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徴用被害補償問題、これまでの韓国政府の立場

2018-10-30 14:41:55 | 日記

徴用被害補償問題、これまでの韓国政府の立場

10/30(火) 14:11配信

中央日報日本語版


韓国最高裁判所の強制徴用損害賠償判決(30日)の争点は1965年の韓日協定で個人の賠償請求権が解決されたかどうかだ。

最高裁が請求権を認める場合、韓日協定以来53年ぶりの立場の変更となる。

韓国政府がその間、強制徴用者個人の賠償請求権はすでに消滅したという公式の立場を維持してきたのには理由がある。

韓日協定締結の過程ですでに該当問題が扱われたからだ。

両国が65年の協定締結にいたるまで交渉は14年間にわたり行われた。

強制徴用被害補償問題については1952年に財産請求権委員会を設置して議論を始めた。

韓国側は「対日請求要綱」を提出し、ここの8項目について双方の激しい攻防があった。

このうち5項目で韓国は「被徴用韓国人の未収金およびその他請求権を返済すること」を要求した。

この過程で日本は徴用被害個人に対して日本政府が直接賠償する案を取り上げた。

しかし韓国側は「個人に対しては韓国国内で処理する。

補償金の支払いは日本から補償金を受けた後、韓国内で処理することができる問題」とし、国が賠償金を受けて被害国民に分けると主張した。


国際法的に通用する「一括補償協定(lump-sum settlement)」方式だった。

61年の交渉で韓国は具体的に強制徴用被害生存者1人あたり200ドル、死者1人あたり1650ドルずつ計3億6400万ドルを決め、日本に要求した。

しかし日本が出す資金の性格をめぐり双方は平行線をたどった。

植民支配を合法と見る日本は「経済協力資金」という札を付けようとしたが、韓国側は植民支配清算の意味があるべきだとして対立した。

結局、国交正常化のための政治的な妥結があり、関連条約は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」と題して折衝した。

しかし協定第1条で日本が3億ドルの無償供与と2億ドルの政府借款を提供することにし、第2条で請求権問題が完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認すると規定し、1条と2条の相関関係を明確に言及していない。

日本の資金提供が請求権解決のためかどうか明確に整理せず、あいまいに処理されたのだ。

強制徴用被害者の賠償請求権問題が再び水面上に浮上したのは2005年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が韓日協定交渉関連の外交文書を全面的に公開してからだ。

盧大統領は同年の三一節(独立運動記念日)の演説で「被害者としては国が(韓日協定を締結して)国民一人一人の請求権を一方的に処分したことを納得しがたいはず」とし「遅れたが、今からでも政府はこの問題の解決に向けて積極的に努力する」と述べた。

関連の検討のため首相室傘下に「韓日会談文書公開官民共同委員会」が設置された。

当時の李海チャン(イ・ヘチャン)首相、李容勲(イ・ヨンフン)弁護士が共同委員長を務め、65年に締結された請求権協定の効力の範囲と、これに基づく政府の対策について議論した。

共同委は同年8月26日、「韓日請求権協定は日本の植民支配の賠償を請求するためのものでなく、韓日両国間の財政的、民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、したがって日本軍慰安婦問題など日本政府や軍など国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては請求権協定によって解決されたと見ることはできず、日本政府の法的責任が残っている。

サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定に含まれていない」と明らかにした。

▼日本軍慰安婦▼サハリン同胞▼原爆被害に対する賠償請求権は未解決という点を明確にした。

しかし強制動員被害者についてはすでに解決済みという立場を明らかにした。

「請求権協定を通じて日本から受けた無償3億ドルは個人財産権、朝鮮総督府の対日債権など韓国政府が国家として持つ請求権、強制徴用被害補償問題解決の性格を帯びた資金などが包括的に考慮されたと見るべき」とした。そして韓国政府にこの人たちを救済する「道義的な責任」があると言及した。

政府はその後、強制徴用被害補償問題は韓日協定で解決済みという立場を維持してきた。

文在寅(ムン・ジェイン)政権に入っても同じだった。

しかし最近、強制徴用関連の司法取引に対する捜査が始まると、「捜査中の事件について言及するのは適切でない」と立場を変えた。

元徴用工へ賠償命令 韓国最高裁が新日鉄住金に

2018-10-30 14:27:54 | 日記
元徴用工へ賠償命令 韓国最高裁が新日鉄住金に

2018.10.30 14:18

 【ソウル=桜井紀雄】

日本による朝鮮半島統治時代に「強制労働させられた」として、元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し上告審で、韓国最高裁は30日、同社に原告1人当たり1億ウォン(約1千万円)の賠償支払いを命じる確定判決を言い渡した。

