ヒバリさんのつれづれ日誌

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ひろしま今昔物語

2008-03-24 03:33:46 | ノンジャンル
 1950年

 (わたしは生れていない)

 その

 1950年に生れた広島市民球場が移転をする

 あたり前のように、路面電車を間に原爆ドームと球場を見つめてきた

 わたしは万感こもる感情が今ここにある


 あれは、わたしがまだ小学校の頃・・・

 当時はまだ赤ヘルじゃなかった

 最下位を常にキープ「あぁ~又今日も負けだよ」

 家族は勿論隣のオジサンやオバサンからも口ぐせのように聞いていた

 それでも、それでも、何だか地元球団には愛着があって

 男子はGじゃなく紺の球団のカープ帽子に人気があったし、

 試合がある日はTVに皆かじりついていた記憶がある


 あれから・・・わたしが中学生だった1975年にリーグ初優勝を達成

 友人たちとはジュースでカンパイ

 近所の兄さんはいつも以上に陽気であった

 広島の街中高らかにコンバットマーチが鳴り響き渡った瞬間である


 移転に際し、市民の意向を尋ねる文書があちらこちらで見られた

 今の場所を維持する声も当然である

 あの忌わしい原爆からの復興の一つの輝く希望の灯

 それが、広島市民球場であったとわたしは思うのだ


 いよいよ、ラストイヤー

 今、再び赤い鯉のぼり達の胴上げ、そして、あの当時の学友達との祝杯
 
 を夢に描いてるわたしである