への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

江戸の面影を残す七宿場(その二) 妻籠①

2021年09月25日 | 宿場町

馬籠峠から、くねくね急な国道を下りてきました(2021/9/21)。

ここは長野県南木曽町妻籠(つまご)です。中央駐車場に車を止めて散策を開始しました。

 

                  (妻籠宿見どころマップ より)

妻籠は中山道の42番目の宿場町です。                               馬籠峠からおりて来ると、古い町並みがよく保存されている寺下地区に入ります。          枡形を過ぎると、本陣脇本陣や旅館・土産物屋が多い上町中町にやって来ます。        さらに行くと、高札場周辺の下町へ入ります。                                          宿場の長さは270メートルといいますが、これは枡形から高札場までの距離でしょう。

 

妻籠宿(寺下)

中央駐車場から宿場に近づくと尾又橋がありました。立札に「左が車、右が人」と。

 

橋を渡りかけると、

キラキラ流れ落ちる水。(あららぎ)です。左奥に見えるのは発電所です。

 

橋を渡って、寺下地区に入ると、軒下にベンチを発見。

ごめんなさいよ

腰をかけて、買っていた野沢菜おやきをゴチに。やっと小腹が満たされました

 

っ! 時代劇の風景だ」 

三度笠にカッパ姿の渡世人が出てきそうです。

 

こちらは上嵯峨屋(かみさがや)。庶民の旅行が流行り、それに応えた安価な木賃宿です。

旅人は、食料持参で自炊し、板の間で雑魚寝したようですよ。

 

その向かいを見ると、

格子戸に、みの・笠・わらじがつり下げられていました。しょいこに入った菊も。

 

その先の町並みは、

いい感じ

左の店は、すし桶や曲げわっぱなどの木工製品を扱っているあぶらやです。

格子戸、何かぶら下がっている

 

わらの中に柿を入れてつるし、熟すのを待つそうですよ。

 

その先で道は二つに。

右は新しい道。中山道は左の直道で、石の階段を約2メートルほどおります。           寺下地区は、このあたりまででしょうか。

 

石段を下りる前に、ちょっと後ろを見ると、

おっ! 観光パンフに載っいる光景だ

 

石段を下りて、ちょっと行って、また振り向くと

ほらこれも、観光パンフによく使われる光景。山深い木曽路の雰囲気がよく出ています。

 

さらに進むと、

常夜灯。それを迂回するように、中山道は左下から、ぐるっと回ってここに出てきて、右に直角に曲がっていました。ここが枡形です。

 

このあと、高台にある光徳寺にのぼって、いま来たルートを確認しました。

馬籠は山の向こう。右に駐車場。左に橋。左から右下に伸びた寺下の町並み。トタン屋根が多いですね。古くは茅葺だったと思いますよ。

このあと、上町中町下町を散策しました。

                                    つづく

 


江戸の面影を残す七宿場(その一) 馬籠②

2021年09月23日 | 宿場町

馬籠宿

藤村記念館の隣りに来ました。

りっぱな建物だ

ここは大黒屋です。街道が栄えていたころは造り酒屋でしたが、今はカフェ&甘味処です。入ってみると、左がお土産屋、右が甘味処でした。ところが、待っていても、店員さんは出てきませんでした。

変だなぁ

 

結局、あきらめて、また坂道を上ることに。

左は和菓子屋の末木。ここでは一年中、栗きんとんをいただけるそうです。

 

さらに先に行くと、また水車。そろそろ宿場の頂上のような

 

水車の先にあった喫茶かっぺ。ここで一度、振り返って後ろを見ることに。すると、

ひぇ~っ!  転げ落ちそうだ

 

やっと上入口にやって来ました。

やれやれ

立ち止まって先を見ると、中山道の坂道は、さらに続いています。                       左側に手打ちそばの恵盛庵(けいせいあん)。ここも臨時休業中でした。             右側に高札場。このあたりが馬籠宿の北のはずれのようです。近くに終わりかけた彼岸花

お腹がすいたぁ~

 

休憩もせず、一気にここまで来ました。ここいらで、ランチです。

前の道を右に行くと、栗おこわがおいしい食堂があります。                   十返舎一九曰く、「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこわめし ここ(馬籠)の名物」と。      これは、外すわけにはいきません。で、一度、駐車場にもどり、車で行くことにしました。

 

馬籠峠

ところが着いてみると、食堂も臨時休業中でした。落胆!

