今日は勉強の日です。国会図書館へ行くついでに、来年の干支のイノシシの写真を撮ろうと、東京駅の地下街に行きました。
「そんなところにイノシシが・・・?」、とお思いでしょうが、居るのです。(年賀状をお楽しみに!)
久しぶりにデジカメを持って出たので、黄色く色づいたイチョウの木を横目に歩いて見ました。
銀座一丁目まで歩いて地下鉄に乗るつもりで地下街を出ると、右手に有楽町の国際フォーラムが見えました。
ガラス張りの大きな空間の中に武士の銅像が建っています。
江戸城を建てた大田道灌の銅像です。移転前の都庁にあったのを移設したそうです。
大田道灌と言うと『江戸城を建てたのは誰だ?』
と言うなぞなぞで有名(?)ですが、(答えは『大工さん』)
僕が思い出すのは、
『七重八重、花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき』
と言う和歌です。
「教養が滲み出るなあ~」、と思ったのですが、出典を思い出しません。ネットで調べると落語の『道灌』でした。
「そんな訳ないだろう?」という事でさらに調べてみると、『後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたもの・・・云々』の話が出ていました。
「実の」と「雨具の蓑」を掛けたと言う話をやっと思い出しました。落語で覚えていたことは分かっていたのですが、『道灌』と言う落語のタイトルを忘れていました。
それにしてもネットで色々なことが分かる便利な世の中になったものですね!
でも、実はここに落とし穴があるような気がするのですが?
昔(子供の頃)はテレビもインターネットも無く、情報源と言えばラジオでした。ラジオドラマや寄席の中継を夢中になって聞いたものです。
映像を見るよりも音声だけの方が想像力を掻き立てられるのだと言うことを、この頃実感しています。
秋の夜はテレビの喧騒を離れ、ラジオから流れる音楽か、CDを聴くのが良いかもしれません。
「ラジオから聞こえてくる『志ん生』や『圓生』の声に 『秋の夜長』を思い出す」なんて言うのは『認知症予備軍の世代』になった証拠なんだろうな・・・!
「そんなところにイノシシが・・・?」、とお思いでしょうが、居るのです。(年賀状をお楽しみに!)
久しぶりにデジカメを持って出たので、黄色く色づいたイチョウの木を横目に歩いて見ました。
銀座一丁目まで歩いて地下鉄に乗るつもりで地下街を出ると、右手に有楽町の国際フォーラムが見えました。
ガラス張りの大きな空間の中に武士の銅像が建っています。
江戸城を建てた大田道灌の銅像です。移転前の都庁にあったのを移設したそうです。
大田道灌と言うと『江戸城を建てたのは誰だ?』
と言うなぞなぞで有名(?)ですが、(答えは『大工さん』)
僕が思い出すのは、
『七重八重、花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき』
と言う和歌です。
「教養が滲み出るなあ~」、と思ったのですが、出典を思い出しません。ネットで調べると落語の『道灌』でした。
「そんな訳ないだろう?」という事でさらに調べてみると、『後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたもの・・・云々』の話が出ていました。
「実の」と「雨具の蓑」を掛けたと言う話をやっと思い出しました。落語で覚えていたことは分かっていたのですが、『道灌』と言う落語のタイトルを忘れていました。
それにしてもネットで色々なことが分かる便利な世の中になったものですね!
でも、実はここに落とし穴があるような気がするのですが?
昔(子供の頃)はテレビもインターネットも無く、情報源と言えばラジオでした。ラジオドラマや寄席の中継を夢中になって聞いたものです。
映像を見るよりも音声だけの方が想像力を掻き立てられるのだと言うことを、この頃実感しています。
秋の夜はテレビの喧騒を離れ、ラジオから流れる音楽か、CDを聴くのが良いかもしれません。
「ラジオから聞こえてくる『志ん生』や『圓生』の声に 『秋の夜長』を思い出す」なんて言うのは『認知症予備軍の世代』になった証拠なんだろうな・・・!