 日本政府は請求権問題が1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場で、同社も同様の主張をしたが、これを退けた。

今後、同様の判決が相次ぐ恐れがあり、日韓の外交・経済関係への多大な影響は避けられない。

韓国、「日韓大荒れ?」徴用工問題の最終判決しだい「決定的亀裂」

2018-10-30 14:09:39 | 日記
勝又壽良の経済時評

日々、内外のニュースに接していると、いろいろの感想や疑問が湧きます。それらについて、私なりの答えを探すべく、このブログを開きます。私は経済記者を30年、大学教授を16年勤めました。第一線記者と研究者の経験を生かし、内外の経済情報を立体的に分析します。

2018-10-30 05:00:00

韓国、「日韓大荒れ?」徴用工問題の最終判決しだい「決定的亀裂」

きょう10月30日は、韓国大法院(最高裁判所)から戦時中に日本で働いた韓国人徴用工の個人賠償問題の判決が下される。

仮に、個人賠償を認める判決が出れば、日韓請求権協定(1965年)で、「個人に賠償金を支払うよりも国が一括で受けるのがよい」という解釈に反する。

日本としては、絶対に受入れられぬとして強い対応を取るものと見られる。国際司法裁判所(ICJ)への提訴が検討されている。この場で、「韓国が国家間の協定を守らない」として国際的なキャンペーンを行なうとみられる。

韓国の文在寅大統領は昨年8月、韓国人徴用工の個人請求権が日韓請求権協定でも消えていないとの認識を示して以来、日本では韓国大法院の判決を注目している。

韓国では、大統領の意向が司法に影響を与えるからだ。

盧武鉉政権は、日韓請求権協定に徴用工問題も含まれているとの政府見解をまとめている。

文氏はそれにかかわった。文大統領の前記発言が、日本側には「二重」の意味での合意破りに映っている。


昨年8月、文在寅大統領発言に対しては、次のように報じられていた。

『日本経済新聞』(2017年8月18日付)で、「韓国不信、徴用工問題、増幅する懸念」と題する記事を掲載していた。

(1)

「日本政府は、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が徴用工を巡る個人の請求権は消えていないとの認識を示したことについて、『請求権問題は完全かつ最終的に解決済みだ』(政府高官)との立場を崩していない。

日韓合意を踏まえた従軍慰安婦像の移転にメドがたたない中での新たな問題提起に、日本政府内では『またか』との不快感が広がる。

徴用工は従軍慰安婦よりはるかに数が多く、『巨額の賠償請求が発生しかねず日韓関係を根本から揺さぶりかねない』(日本政府関係者)と警戒する。

首相周辺は「北朝鮮情勢で連携せざるを得ないのをいいことに、韓国側は日本側の足元をみているのではないか」との不快感を示した」


文大統領が、韓国で係争中の問題である徴用工の個人賠償問題に言及したことは、司法への「政治不介入」という原則を逸脱している。

その意味で、日本の不信を買っている。

対象者が多いだけに、日本企業に巨額賠償が発生する恐れも大きい。

本来なら、韓国政府が個人賠償で支払わなければならない金銭を、自らがインフラ投資に使っており、日本としては「二重払い」という不当な事態になりかねない。

日本政府が、その違法性を国際司法裁判所へ訴えるのは当然である。


『中央日報』(10月20日付)は、「韓日関係『雷管』の強制徴用、30日に大法院判決」と題する記事を掲載した。問題の経緯は、この記事で分る。


(2)

「韓日関係の「雷管」と見なされてきた、日帝強制徴用をめぐる損害賠償請求訴訟の最終審の判決が30日に下される。

(原告の)ヨさんら4人は1941~43年に旧日本製鉄側の懐柔で日本に渡ったが、大阪などで自由を剥奪されたままきつい労役に苦しめられ、賃金までまともに受けることができなかったとして、1997年に日本の裁判所に損害賠償訴訟を起こして敗訴した。

この判決は2003年に日本の最高裁判所で確定した。

その後、韓国国内でも提起された訴訟は1、2審の棄却(2007-09年)→大法院の破棄・差し戻し(2012年)→控訴審の賠償判決(2013年)を経て今年、大法院全員合議体に回付された。

