今日は老人体操より30分早くYMCAに行きました。ストレッチの講習会に参加したのですが、肝心のストレッチより先生のプロポーションに目が行ってしまい運動に身が入りません。(そのせいか腰が痛い!?)
と言う訳で、10時半に終了後、春めいて来た日差しに誘われて、歩いて帰る途中で馬車道の関内ホールに寄ると、近くの「みなとみらいホール」でロシアン・ブラスのコンサートがある事を発見、行って見ると当日券がありました。
プログラムはチラシと違って、チャイコフスキー「くるみ割り人形」やとムソルグスキー 「はげ山の一夜」からの抜粋、正味40分・1000円のランチタイム・クルーズと言うコンサートです。(音楽鑑賞も仕事のうち!)
昨日のHAOの練習に続き、音楽三昧の日々です。(ロシアン・ブラスと併記するところが凄い!?)
と言う訳で、10時半に終了後、春めいて来た日差しに誘われて、歩いて帰る途中で馬車道の関内ホールに寄ると、近くの「みなとみらいホール」でロシアン・ブラスのコンサートがある事を発見、行って見ると当日券がありました。
プログラムはチラシと違って、チャイコフスキー「くるみ割り人形」やとムソルグスキー 「はげ山の一夜」からの抜粋、正味40分・1000円のランチタイム・クルーズと言うコンサートです。(音楽鑑賞も仕事のうち!)
昨日のHAOの練習に続き、音楽三昧の日々です。(ロシアン・ブラスと併記するところが凄い!?)
今日はちょっと遅い新年会が新宿であるのですが、雪模様だし・・・と、出かける時間を昨日から考えていました。
このところ写真展の構想を固めなければならないのですが、「去年の旅は、建築と音楽をテーマにした旅だったな・・・?」等と考えているうちに、何故かクセナキスと言う現代音楽の作曲家を思い出しました。
学生時代、興味を持って本を読んだのですが、その時は難しすぎて理解できなかったのですが、Youtubeを検索するとNHKのドキュメンタリーにたどり着き、見ているうちに「面白いな!」と思ってしまいました。
新宿まで行くついでに、銀座によってCDを探したのですが、目的のオーケストラ曲は5枚組の中に入っているだけでした。現代曲5枚はさすがに聴けないだろうと、彼の先生であるメシアンの曲と一緒になったピアノ曲集のCDを買って、まだ少し時間があるので、新橋の鉄道歴史資料館でやっている昔の東京の写真を大急ぎで見て新宿に行きました。
今日は博多水たきの店、博多出身のNMさんが居るので、博多の話で盛り上がったのですが、「クセナキスの本を読んだのも僕が博多に居る頃だったな・・・!?」と思うと、還暦になってまた元に戻って行く気がして不思議な思いがします。(寄り道して人生を踏み外さないようにしよう!)
このところ写真展の構想を固めなければならないのですが、「去年の旅は、建築と音楽をテーマにした旅だったな・・・?」等と考えているうちに、何故かクセナキスと言う現代音楽の作曲家を思い出しました。
学生時代、興味を持って本を読んだのですが、その時は難しすぎて理解できなかったのですが、Youtubeを検索するとNHKのドキュメンタリーにたどり着き、見ているうちに「面白いな!」と思ってしまいました。
新宿まで行くついでに、銀座によってCDを探したのですが、目的のオーケストラ曲は5枚組の中に入っているだけでした。現代曲5枚はさすがに聴けないだろうと、彼の先生であるメシアンの曲と一緒になったピアノ曲集のCDを買って、まだ少し時間があるので、新橋の鉄道歴史資料館でやっている昔の東京の写真を大急ぎで見て新宿に行きました。
今日は博多水たきの店、博多出身のNMさんが居るので、博多の話で盛り上がったのですが、「クセナキスの本を読んだのも僕が博多に居る頃だったな・・・!?」と思うと、還暦になってまた元に戻って行く気がして不思議な思いがします。(寄り道して人生を踏み外さないようにしよう!)
