「うっかりしていると見逃してしまいそう」な醜聞や「自分と異なる意見を醜聞」とする醜聞。日本にも看過できない醜聞がありそうですよ。
ここでは、「公には」多様性がなく言論の自由さえみられない沖縄が、その点で中国・韓国そっくりであることを述べています。
基本として「沖縄紙が、通常の報道機関とは思えない」というのがあります。
普通の新聞社ならば
- 幅広く取材を重ねる
- 様々な読者がいると想定して、賛否両論併記から記事を書く
- 結論を自分で書かず、読者の判断に委ねる
とは言え
新聞社や分野の種類によっては、そうでない場合もあるのでしょう。
そう「両論併記」とは言っても、当事者が考えているだけの「両論併記」である場合がほとんどで、最終的には読者が「自分で考える」しかないと思います。
ただし「自分で考える」のが簡単そうで難しいのかも知れませんね。だから特に沖縄本島では、全面的に新聞に依存する人が多いので、擬似的に「自分で考えている」と錯覚させる技法が発達しているのでしょう。
しかし沖縄の問題点は
- 当事者が考えているだけの「両論併記」さえなく
- 沖縄本島では言論が不自由で、中国や韓国の欠点を言え(わ)ない・聞かないが常識(韓国があれだけ無視・冷遇されても中国に接近するのには歴史的な根拠があり、沖縄にも似た歴史があります)
- これは「自分(たち)が一番正しい」とするうぬぼれに起因します。
- 問題の発端は 「沖縄 ≒ 中国・韓国」 というのが外部から見た印象です。
- 「差別だ」や「差別意識なし」は、それ以下の枝葉末節
- 「弾圧国家」べったりの差別思考の反語として「差別だ」が有効らしい。
- ただし、①対立をそのまま増強させるか、②対立があっても貴重な経験とみる(両者が歩み寄れる手法を見出せる)、かにより分かれます
- 今のところ沖縄では多くの人に被害者意識しかなく、中国・韓国に何も言えないため、①≫②のようで、深刻な問題の発端になっているでしょう。
- このような「三流新聞社に頼る」沖縄本島人に対して懐疑的な人がいるのですが、三流新聞社に頼っているようにみせかけて実はそれ以上に「立派な人」もいるのでした。
多様性とは、広い意味では「いろんな人が、好き勝手に言う」ことです。
しかし沖縄は、「北朝鮮のマスゲームのような一色」を理想としているようで、中国や朝鮮半島の全体主義国家によく似ているのです。
そう沖縄では、「自分と異なるからすぐに否定反応を示す」のではなく、「自分と異なる意見をもつ人を尊重できるか」が、試されているのです。
もしもそれができないまま、自分と異なるからといってすぐ相手を否定しているようだと、今の中国・朝鮮半島人のようになりますよ(笑)。
かなりレベルの高いお話になってしまい、しゅみませんでちた。
そういえば沖縄では
- 自分と異なる意見をもった人たちは、差別主義者。
- 自分が言っていることは正しいので、これを死守。
両者は似ていて、これが常識なんでしょう。
私の考えでは
- 判断基準では「多様性があるか ≒ 自分と異なる意見を許せるか」
- やめたいこと「死守 ≒ うぬぼれ」
ということで
中国人・朝鮮半島人をみているとよく分りますが、「安易に差別主義者」と叫ぶ人は「間違いなく差別主義者」なのです。自分自身がまったく見えておらずひたすら自分の利益だけを考えているからでしょう。
自分を「正しいと考える」からには、他人も「自分が正しいと思っている」と考えるのが普通です。
それさえできない人は、根っからの教条主義者か序列意識に取り憑かれた「かわいそう」な人たちです。
もし
他人も「自分が正しいと思っている」ことが本当に分るならば、死守することなどあり得ず、相手を「差別主義者だ」とののしることもなく、対等に話し合えるでしょう。
さて沖縄本島人が、その資格をもっているかどうか・・・・・・。
理解し合ってこそ、競争が向上の原点となりますが・・・・・・
- 多様性を認めず
- うぬぼれに徹する
よってここに過激派が集まりやすい
このため疎んじられ、基地問題も激化したままなのが「沖縄」の現状なのではないのか、という気がします。
これも沖縄人の2つの特質があるやに思われます。
一見して関係がなさそうな沖縄問題とIS問題(中東から欧州への難民)
▲自分で空爆をしておきながら、発生した難民を引き受けようとした
自分で中国・朝鮮半島を異質とみなしておきながら、沖縄ブームを演出。
▲差別温存→難民受け入れ→移民2世などがテロを起こし→受け入れを制限
沖縄本島では中国系移民の移民2世3世以上が比較的多く、差別はないもののむしろ彼らが対立をあおっており、ねっからの沖縄人もこの影響で「中国・朝鮮半島を批判できない風潮」を醸し出している。反政府行動を援助しているのが中国・朝鮮半島という外国で、深刻な動きをみせています
