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子ども時代は本当に貧乏でそれがトラウマ。梅沢富美男が語る「子どもの貧困」の実情

2022-09-02 16:02:34 | 日記
子ども時代は本当に貧乏でそれがトラウマ。梅沢富美男が語る「子どもの貧困」の実情

9/2(金) 10:22配信



8月30日、政府は来年4月に発足する「こども家庭庁」の初年度概算要求額を4兆7510億円と発表した。

喫緊の課題のひとつに7人に1人とされる「子どもの貧困」問題がある。

物や情報が溢れ、豊かに見える現代社会だが、取りこぼされた子どもたちは大人や社会から見えづらい存在になっている。

今回、子ども時代に貧困を味わったと明かすのは俳優の梅沢富美男さん(71)。

目の前の困窮に、はたして救いはあるのか。子ども目線でどう映るのか。原体験を振り返りながら語ってもらった。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)

「子ども時代は僕にとって正直トラウマ。とにかく本当に貧乏でした」


「天才子役」と人気を博した当時の梅沢富美男さん

――梅沢さんの子ども時代はどんな暮らしでしたか? 

うちは両親が剣劇一座をやっていて全国を巡業していました。

僕は8人兄弟の7番目で五男。

1歳7か月で初舞台を踏み「天才子役現る」と人気にもなって、みなさんから「トンコ」「トンちゃん」という愛称もいただいた。

それほど当時は大衆演劇が盛り上がって華やかだったのですが、やがて映画やテレビに押されて衰退してしまう。

 そこで経済的事情と、父が役者でも義務教育はきちんと受けた方が良いという考えから大人は地方巡業、子どもたちは福島の祖母の家でばらばらに生活するようになりました。 

その時の暮らし、子ども時代は僕にとっては正直、トラウマです。

とにかく、本当に貧乏でしたね。いい思い出がほとんどなかったからこれまであまり話したことはないし、以後、過去は振り返らないのが僕の信条になりましたね。

 いつも空腹で、ご飯は朝昼晩食べられなくて一日一食がいいとこ。

こういうものが食べたい、ああいうものが食べたいって年がら年中頭の中で想像していました。

当然家にお金はないから、給食費が払えない。

今とは違い、当時は給食費を払ってない子どもに給食は出してもらえなかったので、お昼になると先生が気をつかって「富美男、ちょっとおいで」と手招きして、教室の外に誘導してくれるんです。

その時は僕だけじゃなくて他にもそんな生徒がいたので少しだけホッとしましたが、やっぱり傷つくし卑屈な気持ちにもなります。

 そしてなによりつらいのは、ずっとお腹が空いていること。

けれどお金がないからしょうがない。

「金持ちと違って、うちはそもそも貧乏なんだ」と何度も自分に言い聞かせていましたね。

 ――なぜ貧乏なのかと思いませんでしたか。 子どもですし、わかりませんでしたね。

両親は不器用ながら必死で頑張っていたと思います。

どうにもならなくて仕送りも滞っていたのでしょう。

けれど子どもは大人の事情がまったくわからない。

ノートや鉛筆が買えない。習字や絵の道具もない。

遠足や運動会でうちだけ弁当がない。

なんでこんなに貧乏なのか。

それと、なんで自分とこだけ親がいないんだ、と。

人恋しさのあまり、両親を恨んだことは覚えています。

 大人になって事情が理解できるようになりましたが、それを踏まえたうえであえて言わせてもらうと、なるべく子どもにはそんな寂しい思いはさせてはいけないと思いますね。

百歩譲って、できないならできないでいい。

しかし、その事情を親の口から子どもに伝えるのが一番大事だと思います。

 子どもって頭がいい。良し悪しはちゃんとわかりますし、親の言うことは聞きますから。愛情も受け止めるし、その愛情を返そうともする。

「実は、うちはこうなんだからこうなのよ」と噛んで含めるように話してあげれば、子どもなりに理解してくれるもの。

 昔気質のうちの両親はそこまで気が回らなかったけれど、幼い僕が望んでいたのはその説明だったかもしれません。

だから今子育てしている親御さんにはぜひそうしてほしい。大人だからとか、子どもだからとかじゃなく、家族としてコミュニケーションしてほしいですね。ちゃんと話せば、きっとわかりあえますよ。