老人体操後、定食屋で昼食をとり、散歩でもして帰ろうと思ったのですが、遅々として進まない(何故?)仕事が気になり、すぐに帰ってきました。
でも、机に向ってもどうも気が進みません。こういう時は気分転換に身体を動かした方が良いのですが、もう体操はしたので久しぶりにギターを引っ張り出し弾いて見ました。(写真展ライブは5月28日です!)
しばらくして思い付いたことがあったので、仕事に戻ったのですが、7年も前の現場なので思い出せません。結局、いくら考えても埒が開かないので、お客さんに電話をして現場を見に行く事にしました。
それならば、今度は写真展の準備をと、過去のベルリンとその他のドイツの写真を眺め始めたのですが、どうも構想が面白くありません。
またもや気が乗らなくなったので、ベルリンの案内書を見ながら「ライブの音楽との関係も変えなければならないな・・・?」と思案投げ首?、(ドイツなら「サウンド・オブ・ミュージック?」)、「My favorite things!」(ちょっと難しいかな・・・?)
と言う訳で思い付いたのが「エーデルワイス」ハーモニカで吹いてみました。
さらにテレビを見ていると、指揮者の佐渡裕さんがリコーダーでアニメソングを吹いていました。(タイガーマスク?)
「それならば!」、と僕らの歌は「鉄腕アトム!」(仕事は何時終るのだろう・・・!?)
でも、机に向ってもどうも気が進みません。こういう時は気分転換に身体を動かした方が良いのですが、もう体操はしたので久しぶりにギターを引っ張り出し弾いて見ました。(写真展ライブは5月28日です!)
しばらくして思い付いたことがあったので、仕事に戻ったのですが、7年も前の現場なので思い出せません。結局、いくら考えても埒が開かないので、お客さんに電話をして現場を見に行く事にしました。
それならば、今度は写真展の準備をと、過去のベルリンとその他のドイツの写真を眺め始めたのですが、どうも構想が面白くありません。
またもや気が乗らなくなったので、ベルリンの案内書を見ながら「ライブの音楽との関係も変えなければならないな・・・?」と思案投げ首?、(ドイツなら「サウンド・オブ・ミュージック?」)、「My favorite things!」(ちょっと難しいかな・・・?)
と言う訳で思い付いたのが「エーデルワイス」ハーモニカで吹いてみました。
さらにテレビを見ていると、指揮者の佐渡裕さんがリコーダーでアニメソングを吹いていました。(タイガーマスク?)
「それならば!」、と僕らの歌は「鉄腕アトム!」(仕事は何時終るのだろう・・・!?)
病高じてスワヒリ語を始めたのですが・・・、と言うのは嘘です。
英会話の授業で、冗談好きの先生をからかおうと(?)to tell the truth(実を言うと)と言うイディオムの例文で、「実を言うと、僕はスワヒリ語が出来る!」と言ってしまったのです。
実を言うと(こういう風に使うべきか?!)、スワヒリ語の歌を1曲知っているだけなのですが、何故か話が写真展とライブの話になり、5月11日にその歌を歌うことになってしまいました。(初めてのリクエスト!)
と言うことでタンザニアの歌謡曲(かな?)「マライカ」と言う、40年前に覚えた歌(その頃の記憶はまだ確かです!)をHAOの相棒に教えようと、久しぶりに譜面を書いてみました。 (そう言えばこの表記法は世界共通だな・・・!)
ところで(By the way)なぜこの歌を思い出したかと言うと、2001年にイギリスに行ったとき、地下鉄の駅で黒人が歌っていたのです。
「あれ~、何だったかな・・・?」、「マライカ!」それは聞き覚えていたメロディーよりもっと泥臭い印象の歌でした。もしかしたら「正調マライカ?」かも知れません。
と言う訳で、ますます国際化(「欧米か?」、では無く)してきた今日この頃です。
それにしても字が汚いな・・・!
