大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

近江鉄道八日市線 武佐駅!

2020年01月26日 | 

滋賀県近江八幡市長光寺町にある武佐駅は、八日市駅から近江八幡駅までを結んでいる全線単線の近江鉄道八日市線(9.3km)の駅です。 もともとは湖南鉄道の駅として、1913(大正2)年12月29日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換可能な無人駅です。
駅舎は上りホーム(八日市方面行き)側にあり、お互いのホームは構内踏切で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は314人で、これは起終点駅を含む八日市線の全7駅中5位です。

かつては当駅から東海カーボン滋賀工場へ向けて専用線が敷かれ、車扱貨物の取扱いや近江八幡駅経由で原料や製品の貨物輸送も行われていましたが、国鉄の貨物輸送減少のあおりを受けて1984(昭和59)年2月1日に廃止されました。

武佐駅が属する近江鉄道八日市線は、近江盆地の八日市市と近江八幡市の2つの都市間を結ぶ近江鉄道の主力路線で、2013(平成25)年3月16日から「万葉あかね線」の愛称が付けられています。

  <武佐駅の年表>

 ・1913(大正2)年12月29日:湖南鉄道の駅として開業
 ・1927(昭和2)年5月15日:琵琶湖鉄道汽船が湖南鉄道を合併したことにより、同社の駅となる
 ・1929(昭和4)年4月1日:琵琶湖鉄道汽船が近江八幡駅~新八日市駅間を八日市鉄道へ譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・1944(昭和19)年3月1日:太平洋戦争中の陸上交通事業調整法に基づく戦時企業統合政策により、近江鉄道が八日市鉄道を合併し、同鉄道八日市線の駅となる
 ・1946(昭和21)年1月1日:近江八幡駅~当駅~新八日市駅間が電化される
 ・1984(昭和599年2月1日:東海カーボン滋賀工場専用線廃止に伴って、貨物取扱い廃止
 ・2013(平成25)年3月16日:「万葉あかね線」の愛称を使用開始
 ・2019(令和元)年9月15日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(踏切上から近江八幡方面を望む)

 
(踏切上から八日市方面を望む)

 
(武佐駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2019(令和元)年8月18日


今日はホットケーキの日!

2020年01月25日 | 今日は何の日

1月25日はホットケーキの日です。

ホットケーキミックスの売り上げナンバーワンメーカーである森永製菓株式会社が、とくに寒くなるこの時期に美味しいホットケーキを食べて心も体も暖めてほしいとの願いを込めて、1月25日を「ホットケーキの日」に制定しました。

日付は、1902年(明治35年)1月25日に北海道の旭川気象台において日本の観測史上最低気温(-41.0℃)を記録したことにちなんで、この日になりました。

ホットケーキは、小麦粉に卵やベーキングパウダー、砂糖、牛乳、水などを混ぜ、フライパンで両面を焼いた料理で、英語圏では「パンケーキ(pancake)」と呼ばれています。

このホットケーキ(パンケーキ)は、粉と水、燃料、パンケーキを焼く金属製や石製の表面があれば簡単に作れるため、その歴史は古代エジプトまで遡るといわれ、古代エジプトでは人々の健康と幸福を祈り、神への捧げ物として作られていたそうです。

英語圏では古くから脂の火曜日(灰の水曜日の前日)にパンケーキを焼いて食べる習慣があるため、この日をパンケーキの火曜日と呼ぶ習慣があります。 また、フランスとカナダの旧フランス領では主の迎接祭(2月2日)にクレープを焼き、ロシアでは灰の水曜日の前のマースレニッツァ(バター週間)にブリヌイを焼いて食べるなど、ヨーロッパでは早春の行事にパンケーキが関係していることが多いようです。

日本においては明治30年代初頭に雑誌で紹介されたのが最初といわれており、1914年(大正3年)に東京・上野にて現在と同様のホットケーキのようなどら焼きが誕生したとされています。

ちなみに、ホットケーキという名称の由来については諸説あり、ホットプレートで焼いていた事からパンケーキではなくホットケーキと言われる説や、日本でホットケーキミックスを発売した社長が「温かいケーキだからホットケーキ」と名づけたことが始まりと言う説などがあります。


関西本線 大河原駅!

2020年01月24日 | 

京都府相楽郡南山城村大字北大河原小字欠ヶ原にあるJR西日本の大河原駅は、名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経てJR難波駅に至る全長179.6kmの関西本線の駅です。
もともとは関西鉄道の一般駅として、1897(明治30)年11月11日に開業しました。

長い相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な簡易委託駅(早朝と夕方以外は無人)です。
1954(昭和29)年3月に建てられたブロック造の2代目駅舎が下りホーム(加茂方面行きホーム)側にあり、上りホームへは跨線橋で連絡しています。。

この大河原駅は南山城村の代表駅ですが、当駅の利用者はJR西日本に属する関西本線の駅の中で最も少なく、2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は107人です。

大河原駅が属する関西本線の亀山駅~加茂駅間は、大和街道に沿っていますが、山間部が多く非電化区間です。そして、現在では単行(1両編成)や2両編成の気動車(キハ120形)で普通列車が走るのみですが、かつては急行列車や貨物列車など長大編成の列車が走っていたため、各駅ともホームや交換設備の有効長が非常に長く、また中線があった駅は上り線と下り線の間に中線が撤去された空間が空いています。

 <大河原駅の年表>

 ・1897(明治30)年11月11日:関西鉄道の一般駅として開業
 ・1907(明治40)年10月1日:鉄道国有法により関西鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により関西本線となり、同線の駅となる
 ・1953(昭和28)年8月15日:南山城水害で駅舎が流出
 ・1954(昭和29)年3月31日:現在の駅舎再建
 ・1970(昭和45)年8月1日:貨物取扱い廃止
 ・1983(昭和58)年5月1日:駅の無人化(簡易委託)
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・2017(平成29)年10月22日:台風21号の影響で亀山駅~加茂駅間が不通となったことにより、営業休止
 ・2017(平成29)年11月1日:柘植駅~加茂駅間で運転再開したことにより、営業再開

 
(駅 名 標)

  
(跨線橋から亀山方面を望む)

 
(大河原駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2016(平成28)年1月10日


北条鉄道 網引駅!

