慶応大学のアート・センターでやっている「記憶の南校舎」(と言っても、関係の無い人には何だか分からない?)が今日までだったので、仕事を放っぽり出して行って来ました。
僕は慶応大学の卒業生ではないのですが、慶応外語学校で20年近くお世話になっています。朝鮮語科を卒業して、聴講生生活を?年、ロシア語中級挫折・英会話来年卒業見込み・・・?、と外国語遍歴を繰り返した中で、この南校舎には、僕の「第二の青春」の血と汗と涙・・・、とは言わないまでも、鼻水と冷汗くらいは浸み込んでいるはずなので、愛着がありました。
本当は老人体操の帰りに、田町まで行ってしまいたかったのですが、仕事の電話が入り、一旦事務所に戻ってしまったのです。
そのまま仕事を続けようとしても「facebookにも紹介してしまった手前、何か気になるな・・・?」と言う事で、3時半に出かけて着いたのが4時10分、15分ほど見て気になった南校舎のベランダの左側(夜しか行っていないので、ベランダが通行出来たのを知らなかった!)の部分を確認しに行って見ました。
丁度正門前の信号が変わりかけていたので、痛い左膝をかばいながら急いで渡ると確かにベランダの残骸(?)らしきものが見えます。「あ、あれだ!」(写真左、ブレている!)新校舎の中央階段を昇り、左側へ行くと、まず目に付いたのが三田演説館なる「なまこ壁」の和洋折衷のような建物(重要文化財!)、「こんなのがあったんだ?」20年通ったにしては知らないことが多すぎるな・・・?
ベランダから繋がっていた手摺は、本来ここが1階の地上面で、見晴台のような位置づけのようです。石のベンチがありました。(ここで愛を育んだ学生もいたのだろうか・・・?)
と言う訳で、大急ぎで見て、大急ぎで帰ってきて、大急ぎで仕事をしています。
僕は慶応大学の卒業生ではないのですが、慶応外語学校で20年近くお世話になっています。朝鮮語科を卒業して、聴講生生活を?年、ロシア語中級挫折・英会話来年卒業見込み・・・?、と外国語遍歴を繰り返した中で、この南校舎には、僕の「第二の青春」の血と汗と涙・・・、とは言わないまでも、鼻水と冷汗くらいは浸み込んでいるはずなので、愛着がありました。
本当は老人体操の帰りに、田町まで行ってしまいたかったのですが、仕事の電話が入り、一旦事務所に戻ってしまったのです。
そのまま仕事を続けようとしても「facebookにも紹介してしまった手前、何か気になるな・・・?」と言う事で、3時半に出かけて着いたのが4時10分、15分ほど見て気になった南校舎のベランダの左側(夜しか行っていないので、ベランダが通行出来たのを知らなかった!)の部分を確認しに行って見ました。
丁度正門前の信号が変わりかけていたので、痛い左膝をかばいながら急いで渡ると確かにベランダの残骸(?)らしきものが見えます。「あ、あれだ!」(写真左、ブレている!)新校舎の中央階段を昇り、左側へ行くと、まず目に付いたのが三田演説館なる「なまこ壁」の和洋折衷のような建物(重要文化財!)、「こんなのがあったんだ?」20年通ったにしては知らないことが多すぎるな・・・?
ベランダから繋がっていた手摺は、本来ここが1階の地上面で、見晴台のような位置づけのようです。石のベンチがありました。(ここで愛を育んだ学生もいたのだろうか・・・?)
と言う訳で、大急ぎで見て、大急ぎで帰ってきて、大急ぎで仕事をしています。