この過程で韓国外交部は「1965年の韓日請求権協定締結以降、個人請求権問題は解決した」という立場を堅持した」


原告は、1997年に日本の裁判所に損害賠償訴訟を起こして敗訴した。

この判決は2003年に日本の最高裁判所で確定したもの。

韓国外交部も、「1965年の韓日請求権協定締結以降、個人請求権問題は解決した」という立場を堅持している。

つまり、日韓協定の韓国側当事者(外交部)が、個人請求権問題は解決済みとしている問題だ。

もし、韓国大法院が、個人請求権を認める判決を下さすとすれば、その賠償金をすでに受領した韓国政府が、原告に支払うべきもの。韓国の国内問題の請求権を、日本に再請求するのは不当な判決となろう。

(3)

「2013年に賠償判決が出ると、日本政府と経済団体が強く反発した。

ほぼ同じ時期、朴槿恵(パク・クネ)政権が梁承泰(ヤン・スンテ)司法府と訴訟動向について議論したことをめぐり、検察が最近「司法取引疑惑」として捜査している。

日本の菅義偉官房長官は19日、「訴訟中の事案なので政府レベルのコメントを避けたい」としながらも「日韓請求権・経済協力協定により完全かつ最終的に解決済み」と述べた。

大法院で賠償判決が確定する場合、日本が国際司法裁判所に提訴するなど強く反発するのは確実で、両国関係が急速に冷え込むと予想される」


韓国メディアは、韓国大法院の判決しだいで、日本が国際司法裁判所に提訴するのは確実と見ている。

慰安婦問題に続き再び徴用工の賠償問題が、日韓関係のトゲになる。

これからも日韓の不幸な時代が続くのだろう。

韓国経済が大きく傾いている現在、日本はただ傍観して「沈没」を見るほかない。

韓国にとっての文政権は、吉となるのか凶になるのか。その分水嶺に来ている。



(2018年10月30日)

脱・鄧小平路線と安倍氏へ秋波、習氏の内憂外患

2018-10-30 13:42:45 | 日記

脱・鄧小平路線と安倍氏へ秋波、習氏の内憂外患

編集委員 中沢克二
トランプ政権 米中衝突 習政権ウォッチ 習政権 政治

2018/10/30 5:50

日経

首相の安倍晋三が日本の首相として7年ぶりに公式訪中した。

日中平和友好条約締結40年記念式典も日本から経済人らが数百人も参加し、北京の人民大会堂で行われた。天安門前では久々に多くの日の丸の旗がはためき、10月27日付中国紙では共産党機関紙、人民日報を除き、1面トップで中国国家主席の習近平(シー・ジンピン)が安倍と握手している。

6年前、中国各地の反日デモで日本企業が襲われた。

まだ前国家主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)がトップだったその頃のピリピリした雰囲気を思い起こすと、今回の安倍訪中は感慨深い。その一方で注意すべきは中国、そして日中の関係が歴史的な転機にさしかかった事実である。

 ■「鄧小平の改革・開放記念行事」許可せず

安倍首相の公式訪中で久々に北京の天安門前に掲げられた多くの日の丸


安倍首相の公式訪中で久々に北京の天安門前に掲げられた多くの日の丸

これに関連して北京の某大学の関係者から気になる話を聞いた。

「中国の大学などでは『改革・開放』40周年の大々的な行事を昨年から考えてきたが、結局、(当局の)許可が出なかった」

1978年末に打ち出された経済の開放政策を意味する「改革・開放」の主役は、当時の最高指導者、鄧小平だ。この改革・開放は、その2カ月前の鄧小平訪日で批准書を交換した日中平和友好条約、翌79年に始まった日本政府の対中国ODA(政府開発援助)と深い関係にある。

鄧小平は、文化大革命で長く閉ざされていた中国が西側世界と密接な接触を持つための窓口として日本を選んだ。そしてまだ貧弱だった経済基盤の整備を目指して日本に借款を要請したのだ。

習近平政権では今、その鄧小平を持ち上げ過ぎてはならないという。

なぜか。

2017年秋の共産党大会では、国家主席=党総書記である習近平の「新時代」に入ったと宣言された。鄧小平が指名した江沢民(ジアン・ズォーミン)、胡錦濤という2人のトップはもう引退している。


書店の「改革・開放40年記念コーナー」でも下段に追いやられた鄧小平関連の書籍(北京市内で)

人民大会堂と天安門からほど近い王府井書店でも「鄧小平隠し」を体現する奇妙な風景が見られた。改革・開放40年記念特別コーナーなのに、鄧小平の関連書籍は下の段に追いやられている。

