
「ありがとう。」
問題は不快に感じた人の事。
不快に感じた事が問題なのか、記事を書いた事が問題なのか、
という単純比較ではない。
あれは僕の表現方法だし、書いてある事も特に何かを間違えてるとは思えない。
しかし少なからず誤解を招いたということは
僕自身のどこかに配慮が欠けている部分があったはずだ。
心当たりのある事と言えば
普段からあまり僕が読んでいないblog、
あるいは読んでいても交流のないブロガーさんの記事からトラックバックを打った事
記事内容に書かれている「みんな」とは誰の事なのか。
抽象化されていて個人批判しているわけではないが
トラックバックを打たれた読み手からすれば
当然自分の事を批判されているような気分になるはずだ。
だが、それは半分は意図してやったことだ。
すなわちあれは問題提起だからだ。
「私はもけさんに対して敬意を払って記事を書いたのに
コイツはそれをないがしろにするような記事を書いている」
と感じた人が居るかもしれない。
だが、僕とてもけさんに敬意を払っていないわけではない。
むしろ逆だ。僕はもけさんの「ブロガーとしての態度」に憧れと尊敬の念を抱いてきた。
だからこそ、僕には納得できない感情がいくつも渦巻いている。
もう一度、皆に問う。
そしてブロガーに問う。
あなたたちにとってもけさんというブロガーはなんだったのか?
「やめるのは残念だけど、本人の事情だから仕方ないよね」で片付けるのか?
「本人がやめると決めてる意志があるんだから、それを尊重するのが大人の態度」
そういう事なのか?
だったら言わせてもらおう。
大人など、糞食らえだと。
間違っているかもしれないが、俺には確信があるからハッキリとここで書き記しておく。
「もけさんは今も迷っている。」
そして彼には時間が必要である。
悩む時間、決断する時間、記事を書く時間、全てにおいての時間。
彼は俺よりも遙かに大人だ。
だけど人間だ。絶対に子供の心をどこかに隠し持っている。
そうでなければ、僕の過去の記事に対してシンクロするなどということはあり得ない。
大人は言動に責任を持つ。
辞めますと言った以上辞めざるを得ない宿命を背負っている。
今から再開したら格好悪いとか、いい加減な人だと思われる、という世間体のようなものもあるだろう。
だけどそれでいいのか?
書きたい事、あるはずだ。
今まで誰にも言えなかった事も、あるはずだ。
書きたくても書けない事だって、あるはずだ。
俺はそれを書いて欲しい。
もっと本物のもけさんだけの記事があるはずだ。
あんまり書くと余計にプレッシャーだということもわかってる。
それでも僕は我が侭に自分勝手に俺だけの意見を言わせてもらう。
「あんたのblogはニセモノだ!」