日本領である南樺太は、ソ連領である北樺太とは北緯50度線をもってきっちりと一線を画されており、昭和16年(1941)太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入することになりましたが、日ソ中立条約(領土不可侵・中立維持を約束した条約)が締結されていたこともあり、国境での紛争はほとんどありませんでした。
ソ連軍による進撃・砲撃は、国境を接する町から次第にその範囲を拡げ戦況は悪化する一方で、樺太兵団は、中央国境を突破するソ連軍を側面から支援する部隊が真岡地区にも上陸するものと判断、この地区の守りを固めようと努力を続けていました。
ほっと安心すると同時に、皆その知らせを喜んでくれるだろうと思っていた上田局長でしたが、意外な事に局員からは「全員、疎開せず局にとどまると血書嘆願する用意をしている」と告げられました。
上田局長はソ連軍の進駐後起こるであろう悲惨な状況を話し説得したが応じてもらえなかったといいます。
きっと彼女らは交換業務の重要性を認識し、その責任感・使命感を健気(けなげ)なほど感じていたからこそ、このような覚悟をしたものなのでしょう。
最後の時が迫った恐怖から人々は裏山の芋畑やクマザサの茂る野をはうようにして尾根を越え、ある者は鉄道のレール伝いに逃げまどいました。
郵便局は場所的にも戦火に巻き込まれる位置にあり、交換室にも弾丸が飛び込むなど、極めて短時間のうちに危機は身近に迫っていました。
しかし、緊急を告げる電話回線を守り、避難する町民のため、またこれらの状況を各地に連絡するため、最後まで職務を遂行したのです。
「午前6時30分頃、渡辺照さんが、
その時の様子を、同局長は「9人は白っぽい制服にモンペをはいており、服装はみじんも乱れていなかった。また、交換台には生々しい数発の弾痕があった。さらに、睡眠薬の空き箱があったことは見苦しくないようにするため、睡眠薬を飲んだあと、青酸カリを飲んだのであろうが、息絶えるまで送話器に向かって呼びかけていたようだ。」と語っています。
稚内市中央3丁目13番15号
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「戦争がなかったら、みんなで楽しく仕事をしていたでしょう。一緒に仕事したり弁当を食べたりした思い出を、大切にしていきたい」
ソ連の北海道占領を阻止せよ! ポツダム宣言受諾後のもう一つの戦争 樋口季一郎はなぜ徹底抗戦したのか
終戦間際のソ連参戦
1945年8月15日正午、日本は降伏し、戦争は終わったと考える読者がほとんどだろう。北海道を占領し、日本から切り離すことを狙っていた旧ソ連が絡んでいなければ、それはおおむね正しい。
8月8日午後11時(モスクワ時間)、ソ連は佐藤尚武駐ソ大使に対日宣戦布告を通告した。
これは、連合国との対日参戦の約束は守るが、1946年4月まで有効とされていた日ソ中立条約を一方的に破棄するというものであった。
その1時間後、ソ連は日本に対して敵対行為を開始し、それまで10年半にわたって日本の支配下にあった満州、1910年から日本が併合した朝鮮、1904~1905年の日露戦争の結果、日本に引き渡した樺太の南半分に侵入した。数万人が死亡し、数十万人が捕虜になった。
ソ連の赤軍が、東欧やドイツの人々にしたように、日本人捕虜を強制労働者として、特に民間人を酷使したことは、20世紀の大きな悲劇であり、旧ソ連はいまだその償いをしていない。
樺太の悲劇
樺太では、日本がポツダム宣言を受諾した翌日の8月16日に、ソ連第16軍第56狙撃軍団が日本帝国陸軍第88師団を攻撃した。
日本側の部隊は、徴兵された学徒、地区特設警備隊の民兵などを中心に構成されていたが、当初はソ連の転進を阻止、遅らせることができた。
この8月16日には、ソ連軍は第365海軍歩兵大隊と第113狙撃旅団第2大隊が樺太西海岸の塔路に上陸させ、日本の防衛線を突破した。
ソ連の進撃を遅らせたのは、民間人が危険な海を何時間もかけて、船で北海道に避難する時間を稼ぐためでもあった。
結局、8月20日未明、ソ連の軍艦(その春、「フラ作戦」の一環として米国から良くも悪くもソ連に貸与されていた)は、に西海岸の真岡(現ホルムスク)の港に入り、町とそこに残る住民18000人(6000人はそれまでに辛うじて避難ができた)に向けて砲撃を行った。
上陸したソ連軍の機銃掃射により、約1000人が犠牲となったとも言われている。
稚内との連絡のため、戦闘中も留守番を約束した女性電話交換手9人が、侵攻してきたソ連軍に強姦されるのを恐れて自殺した「真岡郵便局事件」は、この地で起きたのである。
戦闘は8月21日まで続き、日本軍の残存部隊は次第に停戦に同意した。
しかし8月22日には、ソ連軍機が豊原駅前の避難民を攻撃し、数百人の死者を出した。
同日、ソ連の潜水艦は日本の避難民輸送船3隻を攻撃している。波間に浮かぶ生存者も機銃掃射を受け、合計1700人以上が命を落とした。
スターリン、北海道の北半分を要求
