嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

書かれる/読まれる/喋られる/考えられる

2004年05月26日 10時09分58秒 | Weblog
僕にはわからない事がある
wordblowさんが言葉をどう捉え、どのように考えて発信しているのか?
という事なんだけど、言葉について様々な事を考えているのはわかるけど
どのあたりに拘っているのかがいまいち見えてこない。

時折自分と何かしら似たものを感じる事はあるが
それでいてほとんどが遙か遠くの出来事のようだ。

僕の理屈によれば言葉というのは共通思考だ。
すなわち現状の日本語というのが
もっとも正確に日本人を映し出している、ということだ。

そして言葉は人を束ねる。
人が言葉を作り、作られた言葉によって思考は一定に制約される
「拉致はテロだ」という言葉を作り出した人間が居た場合
それを受け取った人は「拉致」と「テロ」の相関関係について
ついつい考えてしまうという罠がある。

最も自由に思考するためには共通語は捨てねばならない。
誰からも言葉を受け取る事無く育ち、
無人島で一人で暮らし、
自らが発明したうめき声のような言葉こそが
オリジナルの言葉に近い。

いや、これでもまだ不完全だ。
言葉が音声や記号でなければならないという固定観念が
すでに既成概念に振り回されている僕を示している。

今の僕が目指しているのは万人に伝わる言葉
人を救うことが出来る言葉だ。
より深く潜り、深層意識から言葉を取り出そうとするのは
共通無意識に拘っているからだと思う。
誰もが深層意識下で欲している言葉、
誰かに言って欲しい言葉を僕は探している。

例えば、
誰もがみんなに言いたい言葉
「僕は此処に居るよ」

思考プロセスの原点をどこかに定める言葉
「我思う故に我在り」

このような言葉を、僕は僕自身の内側から探し出そうとしている。
夢の中においてさえ、僕は何かを意識している。
夢の中の僕が言葉に拘っているとは思えないが。

これらを踏まえて、wordblowさんの言う
「言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。」
とはいかなるものなのか?
それを時間をかけて探っていきたい。

ぬぐわっ!

2004年05月26日 04時31分04秒 | Weblog
俺はblogを毎日更新などしないっ!

どうも強迫観念にとらわれたり
変なプレッシャーを感じてしまうな。
読んでくれる人のために毎日屑のような文を
だらだら書き連ねていくblogなんて駄目駄目だっ!
そんな惰性のblogはいらねぇ!

他の人はどうか知らないが
俺のblogは自己満足だっ!
無理矢理書いた文なんて棺桶の中から死者が書いた文と一緒だっ。

ということで
読者が読んでくれていることは感じつつも、
その期待を踏みにじって僕はマイペースで書いていきます。

応援しなくてもいいので
ふと思い出したら見てやって下さい。