大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄天北線 浅茅野駅!

2016年02月11日 | 

北海道宗谷郡猿払村にあった浅茅野駅は、音威子府駅からオホーツク沿岸を迂回して南稚内駅までの148.9kmを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった天北線の一般駅として、1919(大正8)年11月1日に開業しました(開業時は宗谷本線に所属)。
しかし、天北線がJR北海道に移行後の1989(平成元)年4月30日限りで廃止されたことに伴い、浅茅野駅も廃駅となりました。

かつては相対式ホーム2面2線を有していて列車交換が可能で、駅舎北側の切欠き部分に貨物ホームと引込み線もありましたが、1982(昭和57)年6月1日の駅の無人化とともに交換設備の運用も廃止されたので、天北線廃止時点では単式ホーム1面1線のみでした。
古い木造駅舎が廃止時まで残っていました。

浅茅野駅が属していた天北線は昭和40年頃から利用者が減少し、1981年の営業係数(100円の売り上げを得るために必要な費用)は887にまでなっていました。そのため、1980(昭和55)年12月の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが148.9kmもあった長大路線であったため地元の自治体が国に特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。
沿線自治体は天北線対策協議会を開いて存続運動を展開しますが、1988(昭和63)年に開かれた第4回対策協議会でやむなくバス転換を受け入れました。

そして天北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い浅茅野駅も廃駅となりました。

 <浅茅野駅の年表>

 ・1919(大正8)年11月1日:旧国鉄宗谷本線の一般駅として開業
 ・1930(昭和5)年4月1日:線路名が北見線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1961(昭和36)年4月1日:線路名が北見線から天北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1973(昭和48)年9月17日:駅の業務委託化 
 ・1982(昭和57)年6月1日:駅の無人化、貨物・荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年4月30日:天北線がこの日限りで廃止されたことに伴い廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(駅舎正面)


 撮影年月日:1988(昭和63)年11月6日


南海電鉄高野線(汐見橋線) 津守駅!

2016年02月10日 | 

大阪府大阪市西成区にある津守駅は、汐見橋駅と極楽橋駅とを結んでいる全長64.5kmの南海電鉄高野線(汐見橋駅~岸里玉出間=通称名・汐見橋線)の駅です。
もともとは高野登山鉄道の仮駅として、1913(大正2)年2月21日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する無人駅です。
駅舎は上りホーム(汐見橋行きホーム)の岸里玉出寄りにあり、下りホームへ行くには構内踏切を渡ります。

2012(平成24)年度の1日の平均乗降人員は600人で、これは南海電鉄の全100駅中82位です。 また、汐見橋線の駅では6駅中2位です。

 <津守駅の年表>

 ・1913(大正2)年2月21日:高野登山鉄道の仮駅として開業
 ・1915(大正4)年4月30日:社名変更により大阪高野鉄道の駅となる
 ・1916(大正5)年3月27日:一般駅に昇格する
 ・1922(大正11)年9月6日:会社合併により南海鉄道の駅となる
 ・1944(昭和19)年6月1日:南海鉄道が関西急行鉄道と合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が旧・南海鉄道の路線を南海電気鉄道に譲渡したことにより、同鉄道の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(岸里玉出方面を望む)

 
(汐見橋方面を望む)

 
(津守駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2015(平成27)年12月20日


姫新線 余部駅!

2016年02月09日 | 

兵庫県姫路市にあるJR西日本の余部駅は、山陽本線の姫路駅から津山駅を経て新見駅までを結んでいる全線単線非電化の姫新線(158.1km)の一般駅として、1930(昭和5)年9月1日に開業しました(開業時は姫津線の所属)。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な業務委託駅です。
古い木造駅舎が改修されているものの今も健在です。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は1,949人です。

 <余部駅の年表>

 ・1930(昭和5)年9月1日:姫津線の一般駅として開業
 ・1934(昭和9)年11月28日:姫津線が姫津東線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1936(昭和11)年4月8日:姫津東線が姫津線の一部となり、同線の駅となる
 ・1936(昭和11)年10月10日:姫津線が姫新線の一部となり、同線の駅となる
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(左はJR西日本の駅名標:右は国鉄時代の駅名標)

 
(姫路方面を望む)

 
(佐用方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(駅舎正面)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:国鉄時代の駅名標のみ1989(平成元)年4月5日撮影、その他は2003(平成15)年1月13日撮影


紀勢本線 栃原駅!

2016年02月08日 | 

三重県多気郡大台町にあるJR東海の栃原駅は、亀山駅から新宮駅、紀伊田辺駅を経て和歌山市駅までの384.2kmを結んでいる紀勢本線の一般駅として、1923(大正12)年3月20日に開業しました(開業時は紀勢東線に所属)。

相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
かつては開業時に建てられた木造駅舎がありましたが、2000(平成12)年2月に新しい簡易駅舎に建て替えられました。

2013(平成25)年度の1日の平均乗車人員は137人です。

 <栃原駅の年表>

 ・1923(大正12)年3月20日:国鉄紀勢東線の一般駅として開業
 ・1959(昭和34)年7月15日:紀勢東線が紀勢本線の一部となり、同線の駅となる
 ・1983(昭和58)年12月21日:貨物取扱い廃止、駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(亀山方面を望む)

 
(左は旧駅舎:右は現在の駅舎)


 撮影年月日:旧駅舎のみ1997年9月20日撮影、その他は2006(平成18)年5月20日撮影


山陽本線 英賀保駅!

2016年02月07日 | 

兵庫県姫路市飾磨区にあるJR西日本の英賀保駅は、神戸駅から瀬戸内海に沿って門司駅までを結んでいる全線直流電化の山陽本線(537.1km・和田岬線を含む)の信号所として1911(明治44)年11月1日に開設し、その後、一般駅に昇格しました。

12両編成対応の単式ホームと島式ホームの2面3線を有する直営(有人)駅です。
古い木造駅舎が今も健在です。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は4,052人です。

この英賀保駅は、姫路市飾磨区唯一のJR駅です。

 <英賀保駅の年表>

 ・1911(明治44)年11月1日:国鉄山陽本線の信号所として開設
 ・1913(大正2)年4月15日:一般駅に昇格して英賀保駅となる
 ・1961(昭和36)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(神戸方面を望む)

 
(岡山方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(駅舎正面)


 撮影年月日:2014(平成26)年1月2日