日本軍の抵抗が激しかったもう一つの理由は、日本の主要4島の一つである北海道をソ連に占領させないためであった。
札幌の第5方面軍司令官だった樋口季一郎中将は、ロシア事情に詳しい情報将校であり、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンの意向を察知していた。
8月12日の訓令では、ソ連を「日本の宿敵」とし、樺太・千島列島への攻撃に全軍を投入する。
15日に日本が降伏しても、樋口はソ連の上陸を阻止するために戦う覚悟であった。大本営は戦闘の中止を命じていたが、幸いにも自衛戦闘は認めていた。
8月16日、スターリンはアメリカ大統領に就任してまだ4ヵ月のハリー・トルーマンに、対日処理に関する一般命令第1号の草稿に修正を求める手紙を出した。
彼は、「北海道の北半分を……日本軍がソ連軍に降伏する地域に含める」ことを要求した。
東欧や中欧でのソ連の行動から、すでにソ連の意図に不信感を抱いていたトルーマンは、8月19日にスターリンの要求を拒否するが、残念ながら千島列島の占領を許可してしまった(その際、航空基地の使用は認めるよう要求している)。
その2日前、アメリカは連合軍捕虜への食料提供と状況確認のため千歳飛行場にB29を飛ばしているが、それは同時にソ連への警告でもあった。
その1週間後、米軍の偵察機は北千島を上空から撮影しようとしたが、ソ連軍の戦闘機に追い払われたという。
樋口季一郎中将という人
一方、ソ連軍は8月18日、千島列島最北端の要塞化された島、占守島と幌筵島(パラムシル島)を攻撃した。
日本軍の防衛線の大部分は最終的に破壊されたが、侵略者にとっては大きな犠牲となった。
日本軍よりソ連軍の方が多く死亡している。
生き残った兵士たちはシベリアに送られた。これによって、ソ連はより防御の薄い千島列島の征服を開始し、9月5日にその作戦を完了している。
日本に近いところでは、8月28日に南千島列島の最大かつ最北の島である択捉島に上陸し、東京湾のミズーリ号での降伏文書調印予定の前日である9月1日には、国後島と色丹島を占領した。
そして調印式から2日後の9月4日には歯舞群島を占領した。
読者の皆さんもご存じのように、条件付きで訪問は許可されているものの、いまだに返還されていない島々である。
樺太、千島列島の生存日本人の送還は1946年に完了した。よく言われるように、戦争で最も被害を受けるのは民間人であるがその通りだ。
樋口中将は1946年3月に解任された。ソ連は彼を戦犯として認定しようとしたが、GHQはナチスの迫害から生き残ったユダヤ人たちのロビー活動を考慮して彼を保護した。
樋口は満州駐在時代の1938年から1940年にかけて、2万人ともいわれるユダヤ人をソ連国境から上海に送り込み、給養と安全輸送の手配をしたことがある。
これが「樋口ルート」と呼ばれるようになり、その結果、1941年に樋口の名前は「ゴールデン・ブック」に登録されることになった。
樋口は、ユダヤ人のための人道的な行動で最もよく知られているが、もう一つの大きな功績は、日本の分断に確実につながったであろうソ連の北海道占領を阻止したことである。その先見性と勇気は賞賛に値する。
ソ連・ロシアの下手くそな外交
残念ながら、ソ連、そして現在のロシアは、日本の固有領土である北方領土の返還をまだ行っていない。戦後、いくらでも機会があった。
特に、冷戦時代、米国が、戦略上、南西諸島や南方諸島をサンフランシスコ平和条約第3条によって占領・統治を続けている間、ソ連が北方領土を日本に帰したら、米国は非常に困った立場に陥り、日米関係に悪影響を与えることになっていただろう。
その意味で、ソ連・ロシアは本当に対日外交が下手である。日本が一番弱い時、無防備の時に領土を奪い、日本国民の悪い感情を買ってしまった。
「奪う」は正しい表現だ。ソ連がやったことは、手を挙げた後の日本に対して一方的に攻め続けたのであり、これは国際法の違反だ。
約5年前、その表現を、札幌で開催された日米ロの会合で使った。
パネルディスカッションの時だったと記憶しているが、一緒に登壇していた駐札幌のロシア総領事の前で「ロシアは泥棒」と指摘した。総領事は非常に怒って不愉快だったが、事実は事実だ。
決定的な対立関係
また、旧日本軍の兵士を長年抑留にし、共産主義を洗脳することを試みや、日本の漁船に嫌がらせをし拿捕することは友好関係を望む国はしないはずである。
それだけではない。戦後、特に航空自衛隊ができる前の1950年代前半、ソ連の空軍は頻繁に、日本の領空侵犯を繰り返し、近年でも、中国と連携してまた対日圧力をかけている。
今後、台湾海峡や尖閣諸島の有事の際、ロシアはきっと日本に対して何等かの行動や侵略をする。
つまり、日本にとって二正面戦争になりかねない。(いうまでもなく、北朝鮮がおとなしいするはずがない。)
おそらく、地政学的に、日ロ両国は、必然的に競争ないし敵関係にあるが、決定的に悪化したのは、ここで詳述したソ連の北海道侵攻に向けた行動と北方領土などの日本の領土を奪ったことがその根にある。ロシアに大いに反省してほしい。