店頭ではむしろ鄧小平が名誉を回復した国家主席経験者の劉少奇を扱った本が目立つ。劉少奇は毛沢東が発動した文化大革命中に死に追いやられた悲劇の指導者だった。

北京の街頭で売られている党、政府系の雑誌が表紙で取り上げる主要人物にもやはり鄧小平はいない。その弟子筋に当たる元首相で経済通の朱鎔基らが目立つぐらいである。

鄧小平をあまり持ち上げすぎるな――。その雰囲気は、中国の経済界にまで影響が出ている。

党中央などが、改革・開放に貢献した傑出した民営企業家100人を先に公表した。そこに誰もが知る有力人物が含まれていなかった。

中国の多くの有力都市でショッピングセンターや複合娯楽施設を展開する大連万達集団のトップ、王健林である。彼は鄧小平一族らとの関係が深いとされる。

最近は、海外での派手な企業買収などが問題視されていた。

 ■父、習仲勲と鄧小平の確執

改革・開放から40年を経て鄧小平の残り香がある時代は完全に終わった。

習近平は既に鄧小平と並び立つ新時代をつくったとされ、今後はさらに建国の英雄とされる毛沢東に迫るため「中華民族の復興」と超大国である米国超えを目指すという。

歴史の転機を示す中国側のキーワードは「脱・鄧小平時代」だ。

くしくも今回、安倍は対中ODAの完全終了を宣言した。

それは中国側から見ても鄧小平時代を引きずる対日関係の終わりを意味する。


しかし、鄧小平以来の経済政策の堅持は、習政権も掲げている。それ自体をとがめることはできない。

「習近平新時代」を強調せよというのは、あくまで政治的な立場の問題である。

従って「習近平新時代の改革深化・創新」なら何の問題もない。「鄧小平隠し」の実態は、なかなかややこしい。

習政権がここまで鄧小平を遠ざける理由はもう一つある。

それは1987年に起きた事件だ。鄧小平が自ら重用してきた改革・開放派の旗手で、国民の人気も高かった当時の党総書記、胡耀邦の解任である。

直前の学生デモへの対処が甘いとされ、責任を問われた形だった。

決断したのは鄧小平である。

実はその際、身体を張って抵抗したのが習近平の父だった。当時の党政治局委員、習仲勲である。

「胡耀邦を解任するなら自分を総書記にしろ」。

習仲勲はそんな無理な主張までしたという。このため胡耀邦解任を決める党政治局会議の開催は大幅に遅れた。

この結果、習仲勲は後に鄧小平によって事実上、権力を削がれ、失意の晩年を過ごす。

しかもその過程で習仲勲は健康も失った。

権力闘争はかくも激しい。当時、30代の若き地方幹部だった習近平は一連の経緯を記憶に刻み込んでいる。

鄧小平に複雑な感情を持っていたとしても理解できる。



側近らを引き連れ広東省深圳を視察した習近平国家主席(国営中央テレビのニュースから)


安倍が北京入りした10月25日。その日まで習近平は広東省を視察していた。

その旅程を耳にした中国の人々は、鄧小平の事績を思い起こしていた。

89年以降、中国は学生デモを武力鎮圧した天安門事件で米国など西側諸国から制裁を受け、経済が落ち込んでいた。

92年、鄧小平は再び改革・開放のアクセルを踏もうと広東省などを視察した。

いわゆる「南巡講話」の地が深圳だ。


今、習近平は同様に米大統領、トランプから圧力を受ける。

だが、今回の深圳行きには、鄧小平の南巡講話に倣ったというより、改革・開放40年に当たり「脱・鄧小平」=「習近平新時代の改革創新」を宣伝する意図があった。

しかも深圳は父、仲勲が広東省第1書記として開発に関わった地だ。

深圳行きに付き従ったのは、対米経済交渉で苦悩する副首相の劉鶴、中央弁公庁主任の丁薛祥、国家発展改革委員会主任の何立峰、そして広東省トップの李希。習の子飼いの側近ばかりだ。