英会話の授業で、冗談好きの先生をからかおうと(?)to tell the truth(実を言うと)と言うイディオムの例文で、「実を言うと、僕はスワヒリ語が出来る!」と言ってしまったのです。
実を言うと(こういう風に使うべきか?!)、スワヒリ語の歌を1曲知っているだけなのですが、何故か話が写真展とライブの話になり、5月11日にその歌を歌うことになってしまいました。(初めてのリクエスト!)
と言うことでタンザニアの歌謡曲(かな?)「マライカ」と言う、40年前に覚えた歌(その頃の記憶はまだ確かです!)をHAOの相棒に教えようと、久しぶりに譜面を書いてみました。 (そう言えばこの表記法は世界共通だな・・・!)
ところで(By the way)なぜこの歌を思い出したかと言うと、2001年にイギリスに行ったとき、地下鉄の駅で黒人が歌っていたのです。
「あれ~、何だったかな・・・?」、「マライカ!」それは聞き覚えていたメロディーよりもっと泥臭い印象の歌でした。もしかしたら「正調マライカ?」かも知れません。
と言う訳で、ますます国際化(「欧米か?」、では無く)してきた今日この頃です。
それにしても字が汚いな・・・!
最近YouTubeという動画サイトをよく利用します。
きっかけは歌いたい歌「黄昏のビギン」を密かに練習しようと(これで密かにでは無くなったな?)歌詞やコードを知りたいと思い、検索したら動画があることが分かったのです。
調子に乗って、5月11日に歌うフランス語のオー・シャンゼリゼを探していたら、廻りめぐって全然関係の無いナナ・ムスクーリの歌にたどり着きました。
別にファンではなかったのですが、今はどうしているのでしょうか?
こういう音楽を聴くと「音楽ってこうだったな・・・!」と、FM放送であらゆる種類の音楽を、むさぼり聴いた頃を思い出します。
何時からか僕は音楽をあまり聴かなくなりました。
その頃から、テレビの歌番組にテロップが入ったり、電車の中でイヤホーンをした人が増えてきたような気がします。
僕も当時、電車の中でやってみたのですが、何故か長続きしませんでした。
音楽はスピーカーから聞くものだと言う古い意識からでしょうか?
と言うか自分で歌ったり演奏したりする方が、はるかに楽しいからなのでしょう?
ついこの間、YouTubeが人気サイトだと言う事を知りました。テレビを見ずにYouTubeを見る人が増えていると言っていました。
テレビが出来(今時こんな事を言う人間はブログを見ない?)、ウォークマンが出来、録音方法も音楽も飛躍的に変わったと思います。
何時でもどこでも聴けると言うことは、求めるものでなく、自然と耳に入ってくる音楽、与えられる音楽と言うことでしょうか?
最近、聴きたい歌が無くなって来たのですが、歳のせいなのでしょうか・・・?、そうは思いたくないな!
きっかけは歌いたい歌「黄昏のビギン」を密かに練習しようと(これで密かにでは無くなったな?)歌詞やコードを知りたいと思い、検索したら動画があることが分かったのです。
調子に乗って、5月11日に歌うフランス語のオー・シャンゼリゼを探していたら、廻りめぐって全然関係の無いナナ・ムスクーリの歌にたどり着きました。
別にファンではなかったのですが、今はどうしているのでしょうか?
こういう音楽を聴くと「音楽ってこうだったな・・・!」と、FM放送であらゆる種類の音楽を、むさぼり聴いた頃を思い出します。
何時からか僕は音楽をあまり聴かなくなりました。
その頃から、テレビの歌番組にテロップが入ったり、電車の中でイヤホーンをした人が増えてきたような気がします。
僕も当時、電車の中でやってみたのですが、何故か長続きしませんでした。
音楽はスピーカーから聞くものだと言う古い意識からでしょうか?
と言うか自分で歌ったり演奏したりする方が、はるかに楽しいからなのでしょう?
ついこの間、YouTubeが人気サイトだと言う事を知りました。テレビを見ずにYouTubeを見る人が増えていると言っていました。
テレビが出来(今時こんな事を言う人間はブログを見ない?)、ウォークマンが出来、録音方法も音楽も飛躍的に変わったと思います。
何時でもどこでも聴けると言うことは、求めるものでなく、自然と耳に入ってくる音楽、与えられる音楽と言うことでしょうか?
