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「積木くずし」穂積隆信さん、死去の7カ月前から生活保護に 所得税延滞金700万円抱え、年金0の壮絶晩年
2018/10/28 08:00
累計で300万部以上を売り上げ、映画やテレビドラマにもなったベストセラー「積木くずし」の著者である、俳優の穂積隆信さん(享年87)が胆のう癌でなくなって1週間あまり。その晩年とは……。
「僕は自殺しようと思っているんだよ」
意を決したように、穂積隆信さんはこう切り出した。渋谷駅近くの喫茶店。今年2月27日のことだった。
その直前の2月24、25の両日、穂積さんは劇団「はーとふる・はんど」(主宰/山辺ユリコ)の手話による芝居とダンスの公演「人生のおみやげ」(監修/石井ふく子、脚本/菊村禮)に、遊園地の老職員役で出演。
主演の小林綾子さんらを相手に熱演した。
この作品では、自殺しようとする主人公を思いとどまらせる重要な役回りだった。
筆者は取材を通じて2年前に穂積さんと知り合い、以来、たびたび相談相手となった。「人生のおみやげ」も観劇し、感動したばかりだった。それなのに……。
「もうお金がなくてね。来月分の生活費と7万5千円の家賃はなんとかなる。
でも4月以降は収入がなくて、にっちもさっちもいかないんだ」
穂積さんは、ベストセラー「積木くずし ―親と子の二百日戦争」(1982年 桐原書店)の印税収入が3億円を超えたといわれ、当時、俳優業はもとより教育評論家としての所得は億単位。
だが、詐欺事件に巻き込まれ、家族は崩壊。離婚に至る過程ですべてを無くしていた。
しかも所得税の滞納による延滞金を700万円以上抱えており、預金は10万円に満たないと漏らした。
「延滞金は確定申告の還付金で少しずつ支払っているんだけど、収入は先細り。
昨年は舞台と経営者向け情報誌の対談の仕事で300万円ほどの収入があったものの、今はまだ何も決まっていないんだ」
年金があるのでは?
三越劇場「人生のおみやげ」(2018年2月24日、25日)主演の小林綾子さんと稽古場で談笑中の穂積さん(写真提供 劇団はーとふる・はんど)© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供三越劇場「人生のおみやげ」(2018年2月24日、25日)主演の小林綾子さんと稽古場で談笑中の穂積さん(写真提供 劇団はーとふる・はんど)
「お恥ずかしい話、年金はゼロ。もらってないよ。
『積木くずし』が売れに売れて、俳優だけでなく教育評論家としても全国を飛び回っていたでしょ。それで仕事以外のことは全部他人任せにしていたら、そいつが仕事をせずにずっと未納して着服していたんだ。気が付いた時には資格喪失で手遅れ。だからいっそのこと死んでしまったほうが楽なんじゃないかと……」
穂積さんは亡くなるまでの8年間、一人暮らしだった。1993に再々婚した最愛の妻玲子さんが2010年に脳梗塞で倒れ、ケアハウスに入居したからだ。玲子さんは昨年2月、鬼籍に入り、穂積さんは失意の中にいた。
体調も今ひとつ。稽古場や舞台本番では元気に振る舞っていたが、左目は5~6年前から発症した白内障が悪化し、視力はほぼゼロ。膀胱の機能低下にも悩まされ、2月21日に情報誌の仕事で金沢へ行った時は、「寒さのせいか足を引きずるように歩いていた」(訪問先の海鮮丼専門店主)。
すでに病魔を感じ取り、自殺衝動に駆られたのかもしれない。思い詰めたその表情から、冗談でないことがうかがえた。1カ月ほど前、政治評論家の西部邁氏が多摩川に「入水自殺」したことが頭をよぎった。
筆者が意を決して勧めたのは、生活保護の受給だった。当初、本人は渋った。だが、「公的支援を受けて俳優を続けるのが最善では。もし今後、収入があれば新たな道が開けるかも」と繰り返し説得し、穂積さんはようやくうなづいた。
2日後の3月1日、区役所保護課へ同行し、申請。ケースワーカーの自宅訪問を経て受給が決まった。開始は3月中旬。生活扶助と住宅扶助を含めた総額は12万8千円余りだった。
しかし、住宅扶助の上限5万3700円を超える家賃は生活扶助からの持ち出しになる。そこで穂積さんは申請後、安いアパートを借りるため、不動産業者を訪ね歩いた。
「でもねえ、借りるのが僕だと知ると、けんもほろろ。あらためて現実を知ったよ」