2020年01月23日 | 

兵庫県加西市網引町字堂の前にある網引駅は、JR加古川線の粟生駅と北条町駅とを結んでいる全線単線非電化の第3セクター北条鉄道北条線(13,7km)の駅です。
もともとは播州鉄道の一般駅として1915(大正4)年3月3日に開業しましたが、その後、播丹鉄道を経て国鉄北条線の駅となりました。

北条町方面に向かって右側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅です。
かつてあった木造駅舎は1984(昭和59)年6月に放火により焼失しましたが、2013(平成25)年2月に新しい駅舎が建てられ、駅舎内ではボランティア駅長による「切り絵教室」や「鉄道グッズ」の販売、また地域住民との交流を広げる憩いの場として活用されています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は44人で、北条鉄道の中では最も利用客が少ない駅です。

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月31日に網引駅北西にあった鶉野飛行場で試験飛行をしていた日本海軍の戦闘機「紫電改」が、当駅~法華口駅間の線路をかすめて不時着したため線路が歪み、その直後に通過した上り列車が転覆して、死者11人・負傷者104人の大事故となりました。

網引駅が属する北条鉄道の前身である旧国鉄北条線は、1980(昭和55)年12月27日に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により高砂線や三木線とともに第1次特定地方交通線に選定されてしまいます。 地元では数回にわたって北条線特定地方交通線対策協議会を開いて協議した結果、1984(昭和59)年5月25日の対策協議会において正式に第3セクター鉄道として存続させることを決定し、翌年の1985(昭和60)年4月1日に国鉄北条線が第3セクターの北条鉄道に転換されました。

  <網引駅の年表>

 ・1915(大正4)年3月3日:播州鉄道の一般駅として開業
 ・1923(大正12)年12月21日:播州鉄道が播丹鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1943(昭和18)年6月1日:播丹鉄道が国有化されて国鉄北条線となり、同線の駅となる
 ・1962(昭和37)年3月1日:貨物取扱い廃止
 ・1973(昭和48)年10月1日:駅の無人化
 ・1984(昭和59)年6月:放火により駅舎焼失
 ・1985(昭和60)年4月1日:国鉄北条線が第3セクターの北条鉄道に転換されたことにより、同鉄道の駅となる
 ・2003(平成15)年8月8日:「列車転覆事故殉難の地」と書いた慰霊看板を駅に設置
 ・2013(平成25)年2月19日:新しい駅舎を再建
 ・2013(平成25)年4月 :駅前が「播磨中央自転車道中間休憩所」として整備される

 
(駅 名 標)

 
(北条町方面を望む)

 

 
(駅舎・ホーム側)

 
(網引駅駅舎)

 
(駅 舎 内)

 
(「列車転覆事故殉難の地」碑)


 撮影年月日:2016(平成28)年8月14日


今日は飛行船の日!

2020年01月22日 | 今日は何の日

1月22日は飛行船の日です。

1916(大正5)年の今日(1月22日)、我が国初の国産飛行船である大日本帝国陸軍の「雄飛号」が、所沢~大阪間で実験飛行を行いましたが、それを記念して1月22日は「飛行船の日」とりました。

この雄飛号は、1912(明治45)年6月にドイツから購入したものの、1913(大正2)年3月28日に破損したバルセヴァル式飛行船を改修したもので、臨時軍用気球研究会が開発して1915(大正4)年4月に竣工した飛行船です。
雄飛号の主要諸元は、容積:1万立方メートル、重量:8.1トン、全長:85.0m、全幅:15.5m、全高:22.5 m、乗組人員:6~12名、最大航速:12時間、巡航速度:57.6 km/h、最大速度:68.4 km/h、昇騰高:2.5km、最大航続時間:20時間。

雄飛号は所沢を離陸した後、途中で中間点の豊橋に着陸し、大阪までの全所要時間は11時間34分でした。
ちなみに、所沢への帰還飛行は機関不調のため行なわず、機体を分解し陸送されました。

飛行船とは、空気より比重の軽いガスをつめた袋によって機体を浮揚させ、これにエンジンやプロペラなどの推進用の動力を付けて操縦可能にした航空機の一種で、20世紀前半までは航空機輸送の担い手として大西洋横断飛行などにも就航していました。しかし、1937(昭和12)年5月6日にアメリカ合衆国ニュージャージー州マンチェスター・タウンシップにあるレイクハースト海軍飛行場で発生した「ヒンデンブルク号」の墜落事故を契機に飛行船の信頼性は失墜し、航空機輸送の担い手としての役割を終えました。
現在では、飛行船は公告宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性のヘリウムガスを利用した飛行船が小規模に使われおり、またラジコン飛行船の用途分野も広がっています。