最近、聴きたい歌が無くなって来たのですが、歳のせいなのでしょうか・・・?、そうは思いたくないな!
最近やることがいっぱいあります。英語の勉強をして、写真展ライブの練習をし、どう言う訳か風呂に入っているうちに、昔習った小唄(などと言う言葉も死語になりつつあるかな・・・?)が鼻歌で出てきました。
「鬢(びん)のほつれ」と言う有名な曲なのですが、僕らの年代でも知っている人は少ないでしょう。かつては日本中のサラリーマンが宴会の余興で歌ったような曲だと思うのですが(僕が生まれた頃の話です)、もう歌えるサラリーマン(では無くなってしまったな・・・)は僕くらいかもしれません。
と言うわけで、後世のために残しておこうと、深夜2時近くになってギターを三味線代わりに歌ってみました。
20年くらい前には美人のお師匠さんの三味線で歌っていたのですが、アメリカでの余興用(?)に21世紀バージョンです。
「鬢(びん)のほつれ」と言う有名な曲なのですが、僕らの年代でも知っている人は少ないでしょう。かつては日本中のサラリーマンが宴会の余興で歌ったような曲だと思うのですが(僕が生まれた頃の話です)、もう歌えるサラリーマン(では無くなってしまったな・・・)は僕くらいかもしれません。
と言うわけで、後世のために残しておこうと、深夜2時近くになってギターを三味線代わりに歌ってみました。
20年くらい前には美人のお師匠さんの三味線で歌っていたのですが、アメリカでの余興用(?)に21世紀バージョンです。
前回のブログで「カニ穴パンチ」のことを「1974年に大学の同級生数人で始めたバンド・・・」と書いたら、同級生で今は教授になっているI君から「74年のバンドには名前が無かった」という指摘がありました。
最近の記憶だけでなく、若い頃の記憶もあいまいになってきています。
これはいかんと言う事で、記憶の糸を辿って行くと、だんだん思い出してきました。
74年の写真の中に75年から参加した人間が混じっていたので、頭の中がオーバーラップしていたようです。
まあ、殆ど同じ人間がやっているのだから、74年が「元祖カニ穴パンチ」、75年が「宗家カニ穴パンチ」だろうと勝手に決め、掲示板に訂正記事を出したのですが、果たして反応や如何に?、分家が幾つあるのか、知りたいものです。
と言う訳で上は、某I教授秘蔵(?)の「宗家カニ穴パンチ」オリジナルメンバーの写真です。若いですね・・・!、僕も始めて見ました。(忘れているだけかな・・・?)
ちなみに、右端でタンバリンを叩いているのは、若い頃の東京ロマンチカ「鶴岡雅義・・・?」、では無く大分県佐志生出身のS君です。彼はピアノを器用に弾きました。
S君とは色々な思い出があります。と言うか、このメンバーの皆といろいろな思い出があります。青春でしたね・・・!、時間は無限にあるような時代でした。
S君は器用な人でした。(まだ元気だよな!)僕の音楽生活で一番影響を受けた人かもしれません。男声合唱を一緒に歌い、「カニ穴パンチ」を2年やり、同じ研究室で毎日のように一緒にクラリネットを吹き(勉強は何時したんだ!)、挙句の果てにブラスバンドの全国大会にまで行きました。
彼は予選、地区大会、全国大会とクラリネット、バスクラリネット、アルトクラリネットと毎回違うパートを吹いていました。
僕はサードクラリネットで(この数ヶ月前に始めてクラリネットを持った!)、高校からブラバンをやっていた新入生のO君に「吹けるじゃないですか?、どんどん吹いてください!」等とおだてられながらやっていたのですが、そのうちに、「先輩、そこは無理に吹かなくっても良いです!」
全国大会では「先輩、そこは吹かないでください!!」
(金賞無しの銀賞になったのは僕が吹かなかったからかな・・・?)