65歳以上の独居老人は男女ともに1980年代から急激に増えている。総務省の国勢調査によると、80年には男性約19万人、女性約69万人で高齢者人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%であったが、2015年にはそれぞれ約192万人と約400万人にのぼり、割合は13.3%と21.1%になった。今後も増えることはあっても減ることはないだろう。公的住宅の抽選に当たればいいが、当時、86歳だった穂積さんのような高齢の独居老人にとって、民間賃貸住宅のハードルは高い。
とはいえ、国は放置はできないだろう。日本銀行の金融広報中央委員会が毎年発表している「家計の金融資産に関する世論調査」によると、1997年は10%だった「貯蓄なし世帯」は、アベノミクスが本格化した2013年以降、30%を超える水準が続いている。3軒に1軒が貯蓄のない「貧困世帯」だからだ。
穂積さんはその一例に過ぎず、将来の生活保護予備軍は全国各地に拡大中と言っても過言ではあるまい。「明日は我が身」なのである。
生活保護の受給決定後に穂積さんと会った時は、経済的な不安が解消されたためか、表情は明るかった。
「今まで身の回りの世話は女房の妹さんに頼んでいたんだけど、今は断って、炊事、洗濯を自分でやるようになってね。洗濯機を初めて使ったよ」
その後、来年5月の名古屋御園座での1カ月公演が決まった。時代劇の舞台。穂積さんは家老役だ。
「過労で倒れないように、今から体力作りをしないとね」
オヤジギャグを言う気力はあった。それと同じ時期に、「遺言」として、これまでの俳優人生、そして「積木くずし」以降の家族のことを一冊にまとめたいと相談された。
だが、7月28日、胆のうがんが発覚。すでにステージ4にまで悪化しており、自宅近くの大学付属病院に緊急入院した。
「7月16日に渋谷で『はーとふる・はんど』の手話イベントがあった際、穂積さんが暑い中、あいさつに来てくださったんです。でも、シルバーグレーだった髪の毛は薄くなり、やつれた表情でした。お客様の中にお医者様がいて、『穂積さん、黄疸が出てるんじゃないか』と心配されてました」(前出の山辺ユリコさん)。
だが、入院については、本人たっての希望で伏せられた。
「『積木くずし』で僕や家族の人生は狂ってしまった。原因を作った僕のような人間は、誰にも知られずに死んでいったほうがいいんだ」
穂積さんの口癖だった。そして見舞いにきた付き人の手を握り、温もりを確かめるように「由香里」と愛娘の名前を何度も何度もつぶやいたという。
10月19日午前3時32分、最後の時を迎えた。看取ったのは、唯一の肉親である姪と最後の付き人、そして元付き人の3人。遺体は、2年前に申請してあった都内の大学病院に献体された。(高鍬真之)
「積木くずし」穂積隆信さん、死去の7カ月前から生活保護に 所得税延滞金700万円抱え、年金0の壮絶晩年
2018/10/28 08:00
累計で300万部以上を売り上げ、映画やテレビドラマにもなったベストセラー「積木くずし」の著者である、俳優の穂積隆信さん(享年87)が胆のう癌でなくなって1週間あまり。その晩年とは……。
「僕は自殺しようと思っているんだよ」
意を決したように、穂積隆信さんはこう切り出した。渋谷駅近くの喫茶店。今年2月27日のことだった。
その直前の2月24、25の両日、穂積さんは劇団「はーとふる・はんど」(主宰/山辺ユリコ)の手話による芝居とダンスの公演「人生のおみやげ」(監修/石井ふく子、脚本/菊村禮)に、遊園地の老職員役で出演。
主演の小林綾子さんらを相手に熱演した。
この作品では、自殺しようとする主人公を思いとどまらせる重要な役回りだった。
筆者は取材を通じて2年前に穂積さんと知り合い、以来、たびたび相談相手となった。「人生のおみやげ」も観劇し、感動したばかりだった。それなのに……。
「もうお金がなくてね。来月分の生活費と7万5千円の家賃はなんとかなる。
でも4月以降は収入がなくて、にっちもさっちもいかないんだ」
穂積さんは、ベストセラー「積木くずし ―親と子の二百日戦争」(1982年 桐原書店)の印税収入が3億円を超えたといわれ、当時、俳優業はもとより教育評論家としての所得は億単位。
だが、詐欺事件に巻き込まれ、家族は崩壊。離婚に至る過程ですべてを無くしていた。
しかも所得税の滞納による延滞金を700万円以上抱えており、預金は10万円に満たないと漏らした。
「延滞金は確定申告の還付金で少しずつ支払っているんだけど、収入は先細り。
昨年は舞台と経営者向け情報誌の対談の仕事で300万円ほどの収入があったものの、今はまだ何も決まっていないんだ」
年金があるのでは?