気を取り直して、少し先の峠の茶屋まで行きましたが、ここも閉じていました。見ると、近くに馬籠峠の看板あり。

う~ん、向こうは、信濃の国かぁ

ランチをするには、馬籠にもどるか、峠を越えて妻籠(つまご)に行くか。           しばらく考えたすえ、妻籠に行ってみることにしました。

こうしてついに、への次郎は県境を越えることになりました。

 

 

 


江戸の面影を残す七宿場(その一) 馬籠①

2021年09月21日 | 宿場町

中央道中津川インターで下道に降りました(2021/9/21)。ここは岐阜県中津川市です。

国道19号線を北上し、中津川市街を通り抜け、山が迫ってきたところで、南から中山道の宿場町馬籠(まごめ)をめざしました。

 

あっ! 赤い大橋

中央道の落合川橋です。この橋の下を通って、山道を上っていくと馬籠です。

ここはもう、木曽だなぁ

 

馬籠宿

10時過ぎに、馬籠の南にある下入口近くの無料駐車場に入りました。3年ぶりの馬籠です。

おや??  車がほとんど止まっていない

駐車場に隣接にした土産物店も閉まっていました。

岐阜県は緊急事態宣言が続いているからなぁ

 

                    (ウォーキング馬籠宿 より)

馬籠宿は中山道43番目の宿場町。江戸末期の記録によると、宿場の長さは600メートル、人口は約700人だったそうです。

 

宿場内に入ると、観光客はチラホラ。このあたりで営業していたのは、土産物店の「花屋」さんだけでした。

道は先の突き当りで、左に曲がっています。その先は、

 

今度は逆に、右に曲がっている

道が直角に曲がった構造を枡形(ますがた)といい、外敵の侵入をここで防ぎました。

急だ! 岩倉具視(いわくらともみ)が乗った人力車が突っ込んだのは、このあたり?

水車は動いていませんでした。枡形の先は、

 

やはり坂道でした。

前を歩いている人たち、歩きにくそう

 

この清水屋さんは代々、馬籠の宿役人を務めていたそうです。

 

坂道は、まだまだ続きます。下扇屋さんは、土産物屋さん。アジロ笠をちょっとのぞいて、さらに上ると、

 

水車のあたりにハギの花!

右のおかき屋さんは、営業をしていましたが、お客さんはいませんでした。坂の上のこんもりとした木のあたり、たしか藤村の生家だったような

 

やはり、そうでした。

かつてここに馬籠宿の本陣があり、島崎藤村はここで生まれました。ただ明治の大火によって焼失。その後、地元住民によって再建され、現在は藤村記念館として公開されています。

3年前は入館しましたが、今日は取り止め。ここまでの坂道、老兵にはこたえましたよ。

このあたりで、一服

たしか、お隣は甘味処。そこで一休みすることにしました。

                                    つづく

 


ぷらっと宿場町 和宮ゆかりの大湫宿(瑞浪市)②

2021年05月16日 | 宿場町

岐阜県瑞浪市の大湫(おおくて)宿にやって来ました(2021/5/14)。

防火用の水桶があるところが、⑨白山神社の参道入口です。前方の突き当りはT字路になっています。このあたりが現在の中心地。前方のベージュ色の建物は⑤公民館、その手前に駐車場、向かいに⑦お休み処があります(地図は「ぶらっと散策みずなみ」HPより)。

お休み処では、ハイカーや観光客10名ほとが汗をぬぐったり、食事をとったりしていました。

 

公民館と駐車場の間に坂道がありました。坂道を上ると大湫小学校の跡地があって、かつてここに⑥本陣がありました。江戸に向かっていた和宮は、1861年10月28日、ここ本陣で一晩を過ごしました。その際に詠んだ歌を刻んだ歌碑が校庭のすみにありました。

 

公民館の向かいは、旅籠兼問屋の丸森です。大湫にある4軒の国の登録有形文化財の一つで、江戸末期の町屋形式を無料で見学できます。丸森の右にお休み処があります。

 

T字路まで来て、そこを左に行くと④白木番所跡がありました。ここに尾州藩の役人が常駐し、材木の管理や監視にあたっていたようです。

 