とにもかくにも、半年ほどで僕のクラリネットは飛躍的に進歩したのは確かです。人間めげずにやっていれば進歩するものです!
下は75年11月、秋田の千秋公園での早朝練習風景です。(誰が撮ったのだろう?)
最近の記憶だけでなく、若い頃の記憶もあいまいになってきています。
これはいかんと言う事で、記憶の糸を辿って行くと、だんだん思い出してきました。
74年の写真の中に75年から参加した人間が混じっていたので、頭の中がオーバーラップしていたようです。
まあ、殆ど同じ人間がやっているのだから、74年が「元祖カニ穴パンチ」、75年が「宗家カニ穴パンチ」だろうと勝手に決め、掲示板に訂正記事を出したのですが、果たして反応や如何に?、分家が幾つあるのか、知りたいものです。
と言う訳で上は、某I教授秘蔵(?)の「宗家カニ穴パンチ」オリジナルメンバーの写真です。若いですね・・・!、僕も始めて見ました。(忘れているだけかな・・・?)
ちなみに、右端でタンバリンを叩いているのは、若い頃の東京ロマンチカ「鶴岡雅義・・・?」、では無く大分県佐志生出身のS君です。彼はピアノを器用に弾きました。
S君とは色々な思い出があります。と言うか、このメンバーの皆といろいろな思い出があります。青春でしたね・・・!、時間は無限にあるような時代でした。
S君は器用な人でした。(まだ元気だよな!)僕の音楽生活で一番影響を受けた人かもしれません。男声合唱を一緒に歌い、「カニ穴パンチ」を2年やり、同じ研究室で毎日のように一緒にクラリネットを吹き(勉強は何時したんだ!)、挙句の果てにブラスバンドの全国大会にまで行きました。
彼は予選、地区大会、全国大会とクラリネット、バスクラリネット、アルトクラリネットと毎回違うパートを吹いていました。
僕はサードクラリネットで(この数ヶ月前に始めてクラリネットを持った!)、高校からブラバンをやっていた新入生のO君に「吹けるじゃないですか?、どんどん吹いてください!」等とおだてられながらやっていたのですが、そのうちに、「先輩、そこは無理に吹かなくっても良いです!」
全国大会では「先輩、そこは吹かないでください!!」
(金賞無しの銀賞になったのは僕が吹かなかったからかな・・・?)
とにもかくにも、半年ほどで僕のクラリネットは飛躍的に進歩したのは確かです。人間めげずにやっていれば進歩するものです!
下は75年11月、秋田の千秋公園での早朝練習風景です。(誰が撮ったのだろう?)
30数年前のバンドが今話題になっています。
と言ってもごくローカルな範囲での話なのですが、それがこの写真の学園祭バンド「カニ穴パンチ」です。
1974年に大学の同級生数人で始めたバンドなのですが、その名前のユニークさからか、僕らが卒業してからも在校生に代々引き継がれ、延々と続いたそうです。(15年以上?)
最後のほうはオーケストラの金管を中心としたビッグバンドになったようですが、僕はその実態を知りませんでした。
それが大学の創立40周年の記念行事に関連して「カニ穴パンチ」専用の掲示板ができたと言うことで、僕の元にも今は教授になっている友人からメールが届きました。
いったいどういう風にして始まり、どう消えて行ったかが話題になっているようです。
僕も創始者(?)の一人として投稿しようと、古い写真を引っ張り出すと、ありましたありました。それが上の写真です。
名前の由来は書類をフォルダーに閉じるときに穴をあける「強力二穴パンチ」の『強』がたまたま隠れていたのか、見落としたのか、僕の研究室のT先生が「力二穴パンチ・・・?」とつぶやいたのを、大分県出身のS君が「T先生、『力二穴パンチ』といっとたぞ!」と耳敏く(?)聞いていたのが始まりです。
そもそもは、ボーカルにギター2、トランペット1、コンガ1という5人編成のラテンバンドだったのですが、この次の年はピアニカ、クラリネット、ベースが加わり、その当時の学生バンドにはまず見られなかった『歌謡曲バンド』の風格をなしてきました。
S君のトランペットで始まるM君の『函館の女』の熱唱は満員の聴衆を魅了しました。それに感動したのかどうか、定かではありませんが、僕らが卒業したあとも、教授のS先生がボーカルで『函館の女』を歌い継いでいたようです。
卒業してからも、僕らは東京で何年間か『力二穴パンチ』を続けたのですが、徐々に生活環境が変わり、皆それぞれの道を歩むようになりました。
東京での『力二穴パンチ』です。(若いね!)