節目節目で救ってくれた人がいて、人生が変わってきた
周囲の人たちの”人情”が自分を救ってくれたと語る梅沢富美男さん

――両親不在で経済的に困窮。おばあちゃんや兄弟がいても不安ですね。周囲の助けはありましたか。

 祖母は一生懸命でしたし、兄弟は助け合って暮らしていましたが、貧乏は解消できなかった。

放っておけば僕自身グレてしまってもおかしくなかったと思いますが、そうならなかったのは周囲の人たちの人情のおかげです。

 忘れられないのが小学校2年生の時、福島駅前にあるデパートでのこと。

裏面が白紙なのでノートにするため、チラシを大量に持ち帰ろうとしたら警備員さんに見つかって連れて行かれそうになった。

それを止めてくれたのが宇野さんという女性店員さん。

子役の僕を知っていてくれたのが幸いだったのですが、ついでに貧乏だったことがバレた。

 そしたら「家においで」って住所を渡してくれて、兄貴と二人で農家だった彼女の家に訪ねていくと、お米や野菜を「持って行きなさい」とリュックに入れてくれました。

10キロぐらいはあったのかな、それを両手で抱えて、阿武隈川沿いを2時間かけて歩いて帰りました。

ちょうど冬で、雪が積もっていて、靴下も履いていないし、一足しかない靴はパカッと前に穴が開いているから紐でぎゅっと縛って。

逆に、靴底にかかった紐は雪道の滑り止めになるからちょうどよかった(笑)。

 しかし寒かったですねえ。けれど食料を持ち帰ると祖母がすごくよろこんでくれて、これでご飯が食べられるかと思うと、気持ちがふわあっと温かくなって寒さも吹き飛びました。

 ――ご苦労されていますね。 そういえばこんなこともありました。

福島にいた頃、お金欲しさに自動車工場からくず鉄を持ち去ろうとして、従業員さんに捕まったことがあったんです。

「こんなガキは警察に突き出そう」、するとそこの奥さまが「そういうことしちゃダメ。この子だってなにも人さまの物を盗みたくて来たわけじゃないでしょうし、きっと誘いに乗ってきたんだろうから勘弁してあげなさい」と制してくれた。

で、僕の手をとって「いい? 坊や、人さまの物を盗むなんてことは」って言いかけたとたんハッと顔を見て、「トンちゃん?」。

そして「うわぁ」って僕を抱きしめて泣いた。

 たまたま彼女は母親の知り合いで、そこから「息子さんが苦労している。迎えに来てあげてください」と話してくれ、そのことがきっかけで僕はいったん福島を出て、群馬にいた兄に引き取られることになります。

あの時諭されていなかったら、もしかすると僕だって悪い道へ流されていたかもしれない。

愛情をもって叱ってくれるとわかります。

あの時の奥さまの表情は今でも忘れられませんね。

こうして節目節目で救ってくれた人がいて、そんな出会いで僕の人生が変わっていきました。

もしも今本当につらい思いをしているならば、誰かに助けを求めてほしい


――もしも私たちが子育てしながら貧困に陥る状況、“子育て困窮世帯”になってしまった場合、どうしたらいいですか。 

自分が生んだ子ですよ、まずは親が頑張るしかない。

現実的に赤の他人は手を差し伸べることはなかなか少ないと思うので、お父さん、お母さんが何とか子どものために努力する。

生きていくのは大変です。

子どもができたらそれまでの生活から変わるのが当たり前。

子どものための人生を作らなきゃ。

好きなパチンコや遊園地に行きたかったとしても、いったんは我慢しましょうよ。

楽しみは子どもが自立したあとでも満喫できるじゃないですか。

今どき古い考えと言われようが、とにかく子どものことを最優先に考えて努力するのが親のつとめ。

それは変わらないと思います。

 でも、もしも今、本当につらい思いをしているんだったら、行政やボランティアの支援を受けてみるのは必要だと思います。

頼るのが恥ずかしいとか、人に面倒見てもらうのが格好悪いとか、世間体があるなんて考えない。

どこかに見栄があったとしてもそれは払拭して、まずは頼ってみましょうよ。 

僕の体験から言えるのは、世の中冷たい人ばかりじゃなくて、やさしい手を差し伸べてくれる人もたくさんいるということ。

それを信じてください。

 ――最後に、あの頃の「トンちゃん」に何か言ってあげるとしたらどんな言葉ですか? 