T字路まで戻ってきました。右からきた中山道がここで直角に曲がって、向こうに伸びています。大湫で唯一の枡形(ますがた)です。ポストのあるところが唯一の金融機関で、現在は機械だけがおかれているようです。その先に自販機がありますが、そこは唯一の商店です。さらにその先は上り坂になっていて、高い石垣があります。

 

石垣まで来てみると、①碑があって「是より東   十三峠」と刻んでありました。見ると、確かに急坂が伸びています。碑の後ろの木は、この地域に自生しているなんじゃもんじゃで、まだ白い花をつけていました。

 

碑の右は、石垣の上につくられた駐車場でした。その奥には、観音堂から見えた③宗昌寺(そうしょうじ)がありました。

 

石垣上の駐車場から見た宿内の光景です。右奥にT字路があります。その奥に黄緑色の高台がありますが、そこが小学校跡地、つまり⑥本陣跡です。T字路のところで中山道は直角に左に曲がり、宿場はその先に伸びています。五平餅を食べた観音堂は、写真左端に屋根の先だけが少し見えます。


 

5月中旬の平日、新緑の山里にたたずむ大湫宿を歩いてきました。

ハイカーのグループや観光客、ロードバイクやオフロードバイクに乗って立ち寄った人、多くはありませんが来訪者はありました。公民館では、何か集まりがあったのでしょうか、会場を準備する人がいました。静かな宿場でしたが、お年寄りが家先に出て立ち話をしていたり、家からは話し声やテレビの音がかすかに聞こえてきて生活感が感じられました。

ここは馬籠妻籠奈良井のように、観光地化はされていません。また中津川大井(恵那)のように、市中心部にあるわけでもありません。かといって、細久手のように宿場の様子を失ってはいません。廃屋は増えつつあるようですが、住民や行政の努力によって往時の姿をなんとか留めようとしている、そう感じました。

最後に、公武合体の象徴として江戸に向かっていた16歳の和宮がここで詠んだ歌を一首。 遠ざかる  都と知れば  旅衣  一夜の宿も  立ちうかりけり  

 


ぷらっと宿場町 和宮ゆかりの大湫宿(瑞浪市)①

2021年05月15日 | 宿場町

岐阜県瑞浪市にやって来ました(2021/5/14)。

江戸時代、瑞浪市の山中を中山道が走っていて、宿場町が二つありました。一つは東の大湫(おおくて)宿、もう一つは西の細久手宿です。今日は大湫宿に行ってきました。

国道19号を東に進み、瑞浪市釜戸町の交差点を左折すると、谷川に沿った急な上り道です。もう少しで宿場、というところで道をふさぐものが。よく見たら、「たぬき

しばらくこちらを睨みつけていましたが、やがて退散。無事、大湫宿に入りました。

 

まず地図で、周りの地形を確認しましょう(「ぶらっと散歩みずなみ」HPより)。赤線が中山道です。大湫宿は標高500mの高地にあります。西にはさらに100m高い山があり、その山すそに宿場は縦に形成されています。宿場の東には大きく区画整理された田んぼがあります。

 

車を止めた西駐車場から、宿場に入って行くと、⑬高札場がありました。ここから大湫宿になります。大湫宿は長さ約 340m、江戸末期の戸数は60~70戸、うち旅籠屋は30軒前後ありました。

 

宿場に入って少し進むと、西側の山の中腹に宿内を見下ろすように⑫観音堂がありました。

 

観音堂から見た宿内の光景です。写真右上に③宗昌寺(そうしょうじ)があり、そこまでが宿内です。

 

散策するために、まずは腹ごしらえ。来る途中、瑞浪駅の近くで買ったあまから本店の五平餅をいただきました。

 

お腹が満たされた後、観音堂から下りて行くと、そこにあったのは倒れた巨大な木でした。樹齢1300年、幹回り11mの⑪新明神社の大杉。この杉、2020年の豪雨の際に倒壊し、今でも根元に近い部分は現場におかれたままでした。

 

新明神社の少し先には、高級武士や公家が利用した⑩脇本陣がありました。一部は改修・縮小されているそうですが、ほぼ往時の姿を留めているようです。

 

さらにその先には、⑧問屋場跡がありました。問屋場とは、宿場の業務を担った役人が勤務していた役所です。木々が茂っているところにあったそうですが、建物は残っていません。その右に⑨白山神社の参道があって、奥に鳥居が見えます。

                                   つづく