嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

書きすぎ/読みすぎ/喋りすぎ/考えすぎ

2004年05月31日 00時33分23秒 | Weblog
僕にとって言葉とは連想され、想起され、思い立った瞬間に
思いついた瞬間に言語化されている。
明確な文法の事はよくわからないが、
おそらくは国語の教育を受け、周りの日本人の人々と会話を繰り返す内に
ほぼ自動的に言語野として脳に形作られていく。

そして意識の核が脳内のニューラルネットワークを
複雑に反射していく過程でそれは日本語としての形態をとる

そして口から吐き出されたり
手で打ち込んだりしている

例えば嘘を吐く時は、タイムラグが必ずある。
何度も脳内で思考を反射させ、矛盾点を洗い出し、
大丈夫そうだと思ってから、口に出すだろう。
そんなことはいちいちしないという人も居るかもしれないが
少なくとも僕はそうやっている。

わどさんの解説によれば
僕の書き方は既成の意味に寄りかかっている事で成り立っている。
そこにはきっと新しさは無い。
だけど書いてある事を読むと「新しさが欲しい」と書かれている、
あるいは意味している事が多い。
そこから生じる態度矛盾を指摘されている気がする。

言語を破壊する例を挙げれば
「僕は言葉なんか要らない!」
と叫ぶよりは
「☆○▽#&◎$$¥@☆」
と書いた方がよっぽど言語を破壊している

だが、これでは伝わらない。
後者は確かに言葉を使っていないし、要らないのだろうけど
読んだ時に何がしたいのかさっぱりわからない。
前者はとりあえず日本人には意味として伝わるが
そこにたいした力はない。
既成の意味の範疇を超えない程度にしか、発揮されない。

そこに表現の工夫の余地が存在するということだろう、
おそらくは。

「要らない、僕はこんなものに頼りたくはない。こ、ことば、言葉なんか・・・無くなれ!」
と書く方がチープであっても表現としては多少マシだ。

僕の書き記す多くの言葉は、
読み手の精神性に大きく依存している。
読む人に情緒の変化を期待している。
こころの無い人が読んでもハッキリ言ってつまらないだろう。

こういう事を書くと「僕の詩はわかる人にしかわからないよ」
という、甘えと開き直りと醜さが露呈してしまう。
その部分については、特に否定しない。

僕は工業系を出ている人間だから
どうしても書く文章は稚拙さを隠せないし
語彙の不足も補えない。
わどさんの文章を読む時も何度も知らない単語が出てきて
辞書引いたりしている。

そして多くの場合、僕の文章構成はみっともない屁理屈から出来ている。
ただコンプレックスを露呈した露出狂の変な文章だとは思う。

だけど僕は僕自身の心の奥にある
純粋な何かを懸命に探し出して
それを救い出してつたない言葉で表現するしかないのだと思う。

現実において会話の時に必要なのは外への力だ。
だが、表現において必要なのは中への力なのだと思う。

だから僕は表現方法を外で模索したりは、しない。
現状で、していない。
その事で様々な矛盾が生じ、人を混乱させている事を謝っておきます。

僕には書く事しか出来ないのだ。