と言う事で、このシリーズは連続3回くらいは続きそうです。
と言ってもごくローカルな範囲での話なのですが、それがこの写真の学園祭バンド「カニ穴パンチ」です。
1974年に大学の同級生数人で始めたバンドなのですが、その名前のユニークさからか、僕らが卒業してからも在校生に代々引き継がれ、延々と続いたそうです。(15年以上?)
最後のほうはオーケストラの金管を中心としたビッグバンドになったようですが、僕はその実態を知りませんでした。
それが大学の創立40周年の記念行事に関連して「カニ穴パンチ」専用の掲示板ができたと言うことで、僕の元にも今は教授になっている友人からメールが届きました。
いったいどういう風にして始まり、どう消えて行ったかが話題になっているようです。
僕も創始者(?)の一人として投稿しようと、古い写真を引っ張り出すと、ありましたありました。それが上の写真です。
名前の由来は書類をフォルダーに閉じるときに穴をあける「強力二穴パンチ」の『強』がたまたま隠れていたのか、見落としたのか、僕の研究室のT先生が「力二穴パンチ・・・?」とつぶやいたのを、大分県出身のS君が「T先生、『力二穴パンチ』といっとたぞ!」と耳敏く(?)聞いていたのが始まりです。
そもそもは、ボーカルにギター2、トランペット1、コンガ1という5人編成のラテンバンドだったのですが、この次の年はピアニカ、クラリネット、ベースが加わり、その当時の学生バンドにはまず見られなかった『歌謡曲バンド』の風格をなしてきました。
S君のトランペットで始まるM君の『函館の女』の熱唱は満員の聴衆を魅了しました。それに感動したのかどうか、定かではありませんが、僕らが卒業したあとも、教授のS先生がボーカルで『函館の女』を歌い継いでいたようです。
卒業してからも、僕らは東京で何年間か『力二穴パンチ』を続けたのですが、徐々に生活環境が変わり、皆それぞれの道を歩むようになりました。
東京での『力二穴パンチ』です。(若いね!)
と言う事で、このシリーズは連続3回くらいは続きそうです。
今日は英会話の授業があります。午後1番で建設会社の技研に行くのですが、腰が痛くて(膝が治ってきたのに!)歩き廻るには不安があります。
あまりひどくなったら授業を休んで帰って来ようと思ったのですが、仕事が早く済んだし、根がまじめな性格(これが欠点である事は認識しています)なので、やはり行くことにしました。
学校の手前のカフェで予習をして出かけると、校舎の入り口の『アフリカの歌唱文化を語り、歌う』と書いた立て看板が目に付きました。
「お!、アフリカ?、あ!、今日・・・、6時10分開演!」、授業は6時に終わります。
さらに進むと、女の子がチラシを配っています。「北館ホールってどこ?」と聞くと、「この先です。ぜひ来てください!」と言うので「うん!」と答えて行くことにしました。
でも教室に入ってチラシをよく読むと「アフリカ」ではなく「アメリカ」と書いてあります。
「ありゃ~、英語以前の問題だな・・・!?」と我ながらあきれていると、いつもと違う陽気な先生が入ってきました。なんでもポール先生はオーストラリアに帰ったのだそうです。(誰か苛めたのでしょうか?)
