4月24日(月)、病院に父を見舞った後、三田の慶応大学並びにある『ラーメン二郎』に寄った。タンポポやツツジの咲く麗らかな日和だったが、列に並んでいると中で大きな音がして、暫くすると救急車が駆けつけサラリーマン風の男性を運び出していた。店主の二郎さんは救急隊員の対応で追われ、若手店員が代わっていたが、相変わらずの大盛で食べきるのにやっとだった。
4月22日(土)、今回で16回目となるPawersの会の今回の幹事は大山さん。今回も前回好評だった押上よんまるで開催された。後半にはルネサンスのインストラクター寺島君も参加してくれた。
4月20日(木)、今回のモデルは服部さんだったが、7月に大阪に戻る長井さんが東京滞在最後のモデルとなるかもしれないということで、送別会の様相を呈した打上げとなった。
4月13日(木)、朝食をホテルのレストランで摂り、レンタサイクルで飯盛山に向かった。まずは江戸時代後期に建立され、木造の二重らせん構造が珍しく、国指定重要文化財にもなっている”さざえ堂”へ。
次に、戊辰戦争で白虎隊の若き隊士19名が自刃したという悲劇の地を見、白虎隊士が出陣した旧滝沢本陣へ。帰りは前夜呑んだ七日町の居酒屋の向いにある昭和なつかし館と姉妹店のカフェ蔵を覗いてホテルに戻った。
会津若松から会津鉄道のカワイイ電車に乗って、美しい景色を眺めながら、次の目的地へ向かった。車窓から見えた”富士の湯”は前夜に入った温泉施設。
湯野上温泉駅で降りて、循環バスで大内宿へ向かった。途中から雪が振り出したので、到着後すぐに蕎麦屋に入って名物のネギ蕎麦を食べ乍ら暖を取った。大内宿は江戸時代に参勤交代の大名や旅人の宿場町として栄えたところで、かつての街道沿いに茅葺き屋根の民家が並んでいて、当時の風情が感じられた。
バスで湯野上温泉駅に戻り、時間が来るまで国内でも珍しい茅葺き屋根の駅舎を撮影したり、隣接する足湯に浸かりながら帰りの列車を待ち、無事に東京に戻った。
4月12日(水)、福島県の会津若松に1泊で旅行してきた。浅草から出ている東武線から会津鉄道に乗り換えて約5時間の電車旅。この日は、会津若松駅に到着してからレンタサイクルで先ず日本庭園が美しく各種薬草を栽培していたという御薬園へ。そこから街のシンボル鶴ヶ城へ行き、自転車を乗り捨てて、天守閣に登った。閉館ギリギリまで観光して、近くの蕎麦屋で名物のソースカツ丼を食べ、野口英世青春館のある通りを散策し、心意気の良いオヤジの居る居酒屋”会津”を経由してホテルまで帰った。
4月10日(月)、父を自宅に外出させる前に、病院の屋上庭園を見て写真を撮ってから、すぐ近くの『かむろ坂』と言う桜並木を父と母を乗せてゆっくりドライブした。ネットで調べて行ってみたのだが、満開は過ぎたものの左右から枝を伸ばす桜のトンネルは見事だった。
4月9日(日)、アテネフランセの太枝さんから紹介された大塚のスピーク・イージーというバーに行ってみた。曜日毎にメインの語学を変えており、フランス語は火曜で、日曜は特に限らないとのことだったが、バーテンダーはGuillaumeというフランス人の映画監督で、客もフランス人が二人来ていた。飲み物1杯500円だけで語学練習が出来るというのは、日本人にとってもフランス人にとってもお互いの語学勉強になり良いシステムだと思った。