への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

愛知で広島お好み焼を食べました

2024年04月10日 | ランチ

親戚の家を訪ね刈谷市の国道を走っていたら、「広島お好み焼」の文字が目に入りました。こちらでは、名古屋市内でも、あまり見かけませんね、広島焼き

 

への次郎 「へぇ~、こんなところで広島お好み焼かぁ

奥さん  「懐かしいでしょ? 寄ってみようか

 

ここは、広島お好み焼&鉄板焼きの坊っちゃんです。

狭いお店に入ると、左側は厨房に沿ってカウンター席、右側にテーブル席がありました。

 

カウンター席に座って、メニュー拝見。

奥さん  「一番上のメニューが基本なんじゃない

への次郎 「じゃ、肉玉そばを2つ

 

注文後、目の前で大将が焼き始めました。

 

鉄板の上に薄く生地を引き、その上にキャベツ、天かす、モヤシをのせ、

三種類の調味料をふりかけ、豚バラを三枚のせ、マヨネーズをかけて焼きました。

 

その後ひっくり返し、生地を上にして野菜をしばらく蒸し、

野菜がしおれたところで押さえつけ、

 

焼いた麺の上にのせました。

 

さらに卵ものせ、

 

ソースをかけ、

 

青のりをふりかけて、完成しました。

 

奥さん  「どう、美味しい?

への次郎 「・・・

 

美味しいというか、シンプルな味でした。

子供のころ、広島のお好み焼が今日ほど話題になることはありませんでした。いつからこんなに有名になったんでしょうね、元広島県人にも分かりません。

不思議。

                                           


人間国宝の遺作を鑑賞しました

2024年04月07日 | 鑑賞

ネットニュースを検索していたら、陶芸展の記事がありました。

 

への次郎 「加藤土師萌(はじめ)さんの遺作展をやっているって

奥さん  「加藤さんって、人間国宝でしょ。じゃ、行かなきゃ

 

ということで、岐阜県多治見市にある現代陶芸美術館にやって来ました。

前を行く女性の後をついて進むと、

 

美術館につながる屋根付きアーチ橋がありました。

 

アーチ橋から下をのぞくと、谷に沿って、

白い花のシデコブシミツバツヅジが咲いていました。

 

橋を渡ってさらに進むと、美術館の入口があり、

入って地階に下りると、

 

焼き物販売コーナーがありました。手前が作家物で、

奥には、各窯元の製品が置かれていました。一通り見て、奥に向かうと、

 

ありました。作品展の入口です。

一人430円を支払って入ると、中には(作品は撮影禁止)、

 

美濃陶芸界の若手実力者、重鎮、六人の人間国宝の盃、抹茶茶碗、大皿・花瓶など九十数点が展示されていました。

 

作品群の最後に展示されていたのが、ネットニュースで紹介された加藤さんのこの作品。

                (「朝日新聞デジタルニュース」より)

黄地金襴手菊文蓋付大飾壺(おうじきんらんできくもんふたつきおおかざりつぼ)」。 高さ1.5メートル、胴径73.5センチ、重さは約120キロの大物です。

 

じつはこの作品、皇居に上納されたもえぎ色の「緑地金襴手飾壺(りょくじきんらんでかざりつぼ)」と色違いの姉妹品でした。

 

加藤さんは宮内庁から作陶の依頼を受けた際、大壺を50個作り、できがよい3個に緑地の色をつけた。さらに最上の1個を加藤さんの没後、家族が仕上げて皇居に上納。残り2つは、京都国立近代美術館などに収蔵されたそうです。

 

この時、家族が一つ、色違いの姉妹品を作っていたんですね。それが、この作品。

               (「朝日新聞デジタルニュース」より)

ガラスケースに収められることもなく、むき出しに展示されていました。大壺の回りを二人で、何度も回り鑑賞しました。

 

への次郎 「迫力あるね、この作品

奥さん  「美術作品でこの大きさ。あまり見ないね。来てよかったわ

 

 

美術館を出て、屋根付きアーチ橋まで戻ってきました。谷の反対側をのぞくと一面に、

への次郎 「ミツバツツジ、すごい数!

奥さん  「今年も、花の季節が始まったね

                                        


新城の古戦場を散策しました

2024年04月03日 | 散策

天正3年(1575)、織田・徳川連合軍武田軍新城で激突しました。世にいう長篠設楽原(ながしの したらがはら)の戦いです。戦いはまず、長篠城で始まりました。

 

城跡があるので行ってみると、

長篠城址・史跡保存館がありました。

 

入館すると、

城を攻めた武田勝頼軍と、城主奥平家の甲冑や文書などが展示されていました。

 

資料館から出てくると、向かいに本丸跡がありました。

堀の向こうに土塁。古城の雰囲気がありますよね。

 

タンポポが一面に咲いた広い本丸跡に入ると、端にこんなものがありました。

奥さん  「鳥居強右衛門がはりつけにされた場所だって

への次郎 「川の向かいの木がまばらになっているあたりだね

 

奥平家の家臣であった鳥居強右衛門(とりい すねえもん)は、武田軍に包囲された長篠城の窮状を岡崎城の家康・信長に連絡。帰城の際に武田軍にとらえられ、長篠城本丸の向かいではりつけにされました。

 

奥さん  「信長が鉄砲隊を使ったのは、ここ?

への次郎 「いや、ここじゃないよ。そこに行ってみようか

 

 

長篠城跡から車で15分、設楽原歴史資料館にやって来ました。

 

入館すると家康の絵があり、その前で記念写真。

 

奥に進むとありました、多数の鉄砲

 

屋上に出ると、向かいの山すそに馬防柵(ばぼうさく)がチラッと見えました。

への次郎 「馬防柵が見えるから、あのあたりが決戦場だね

    「はやく、行こう!

 

歴史資料館から車で3分、決戦場の入口にやって来ました。

ここに車を止めて、歩いて行くと、

 

ありました、馬防柵。

手前が織田・徳川軍の陣地で、武田軍は右方向から攻めてきました。

 

たった10時間の戦いで、武田軍1万人、連合軍5千人がここで命を落としたそうです。3人で合掌し、この地を後にしました。

 

 

山道をインターめざして走っていたら、菜の花の向こうに満開の早咲き桜

出遅れた今年のソメイヨシノ、いよいよ出番のようですね。