終戦記念日です。テレビでは政治家・閣僚の靖国参拝のニュースをやっています。「不幸な過去を反省し、世界の平和を目指す」と言った決まり文句も多々出て来るのですが、僕は半信半疑で聞いています。
それはそうと、上の写真は戦時中の朝鮮、天安(チョナン)駅でのスナップです。僕が撮ったわけではありません。偶然手元に入って来た写真なのですが、3月15日のフォト日記に書いた事に対する答えがまだだった事を思い出しました。戦時中の朝鮮半島の地名のことです。
結局、質問にあったソウルの町名が「ちょう」であるか「まち」であるかは分かりませんでした。でも一応調べてはいました。国会図書館の地図室に行くと朝鮮総督府作成の「一万分一朝鮮地形図集成」という本がありました。それによると平壌でも、南町、幸町、櫻町、大和町などという地名があります。ただ残念なことに、ルビが振ってありませんでした。
さらに「近代中国都市地図集成」と言うのもあり、1922年の大連の住宅地図には、明治町、浅間町、大江町などと言う地名が読み取れます。「大日本××会社」という日本の企業の名前もあります。
そんな地名を見ていると「侵略戦争で無くて何なんだ?」と思うのですが、こんな事は歴史の教科書には書いてないのでしょう。
テレビでは、戦後60年という事で討論会もやっています。
色々な世代の人(どういう基準で選ばれたか分からない日本人・中国人・韓国人・その他のアジア人)が、それぞれの立場で討論をしているのですが、自分の目でものを見ている人は少ないような気がしました。
前述の靖国参拝のニュースを見ると、やはり「戦争は政治家・軍部の責任であり、日本の一般大衆も犠牲者だった。」と僕は思うのですが、そういう視点に立った報道がまったく見られない事が、僕には恐ろしい気がします。
それはそうと、上の写真は戦時中の朝鮮、天安(チョナン)駅でのスナップです。僕が撮ったわけではありません。偶然手元に入って来た写真なのですが、3月15日のフォト日記に書いた事に対する答えがまだだった事を思い出しました。戦時中の朝鮮半島の地名のことです。
結局、質問にあったソウルの町名が「ちょう」であるか「まち」であるかは分かりませんでした。でも一応調べてはいました。国会図書館の地図室に行くと朝鮮総督府作成の「一万分一朝鮮地形図集成」という本がありました。それによると平壌でも、南町、幸町、櫻町、大和町などという地名があります。ただ残念なことに、ルビが振ってありませんでした。
さらに「近代中国都市地図集成」と言うのもあり、1922年の大連の住宅地図には、明治町、浅間町、大江町などと言う地名が読み取れます。「大日本××会社」という日本の企業の名前もあります。
そんな地名を見ていると「侵略戦争で無くて何なんだ?」と思うのですが、こんな事は歴史の教科書には書いてないのでしょう。
テレビでは、戦後60年という事で討論会もやっています。
色々な世代の人(どういう基準で選ばれたか分からない日本人・中国人・韓国人・その他のアジア人)が、それぞれの立場で討論をしているのですが、自分の目でものを見ている人は少ないような気がしました。
前述の靖国参拝のニュースを見ると、やはり「戦争は政治家・軍部の責任であり、日本の一般大衆も犠牲者だった。」と僕は思うのですが、そういう視点に立った報道がまったく見られない事が、僕には恐ろしい気がします。
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