カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

西行法師の宇宙観

2015年05月20日 07時30分19秒 | 科学技術

たまに、昔の和歌を読んでいると、不思議な光景を目にすることがあります。 


 入りぬとや あづまに人は 惜しむらん

都に出づる 山の端の月

:P.96 西行法師「山家集」 日本古典集成 1982/04/10発行 新潮社  Web上ではこちら00337を御覧下さい


当時、京都にいた漂泊詩人の西行(さいぎょう 1118-1190)

満月が、京都の東にある東山(ひがしやま)から上がりつつあるのを見上げています。

そして西行は、上がりつつある月を、あずま(江戸など東の地域)では、「多くの人が、いま月が西の山へ沈みつつあるなぁ」と見ていることだろう・・・・、と考えたらしい。

意味が分りにくいというかたのために、図を描いてみました。

今では

地球の半径が6000km、その60倍も離れた38万kmの彼方にある半径1700kmの月〔地球の1/4〕

だと分っています。

しかし800年前の平安末期の西行は

どうやら月が地球すれすれのところを回っていると考えていたようで、東山に上がった月を、京都では東に見ているけれども、東国では西に見ているだろう

と感慨深げにつづっているのでした。

なんでもない歌のようですが

「同じ月を、京都と東国では反対方向に見る」、などあり得ないと簡単に言えるのですが、当時のこういう見方が、西行の確かな観察力を示していると思うのです。

日本でもヨーロッパでも、当時、太陽や月が地球のまわりをまわっていると信じられていた時代であり、その後300年ほど経過してやっと

  • コペルニクス(1473-1543)
  • ガリレイ    (1564-1642)

らが従来の天動説に反する観測結果から、地動説に傾き始めたことを考えると、

  • 西行法師    (1118-1190)

の視点を理解するのに大いに役立つと思います。

私はこのような西行の視点を

今からかなり前〔たぶん20~30年前〕に山家集をパラパラと読んでいた時に、気付いていました。ただし「西行はすごいな」と思っただけで、他人に説明することなど、ほとんどありませんでした(笑)。

古典をひもとくとき

現在の天文学の知識があれば思わぬことを発見するかも知れません。藤原定家「明月記」〔1180-1235〕に、「彗星(客星)のことではないかと思われる記述」があることも一例です。ここには①定家自身の経験②伝聞、の両方があります。

私は、こういうときこそ「自分の各種文法についての知識が大いに不足している」としみじみ思うのでした。もう少し自分に日本の古語と漢語の知識があれば、大発見があったかも知れないと思いながら(笑)。しかし若い頃にそんな意図があるはずなどありませんね・・・・(泣)。

私が「流浪の詩人・漂泊の詩人」で思い出すのは次のような人たちです。

  • 李白( 701- 762)
  • 西行(1118-1190)
  • 啄木(1886-1912)

 


韓国の醜聞 04 リッパート襲撃

2015年05月20日 06時15分55秒 | アジア

誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。

ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。疑惑を感じた方は、リンクをたどってくださいね。


リッパート駐韓アメリカ大使襲撃事件

韓国のソウルで2015年3月5日に米国の駐韓国大使リッパートが暴漢に襲われた事件。 

    • 詳細は報道されていませんが、韓国では親北・嫌中・反米の人も無数にいるらしく、これは氷山の一角でしょう。
    • こんな暴力・テロが、韓国では日常茶飯事なのを知られたくないためか、手の平を返したように「米国への同情」が集まったとのこと。 

そして「うっかり」とは言えないことも報道されました。 

現地の韓国人が当地での信仰に基づき、傷の早期回復に効果があるとされる犬肉を、愛犬家のリッパートが入院している病院へ差し入れようとしたけれども、病院側に断わられたとのこと。

その後、リッパートが別の犬肉を食べて早期に傷を癒やせたかどうかは、伝えられていません。←食べるはずがない?

襲撃された愛犬家の傷が回復するようにと犬肉を差し入れようとしたのなら、かなり念入りで悪質な冗談でしょうか。信仰とはかくも恐ろしいことでしたか。〔こちら Jcastニュース 2015/03/09〕

さらにこちらもどうぞ。

リッパート事件で朴槿恵(パク・クネ)支持率向上?

この結果、韓米同盟強化(保守)か、締め付け強化(革新)か

特に後者を見ていると、保守か革新か、右翼か左翼か、などの分類にむなしさを感じます。みんな都合のいいように進めようとしているのですが、さて日本ではどうでしょうか?