その先生は始めてなので、みんな緊張気味です。先生は何やら色々聞いてくるのですが、いきなり聞かれても僕の英語力ではまだ付いて行けません。そのうち「英語の歌で一番好きなのは何?」という質問が出てきました。
誰も答えないので、仕方無しに(?)「イエスタデイ」と答えると、「誰の歌?」、「ビートルズ!」、と一応会話は進んで行きます。
そのうち、音楽には"Lyrics","Tune","Melody"が云々・・・、と言った話になり、「イエスタデイのハミングは出来るか?」、と聞きます。
僕は「ハミングで歌っても面白くないと」思い、「"Lyrics"と言うのは、"Words"のことか?」と聞くと、「そうだ!」と言うので、ついに出ました。 『アメリカの歌唱文化』は日本にも息づいているぞ~!(イギリスか?)、"Yesterday all my troubles seemed so far away~"、でも、ちょっと間違っていました・・・!?
肝心のコンサートですが、立派な中ホールに、ぱらぱらの観客、「もったいないな~!」と思いつつ、でも1960年代の話が出たり、二人とも子供の頃はカントリーやブルーグラスで育ったそうで、アメリカを感じさせる良いコンサートでした。
最後のクリスマスソングでも、「お~、ホーリーナイト」と言う僕の大好きな曲を、初めて生のソプラノ歌手で聞いたのですが、こみ上げて来る物がありました。
そう言えば、腰の痛みも忘れていました。久しぶりにコンサートを聞き、生の音楽に感動すると言う感覚が、僕も含め希薄になってきている気がしました。HAOの使命はは大きいですよ!>ODA-SAN
あまりひどくなったら授業を休んで帰って来ようと思ったのですが、仕事が早く済んだし、根がまじめな性格(これが欠点である事は認識しています)なので、やはり行くことにしました。
学校の手前のカフェで予習をして出かけると、校舎の入り口の『アフリカの歌唱文化を語り、歌う』と書いた立て看板が目に付きました。
「お!、アフリカ?、あ!、今日・・・、6時10分開演!」、授業は6時に終わります。
さらに進むと、女の子がチラシを配っています。「北館ホールってどこ?」と聞くと、「この先です。ぜひ来てください!」と言うので「うん!」と答えて行くことにしました。
でも教室に入ってチラシをよく読むと「アフリカ」ではなく「アメリカ」と書いてあります。
「ありゃ~、英語以前の問題だな・・・!?」と我ながらあきれていると、いつもと違う陽気な先生が入ってきました。なんでもポール先生はオーストラリアに帰ったのだそうです。(誰か苛めたのでしょうか?)
その先生は始めてなので、みんな緊張気味です。先生は何やら色々聞いてくるのですが、いきなり聞かれても僕の英語力ではまだ付いて行けません。そのうち「英語の歌で一番好きなのは何?」という質問が出てきました。
誰も答えないので、仕方無しに(?)「イエスタデイ」と答えると、「誰の歌?」、「ビートルズ!」、と一応会話は進んで行きます。
そのうち、音楽には"Lyrics","Tune","Melody"が云々・・・、と言った話になり、「イエスタデイのハミングは出来るか?」、と聞きます。
僕は「ハミングで歌っても面白くないと」思い、「"Lyrics"と言うのは、"Words"のことか?」と聞くと、「そうだ!」と言うので、ついに出ました。 『アメリカの歌唱文化』は日本にも息づいているぞ~!(イギリスか?)、"Yesterday all my troubles seemed so far away~"、でも、ちょっと間違っていました・・・!?
肝心のコンサートですが、立派な中ホールに、ぱらぱらの観客、「もったいないな~!」と思いつつ、でも1960年代の話が出たり、二人とも子供の頃はカントリーやブルーグラスで育ったそうで、アメリカを感じさせる良いコンサートでした。
最後のクリスマスソングでも、「お~、ホーリーナイト」と言う僕の大好きな曲を、初めて生のソプラノ歌手で聞いたのですが、こみ上げて来る物がありました。
そう言えば、腰の痛みも忘れていました。久しぶりにコンサートを聞き、生の音楽に感動すると言う感覚が、僕も含め希薄になってきている気がしました。HAOの使命はは大きいですよ!>ODA-SAN