嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

言霊を込める

2004年05月28日 08時34分19秒 | Weblog
僕は一晩中この記事について色々と考えていたけれど
やはり書かないわけにはいかない。
問題の当事者として、言動に対する責任ってものがあるから。

もけさん事件を書いた事によって
不快に感じた人が少なからず居るようだから。
笑ってくれた人には感謝を。
「ありがとう。」

問題は不快に感じた人の事。
不快に感じた事が問題なのか、記事を書いた事が問題なのか、
という単純比較ではない。
あれは僕の表現方法だし、書いてある事も特に何かを間違えてるとは思えない。
しかし少なからず誤解を招いたということは
僕自身のどこかに配慮が欠けている部分があったはずだ。

心当たりのある事と言えば
普段からあまり僕が読んでいないblog、
あるいは読んでいても交流のないブロガーさんの記事からトラックバックを打った事
記事内容に書かれている「みんな」とは誰の事なのか。
抽象化されていて個人批判しているわけではないが
トラックバックを打たれた読み手からすれば
当然自分の事を批判されているような気分になるはずだ。
だが、それは半分は意図してやったことだ。
すなわちあれは問題提起だからだ。

「私はもけさんに対して敬意を払って記事を書いたのに
コイツはそれをないがしろにするような記事を書いている」
と感じた人が居るかもしれない。
だが、僕とてもけさんに敬意を払っていないわけではない。
むしろ逆だ。僕はもけさんの「ブロガーとしての態度」に憧れと尊敬の念を抱いてきた。
だからこそ、僕には納得できない感情がいくつも渦巻いている。

もう一度、皆に問う。
そしてブロガーに問う。
あなたたちにとってもけさんというブロガーはなんだったのか?

「やめるのは残念だけど、本人の事情だから仕方ないよね」で片付けるのか?
「本人がやめると決めてる意志があるんだから、それを尊重するのが大人の態度」
そういう事なのか?

だったら言わせてもらおう。
大人など、糞食らえだと。

間違っているかもしれないが、俺には確信があるからハッキリとここで書き記しておく。
「もけさんは今も迷っている。」
そして彼には時間が必要である。
悩む時間、決断する時間、記事を書く時間、全てにおいての時間。
彼は俺よりも遙かに大人だ。
だけど人間だ。絶対に子供の心をどこかに隠し持っている。
そうでなければ、僕の過去の記事に対してシンクロするなどということはあり得ない。

大人は言動に責任を持つ。
辞めますと言った以上辞めざるを得ない宿命を背負っている。
今から再開したら格好悪いとか、いい加減な人だと思われる、という世間体のようなものもあるだろう。

だけどそれでいいのか?
書きたい事、あるはずだ。
今まで誰にも言えなかった事も、あるはずだ。
書きたくても書けない事だって、あるはずだ。

俺はそれを書いて欲しい。
もっと本物のもけさんだけの記事があるはずだ。

あんまり書くと余計にプレッシャーだということもわかってる。
それでも僕は我が侭に自分勝手に俺だけの意見を言わせてもらう。
「あんたのblogはニセモノだ!」

言える事の幸せ

2004年05月28日 06時21分03秒 | 駄文(詩とは呼べない)
書きたいことが書ける事の幸せ
言いたいことが言える事の幸せ
そんなこと、ほとんど考えていなかった。
だから僕はきっと幸せだった。

書きたい事は書けて当然だと思ってた。
言いたい事は言えて当然なんだと思ってた。

それが出来なくなる日が来るなんて思ってもみなかった。

言葉に言霊が宿れば宿るほどに
僕は書く事がつらくなっていく

思うだけならいい。
誰にも聞こえはしないから。

だけど一度外に出した言葉は
それ自体が作り手の意図を超えて
勝手に暴れ出す
言葉とは恐ろしいものなのだ。

それを知ったからとて何がどう変わるのだろう
恐ろしいから書かない?
いや、俺は書くね。
書きたいから書く?
いや、書かずにはいられない。
書けば書くほど自分の首を絞めるとしても?
それでも俺は書くね。

今はまだ、こうやって断言できる。
いつかこうやってねじ伏せる事もできなくなるだろう

僕は言霊と戦わねばならなくなるだろう
勝とうもがけば、おそらく言葉が僕を捉えるだろう。
勝とうとしてはいけない。
騙し騙し、少しずつ使っていかねばならない。

自信は無い。
立派な志も無い。
今は決意だけが胸の内にある。

傷つくほどに言葉なのか

2004年05月28日 00時29分10秒 | 駄文(詩とは呼べない)
言葉が人を傷つけるものだって事は知ってる。
そして言葉が人を動かすものだということも知ってる。

そして僕の言葉の真意は誰にもわからなくて
それが僕と他人を同時に深く傷つけるものだということも知ってる。
それでも僕は、その借り物の言葉に頼らざるを得ない。
どれだけニセモノっぽくても
伝わることを願って書くしかない

だから僕に出来る事は
誰かの言葉を僕と同じくらいに深読みして
例え浅い言葉であったとしても深読みして
そして独り相撲を取るしかない

言葉の重さは読んでいる人間に跳ね返る
読めば読むほど重さを増して
より僕をがんじがらめにして動けなくする

書けば書くほど僕は書けなくなるだろう

何故なら言葉は伝わらなくても届くからだ
言葉は常に形を変えながら相手に届くからだ

例えば、そう例えば、今書いているこの文章、
句読点を気にして読んでいる人はどれくらい居るだろうか。

さらにそこから気持ちを読み取る人はどれくらい居るだろうか。
頼りすぎている事はわかっている

そんなことまで気にして読んでられるかよ!
と思う人が居る事もわかってる

だけど、僕はそれでも
手段がある限り、道具がある限り、それに頼らざるを得ないほど
脆いもので出来ている。

すなわち僕は人間であるということ

だから僕は泣きながら この言葉達を書いています。
気が狂うまでは書きたいと思います。

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