揚輝荘の北庭園から、マンション横を通って揚輝荘南庭園にやって来ました。
こちらで公開されているのは、この聴松閣という建物だけです。
奥さん 「壁の色、何とも言えないわ」
への次郎 「浅見光彦にも出ていたよ、この建物」
この建物は昭和12年に建てられた山荘風の外観をした迎賓館です。入口の受付で入館料200円を払って館内に入ると、
正面に食堂だった部屋がありました。
入ってみると、豪華な雰囲気がありました。ここは現在、喫茶室として使われています。
後ろを振り向くと、
揚輝荘の全景模型がありました。現在残っているのは、右上と左下のみです。
二階に上がって行きました。
建物内の床や柱は、各所で手斧(ちょうな)を使った細工が施されています。
ここは、玄関の上に飛び出している部屋ですね、書斎でした。
隣りは応接室で、豪華な暖炉が復元されていました。
その隣りは寝室。天井を見てください、中国様式の意匠ですよ。
さらに隣りも寝室。ミャンマー留学生養育100年記念の展示が行われていました。
実はこの建物、迎賓館としてだけでなく、アジア留学生の宿舎としても使われました。
二階から一階に下りて来て、さらに地階に行くと、
ビックリするものがありましたよ。
それが、これ。
奥さん 「ここ、トンネルの入口だって」
への次郎 「えっ!? 汪兆銘が隠れたかもだって!」
日中戦争中に親日政権をつくった汪兆銘は、昭和19年に来日、名古屋大学医学部付属病院で手術を受けました。名古屋に滞在していたころ、ここで空襲を逃れたのでしょうか。説明によると、トンネルは確かに外につながっているのですが、建設目的は分からないそうです。
トンネル入口の反対側を見ると、
留学生が描いた壁画の向こうに部屋が見えました。行ってみると、
インド様式の意匠がほどこされた舞踏場でした。
窓のガラスには、ヒマラヤですかね。
館内の参観を終えて、玄関に出てきました。
奥さん 「トンネルの入口は、この真下じゃない」
への次郎 「そうだね、あんなものがあったとは、思いもよらなかったよ」
帰りの車内での話題も、あのトンネルでした。