銃規制がいつも話題になるアメリカで、銃乱射事件が起ると、銃推進派は必ず
「銃を持った人がいて反撃したら、これほどの死者は出なかっただろう」
とし、銃をもつことの正当性を訴えます。
しかし銃を所持する人が増えると、さらに乱射事件は増え続けることでしょうが、それでも「銃を持った人がいて反撃したら、これほどの死者は出なかっただろう」としてさらに銃所持を進めます。これが「永遠に銃の犠牲者が増えていく」仕組みです。
かりに「銃を持って自分を守ろうとする」のを認めたとしても
「その自分が誰かを意味なく射殺することはない」と誰が保証するのでしょう!
銃推進派を信用できないところです。
しかし
アメリカの本当の問題は、凶悪事件が繰り返され銃で自分を守らねばならないと考える人が多くなるという「治安の悪さ」にあるのでしょう。そして銃の携帯を増やして「いっそう治安を悪くする」のでした。
アメリカには銃規制を求める声もあるのですが、「オバマが銃規制を主張すればするほど銃砲店が笑いが止まらないほど儲かる」という実体もあるのです。
ここに「力で平和を守る」という思考の矛盾を感じますが、世の中に厳然と存在する「北朝鮮・中国」といった暴力でうぬぼれを通そうとしている国が存在することを考えると、分らないこともないのでした。
性悪説はいつでも存在するのです。
これは古代ローマ時代の言葉を思い出させます。
「食べるから吐く」のかそれとも、「吐くために食べる」のか。
アメリカの銃社会に置き換えれば
射殺事件が起きるから銃を持つ人が増えるのか
銃を持つ人が増えるから射殺事件がおきるのか
これはニワトリが先か卵が先か、に似ています。射殺する人が「自分の善」「相手の悪」を信じ込んでいるところなど、まるで中国や韓国そっくりですね。
これはフィリピンでの麻薬対策を思い出させます。
「麻薬患者はけしからん」「麻薬関連を職業にするのは許せない」とばかり、麻薬関連者を軒並み「超法規的に殺害するのは正しい」と信じている大統領や国民がたくさんいるようです。
分るような気もしますが、そうではなく「麻薬商売を止めさせ、普通の職を与えるような国家の運営こそがもっと大切」と思います。麻薬の製造販売にたよる経済の仕組みを変えないで殺人で解決しようとするのは、ニキビをなくすために外科手術をするのに似ています。
なおかつ麻薬関連商売に手を染める悪人がいるなら、これは法律によって処罰すべきでしょう。
麻薬関係しか仕事がないのを放置して麻薬関連者を軒並み射殺することが合法的だ、とするのはどう見ても間違っているような気がします。
アメリカの銃社会も似てます。アメリカ憲法で記載されている銃による権利保障
合衆国憲法制定(1787年)から4年後の1791年に追加された条項。「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」(2007-04-18 朝日新聞)
これが改正されない限り、永遠にアメリカでの銃乱射事件が増え続け、やがて国を滅ぼすことでしょう。
これを避けるために、中国やフィリピンを目指すのでしょうか。
つまりアメリカが
中国の「汚職でもって汚職を根絶させる」のと同じ道を歩み、「銃でもって銃乱射事件を根絶させる」のでしょうか。
フィリピンの「麻薬関係者を超法規的に殺害しさえすればいい」のと同じ道を歩み、「銃乱射犯人を射殺しさえすればいい」のでしょうか。
- かなり難しいでしょうが、アメリカ人が憲法を改正して、日本などと同じように銃規制をもっと厳しくし、銃の恐怖がない日常生活を創り上げることが大切だと考え
- 「銃規制をしているパリでもテロが起った」のを銃携帯の根拠にするのは、他の理由を自分の都合のいいように取り違えたものだと思い
- 自分と意見が異なるから銃で射殺しないわけにはいかないと考える人が絶滅するよう祈る次第です