この日、名神道を西に走りました。
最近、結構工事をしています。走っていたら、大垣インター近くでピタッと停車。
奥さん 「見て! 雪山よ」
への次郎 「あれは伊吹山。関ケ原は、あの下だよ」
関ケ原インターの近くまで来ると、
奥さん 「近いね、伊吹山。うまく撮れたわ」
への次郎 「もうすぐ着くよ、関ケ原」
■岐阜関ケ原古戦場記念館
まずやって来たのは、岐阜県関ケ原町にある岐阜関ケ原古戦場記念館です。
下車すると、予想通り雪風が吹いていて、ぴえぴえでした。
入館料は大人500円、孫は無料。館内に入ると、
西軍の将の鎧兜が展示されていて、
奥さん 「うちの親戚の島さん、島左近の末裔かしら?」
への次郎 「そういえば、肖像画があったような…。どうだろう」
その奥は、家康と三成の鎧兜です。
さらに奥には、
今はこれ、欠かせませんよね。
写真パネルや鎧兜を見ていたら、呼び出しがありました。このあと、この施設自慢の映像(グランド・ビジョンとシアター)によって、関ケ原の合戦を体験しました。
■徳川家康最後陣跡
古戦場記念館から出てくると、隣に徳川家康最後陣跡がありました。
合戦が始まってから家康は桃配山から、ここへ移動してきたようです。
への次郎 「決戦の地は、前方の木のずっと向こうのようだね」
奥さん 「左の松の下、何かありそうよ」
来てみると、そこは、家康が敵将の首実検をした場所でした。
合掌し、決戦の地へ移動しました。
■決戦地
車を走らせると、10分もかからないところにありました。
孫 「石田三成は、どこにいたの?」
への次郎 「ほら、左の山に白いものがあるじゃない。あそこのようだね」
■笹尾山・石田三成陣跡
駐車場から見た笹尾山です。
左の階段から上がって行きましたが、その先はけっこう急で、長かったです。
息を切らし、膝はがくがく。やっとの思いで登ってくると、合戦場を一望できました。
孫 「家康は、どこにいたの?」
への次郎 「右に森があるね。その左の木々が見えているところだね」
奥さん 「じゃ、小早川秀秋は?」
への次郎 「奥から二つ目の山、その右の方の飛び出ているところかな」
奥さん 「こんないいところに陣取っていたのに…。負けたのね、三成」
確かに。陣形といい、兵の数といい、西軍が優勢でした。もし西軍が勝っていたら、その後の歴史は、どうなっていたんでしょうね。
伊吹おろしが吹きおろす笹尾山で、しばらく合戦の地を眺めていました。