そして沖縄ブーム・韓流ブームは去り、世界中の旅行ブームが京都などの内地へ移りつつあります。ブームとは、実に空ろなものですね。
▲自分たちとは、本当に関係がないのかどうか
イスラム教徒は「ISなどの過激派は自分たちと関係がない」組織だと思っているし、沖縄人も「反基地過激派は自分たちと関係がない」組織だと思っているのですが、外部からは「過激派が巧みにイスラム教徒や沖縄県人を利用しつつある」と受け取っています。
何か似ているようですね。
米軍ヘリ窓落下「文句言うな…」被害小学校に続く中傷
学校側への誹謗(ひぼう)中傷が止まらない 「やらせだ」や「自作自演」まで のぞく沖縄差別:毎日新聞2017年12月25日
報道されていることは、その通りなんでしょうが
一方の立場からの取材でしかなく、不完全な記事だと言えます。
まるで毎日新聞が、中国でやっている報道そのものを、沖縄でやっているとしか見えないのが残念です。沖縄の視点しか見られないため、沖縄では「そうだそうだ」という声が聞こえそうで、社民党や日本共産党の支持があったとされる現沖縄知事派も「当然」とするでしょう。
しかしこれは、双方の立場から取材するという報道社の姿勢を放棄するもので、中国・朝鮮半島といった全体主義国家では人気があるでしょうが、普通の民主国家ではあり得ないのでした。
これらのことから
日本のメディアが中国でどう報道「させられているか」が分ってくるというものです。中国共産党の意向に反する報道は絶対に認められず、中国から追い出されるのですね。
中国共産党に取材制限される日本のメディアのほうがマトモなので、それ以外のほとんどの社が「ご愁傷様」、というところです。
「沖縄2紙は反権威のようで実は『権威』そのもの」「中国の国営放送そっくり」:産経新聞 2015.12.19
この記事は2年前と
少し古い八重山日報・仲新城誠編集長のインタビュー記事です。
ただし内地での報道のほとんどが、沖縄2紙(琉球新報・沖縄タイムス)からの抜粋が多いため「沖縄=反政府」とみなされることが多いようですから、たまにはいいでしょう。
仲新城の「沖縄2紙が中国国営放送そっくり」という言葉は、「沖縄≒中国・朝鮮半島」という私の見方と似ています。
少し長い記事ですが、私が言っていることと重なる点が多いので、是非とも目を通してください。
必ずしも
私の主張が、産経新聞や八重山日報と一致しているとも言えませんが、沖縄2紙(琉球新報・沖縄タイムス)が異様である、という点では一致しています。
- トランプもいいおっさんなのでしょうが、大統領の荷は重すぎるようで、一刻も早く職を辞するのがいいと思われます。
- また翁長雄志もいいおっさんなのでしょうが、知事の荷は重すぎるようで、一刻も早く職を辞するのがいいと思われます。
かくして
翁長雄志が2017年2月に渡米したのに有力者の誰とも会えず、情けないことこの上ありません。まるで先日の韓国大統領文在寅訪中の冷遇を思いださせ「中国に触れることができないまま渡米して何かを言う翁長」とまともに話し合う人はいませんでした。事前に中国に対して何か言っておればまだしも、中国について何も言えないままアメリカで沖縄の反基地を唱えても効果はまったくなかった、という印象です。
こういうように、あることについてはだんまりを決め込み、そのあることが原因で起った不都合なことを一方的になじるのは、場合によっては「ひきょうな手口」とみなされることでしょう。翁長は、そうみなされる覚悟をして、今後とも職を続ける意向のようです。
トランプの支持者 ≒ 翁長の支持者(特に沖縄本島)
なのにまったく訪米の効果がなかった翁長は、この際、徹底的に反日に走り、1年後の2018年12月の沖縄知事選に再選を託すのでしょうか。
言動がふらふらしているのは、政治家にとって最大の不名誉であり、荷が重すぎるため、トランプと翁長は、一刻も早く現職を辞任されるよう「希望します」。
百田尚樹氏の講演会に現れた沖縄タイムス記者 その「言いがかり」の中身とは? 「差別の意図はない」にも「中国、韓国人はマイノリティだから」:産経新聞 2017.11.5
ん~まぁ私は、不勉強のためか、ほとんど百田のことを知りませんが、あまりにも沖縄2紙(琉球新報・沖縄タイムス)が一方的に過ぎることから、その実体をあばいているらしいことに、若干の意義があろうかと思います。
多くの人が信頼を寄せている、とされる場合には、必ず裏があるもので、それを知ることは、正しいかどうかは別として、国民が知るべきだと思います。
我那覇真子については、こちらをどうぞ。:その1 その2
さてさて、皆様はどう思われますか。