 ■日中「ブレークスルー」なし、内政の権威維持に腐心

米国に肩を並べる中国を実現して「鄧小平超え」を目指す。そんな目標を掲げる習近平にとって昨今の状況は難しい。

今夏以降、米国との覇権争いが表面化し、求心力にも陰りが見られる。習近平への個人崇拝的な動きにも批判が強まった。

習近平はトランプからかつてない圧力を受けている。ここは安倍を引き寄せて、ひとまず対日関係だけでも安定させたい。

それでも安倍との握手の写真撮影で目に見える笑顔は作らなかった。


中国紙の1面トップなどに登場した日中首脳が握手する写真

日中首脳会談当日夜の国営中央テレビのメインニュースや共産党機関紙、人民日報の扱いもトップだけは避ける細工がなされた。

首相の李克強(リー・クォーチャン)との会談での一連の一致点では明確に日本側も誇れる内容は少ない。

安全保障関連、原発事故に絡む日本食品輸入制限の解禁問題……。皆、先送りされた。

習近平には今、日本に大胆な譲歩ができるほどの内政上の勢いがない。

日中首脳会談でもメモを読むかのように視線を落とし、慎重に発言した。

その様子からは真剣さともに余裕のなさも感じられる。日程の詰まった広東訪問の直後でもあり、疲れているようにも見える。

中国トップが最も腐心すべきは常に内政上の権威維持である。

改革・開放40年の今、大きな転機を迎えた中国、そして日中関係。まさに習政権の内憂と外患がにじむ安倍訪中だった。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。

2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞

中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。

98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。

現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞

首相の安倍晋三が日本の首相として7年ぶりに公式訪中した。日中平和友好条約締結40年記念式典も日本から経済人らが数百人も参加し、北京の人民大会堂で行われた。

天安門前では久々に多くの日の丸の旗がはためき、10月27日付中国紙では共産党機関紙、人民日報を除き、1面トップで中国国家主席の習近平(シー・ジンピン)が安倍と握手している。

6年前、中国各地の反日デモで日本企業が襲われた。

まだ前国家主席、胡錦濤(フー・ジンタオ)がトップだったその頃のピリピリした雰囲気を思い起こすと、今回の安倍訪中は感慨深い。

その一方で注意すべきは中国、そして日中の関係が歴史的な転機にさしかかった事実である。

 ■「鄧小平の改革・開放記念行事」許可せず


安倍首相の公式訪中で久々に北京の天安門前に掲げられた多くの日の丸

これに関連して北京の某大学の関係者から気になる話を聞いた。

「中国の大学などでは『改革・開放』40周年の大々的な行事を昨年から考えてきたが、結局、(当局の)許可が出なかった」

1978年末に打ち出された経済の開放政策を意味する「改革・開放」の主役は、当時の最高指導者、鄧小平だ。

この改革・開放は、その2カ月前の鄧小平訪日で批准書を交換した日中平和友好条約、翌79年に始まった日本政府の対中国ODA(政府開発援助)と深い関係にある。

鄧小平は、文化大革命で長く閉ざされていた中国が西側世界と密接な接触を持つための窓口として日本を選んだ。

そしてまだ貧弱だった経済基盤の整備を目指して日本に借款を要請したのだ。

習近平政権では今、その鄧小平を持ち上げ過ぎてはならないという。なぜか。

2017年秋の共産党大会では、国家主席=党総書記である習近平の「新時代」に入ったと宣言された。

鄧小平が指名した江沢民(ジアン・ズォーミン)、胡錦濤という2人のトップはもう引退している。

書店の「改革・開放40年記念コーナー」でも下段に追いやられた鄧小平関連の書籍(北京市内で)

人民大会堂と天安門からほど近い王府井書店でも「鄧小平隠し」を体現する奇妙な風景が見られた。

改革・開放40年記念特別コーナーなのに、鄧小平の関連書籍は下の段に追いやられている。

店頭ではむしろ鄧小平が名誉を回復した国家主席経験者の劉少奇を扱った本が目立つ。

劉少奇は毛沢東が発動した文化大革命中に死に追いやられた悲劇の指導者だった。

北京の街頭で売られている党、政府系の雑誌が表紙で取り上げる主要人物にもやはり鄧小平はいない。その弟子筋に当たる元首相で経済通の朱鎔基らが目立つぐらいである。

鄧小平をあまり持ち上げすぎるな――。その雰囲気は、中国の経済界にまで影響が出ている。

党中央などが、改革・開放に貢献した傑出した民営企業家100人を先に公表した。
そこに誰もが知る有力人物が含まれていなかった。

中国の多くの有力都市でショッピングセンターや複合娯楽施設を展開する大連万達集団のトップ、王健林である。

彼は鄧小平一族らとの関係が深いとされる。最近は、海外での派手な企業買収などが問題視されていた。

 ■父、習仲勲と鄧小平の確執

改革・開放から40年を経て鄧小平の残り香がある時代は完全に終わった。

習近平は既に鄧小平と並び立つ新時代をつくったとされ、今後はさらに建国の英雄とされる毛沢東に迫るため「中華民族の復興」と超大国である米国超えを目指すという。

歴史の転機を示す中国側のキーワードは「脱・鄧小平時代」だ。

くしくも今回、安倍は対中ODAの完全終了を宣言した。それは中国側から見ても鄧小平時代を引きずる対日関係の終わりを意味する。