「えらかったね、よく貧乏に負けなかったね。でもおまえが負けなかったのは、隣のおばちゃん、牛乳屋のおじさん、ブリキ屋のおじさん、宇野さんや奥さま…、救ってくれた人がたくさんいたからだよ。

その人たちの言うことをよく聞いたな。

しっかり『ありがとうございました』って言えたよな。

もしも『関係ねえ、ばかやろう』となっていたら、きっと今のおまえはいないよ」。

トンちゃんにはそう言いたいですね。




韓国女性が”出産ストライキ”

2022-09-02 15:51:00 | 日記
韓国女性が”出産ストライキ”

Q2出生率0.75人でワースト更新
日付: 2022年08月30日 13時29分

Q:国が今の人口を維持するにはどうすればいい?
A:夫婦1組あたり最低2人の子どもを産まなければなりません。

韓国の出生率が世界ワーストであることは周知の事実だが、そんな韓国で最近、再び記録が更新された。

統計庁は今月24日、昨年度における韓国の出生率が0・81人だったことを発表した。

前年度からの減少はもとより、6年連続で下落していることが明らかになった。これは統計開始以来、もっとも低い数字だ。

経済協力開発機構(OECD)の38カ国中、合計出生率が1人に満たないのは唯一、韓国だけだ。

OECD加盟国における2020年ベースの平均合計出生率は1・59人で、韓国(0・84人)は平均の半分程度に過ぎないレベルだ。

これに対し英国の公営放送BBCは25日(現地時間)、「OECDは過去60年間、(世界の)出生率が目に見えて減少していると発表した。

なかでもこの流れが特に顕著な国は韓国である。

韓国の出生率が低い理由は生活費や住宅価格の高騰、新型コロナウイルスの蔓延、という三つが挙げられる」と報じた。

さらにBBCは「韓国の人口が減り続ければ、経済成長に寄与することができ、高齢者を支え、軍隊に徴集できる者が不足するだろう。(低い出生率の)要因は結局、カネの問題だ」と痛烈に指摘した。

人口減を実感するデータの一つが出生者数だ。

直近5年間の推移を見ると、2017年に35万7800人だった出生者数が、18年は32万6800人、19年は30万2700人、20年は27万2300人、21年は26万600人となり、減少の一途をたどっていることが分かる。

統計庁によると、今年第2四半期の合計出生率は0・75人にまで低下し、出生者数も前年同期比9・3%(6168人)減の5万9961人だった。

半面、第2四半期の死亡者数は9万406人で、前年同期比20・5%(1万5353人)増加した。

死亡者数の急増はコロナ禍の影響との分析もあるが、それでも出生率減少の要因をコロナ禍のみに転嫁させるのは無理がある。

出生者数が減少し続けていることはデータ上でも明らかだからだ。
BBCは韓国のこうした現況について、経済問題やその他の理由として女性のキャリア断絶に関する問題も指摘した。
韓国は性別による賃金格差が大きく、家事と育児は主に女性が負担することが一般的だ。

そのため、女性は出産後に仕事を辞めたりキャリアが停滞するケースが多い。

BBCは、ある女性とのインタビューを紹介し「韓国女性は出産ストライキ中です」との刺激的なフレーズで締めくくった。

韓国では出生率低下の解決方法として、積極的な移民の受け入れを掲げている。

さらにこれと類似した案として、70年代のセマウル運動(新しい村づくり運動)になぞらえた「セミニョ運動(外国の新たな美女=ミニョを韓国に迎え入れる運動)」を展開しようという案も浮上している。

外国人女性を結婚相手として韓国に受け入れようという仮想キャンペーンだ。
「出産ストライキ」「セミニョ運動」といったとっぴな話題が物語る通り、今日の韓国社会においては人口問題が最大の懸念材料となっている。

(ソウル=李民晧)