三越劇場「人生のおみやげ」(2018年2月24日、25日)主演の小林綾子さんと稽古場で談笑中の穂積さん(写真提供 劇団はーとふる・はんど)© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供三越劇場「人生のおみやげ」(2018年2月24日、25日)主演の小林綾子さんと稽古場で談笑中の穂積さん(写真提供 劇団はーとふる・はんど)
「お恥ずかしい話、年金はゼロ。もらってないよ。
『積木くずし』が売れに売れて、俳優だけでなく教育評論家としても全国を飛び回っていたでしょ。それで仕事以外のことは全部他人任せにしていたら、そいつが仕事をせずにずっと未納して着服していたんだ。気が付いた時には資格喪失で手遅れ。だからいっそのこと死んでしまったほうが楽なんじゃないかと……」
穂積さんは亡くなるまでの8年間、一人暮らしだった。1993に再々婚した最愛の妻玲子さんが2010年に脳梗塞で倒れ、ケアハウスに入居したからだ。玲子さんは昨年2月、鬼籍に入り、穂積さんは失意の中にいた。
体調も今ひとつ。稽古場や舞台本番では元気に振る舞っていたが、左目は5~6年前から発症した白内障が悪化し、視力はほぼゼロ。膀胱の機能低下にも悩まされ、2月21日に情報誌の仕事で金沢へ行った時は、「寒さのせいか足を引きずるように歩いていた」(訪問先の海鮮丼専門店主)。
すでに病魔を感じ取り、自殺衝動に駆られたのかもしれない。思い詰めたその表情から、冗談でないことがうかがえた。1カ月ほど前、政治評論家の西部邁氏が多摩川に「入水自殺」したことが頭をよぎった。
筆者が意を決して勧めたのは、生活保護の受給だった。当初、本人は渋った。だが、「公的支援を受けて俳優を続けるのが最善では。もし今後、収入があれば新たな道が開けるかも」と繰り返し説得し、穂積さんはようやくうなづいた。
2日後の3月1日、区役所保護課へ同行し、申請。ケースワーカーの自宅訪問を経て受給が決まった。開始は3月中旬。生活扶助と住宅扶助を含めた総額は12万8千円余りだった。
しかし、住宅扶助の上限5万3700円を超える家賃は生活扶助からの持ち出しになる。そこで穂積さんは申請後、安いアパートを借りるため、不動産業者を訪ね歩いた。
「でもねえ、借りるのが僕だと知ると、けんもほろろ。あらためて現実を知ったよ」
65歳以上の独居老人は男女ともに1980年代から急激に増えている。総務省の国勢調査によると、80年には男性約19万人、女性約69万人で高齢者人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%であったが、2015年にはそれぞれ約192万人と約400万人にのぼり、割合は13.3%と21.1%になった。今後も増えることはあっても減ることはないだろう。公的住宅の抽選に当たればいいが、当時、86歳だった穂積さんのような高齢の独居老人にとって、民間賃貸住宅のハードルは高い。
とはいえ、国は放置はできないだろう。日本銀行の金融広報中央委員会が毎年発表している「家計の金融資産に関する世論調査」によると、1997年は10%だった「貯蓄なし世帯」は、アベノミクスが本格化した2013年以降、30%を超える水準が続いている。3軒に1軒が貯蓄のない「貧困世帯」だからだ。
穂積さんはその一例に過ぎず、将来の生活保護予備軍は全国各地に拡大中と言っても過言ではあるまい。「明日は我が身」なのである。
生活保護の受給決定後に穂積さんと会った時は、経済的な不安が解消されたためか、表情は明るかった。
「今まで身の回りの世話は女房の妹さんに頼んでいたんだけど、今は断って、炊事、洗濯を自分でやるようになってね。洗濯機を初めて使ったよ」
その後、来年5月の名古屋御園座での1カ月公演が決まった。時代劇の舞台。穂積さんは家老役だ。
「過労で倒れないように、今から体力作りをしないとね」
オヤジギャグを言う気力はあった。それと同じ時期に、「遺言」として、これまでの俳優人生、そして「積木くずし」以降の家族のことを一冊にまとめたいと相談された。
だが、7月28日、胆のうがんが発覚。すでにステージ4にまで悪化しており、自宅近くの大学付属病院に緊急入院した。
「7月16日に渋谷で『はーとふる・はんど』の手話イベントがあった際、穂積さんが暑い中、あいさつに来てくださったんです。でも、シルバーグレーだった髪の毛は薄くなり、やつれた表情でした。お客様の中にお医者様がいて、『穂積さん、黄疸が出てるんじゃないか』と心配されてました」(前出の山辺ユリコさん)。
だが、入院については、本人たっての希望で伏せられた。
「『積木くずし』で僕や家族の人生は狂ってしまった。原因を作った僕のような人間は、誰にも知られずに死んでいったほうがいいんだ」
穂積さんの口癖だった。そして見舞いにきた付き人の手を握り、温もりを確かめるように「由香里」と愛娘の名前を何度も何度もつぶやいたという。
10月19日午前3時32分、最後の時を迎えた。看取ったのは、唯一の肉親である姪と最後の付き人、そして元付き人の3人。遺体は、2年前に申請してあった都内の大学病院に献体された。(高鍬真之)