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カルマ

2017-10-07 18:20:11 | スピリチュアル的
🌸カルマ🌸


「カルマ、つまり、返さなければならない負債には、いろいろな種類がある。

個人のカルマとは、その人物の個別の義務であり、

その個人に固有のものである。

しかし、グループのカルマ、つまりそのグループ全体の集合的な負債というものも存在する。

そして、そのような多くのグループが存在している。

宗教、民族、国家などである。

もっと大きなレベルには惑星のカルマというものもあり、

これは、いつしか、その惑星の運命と結末に影響を与えてゆく。

グループのカルマにおいては、

個人の負債が蓄積され、清算もなされるが、

その結果は、そのグループ、国、惑星にもかかってくる。

こうしたグループのカルマは、そのグループ全体、あるいは国の未来を決定していく。

しかし、それはまたカルマを作った時そのグループに属していなかったが、
後にそのグループに生まれてくる個人にもかかってくる」


「人間の行いは、道にそった行い、神の道に従った時、

正しい行いとなる。

これ以外の道は、結局は行き止まりの道か、

幻想に過ぎず、正しい行いとはなり得ない。

正しい行いは、個人の霊性を高め、神への回帰を促進する。

公正、憐れみ、愛、知恵、

そして、

われわれが神的、霊的と呼んでいる特性をはぐくむ行為は、

必然的に正しい行いである。


正しい行いから得られる果実は、望んでいた到達点である。

正しくない行いの果実は、過渡的で、錯覚に過ぎず、偽りのものでもある。

こうした果実は人々をだますが、

それは私たちが真に望んでいるものではない。

正しい行いの果実は、

われわれのあらゆる目的、あらゆる願望、

あらゆる必要、あらゆる希望を超越している」

「名声を例にとってみよう。

名声それ自体を目的として求めるものは、

しばらくの間は名声を得るかもしれない。

しかし、その名声は一時的なものに過ぎず、

心を満たすものではないだろう。

しかし、正しい行いは、すなわち道にそった行動の結果として、

求めずして与えられた名声は、永続し、正しいものであろう。

しかし、道を行く者にとって、そのようなことは、どうでもよいのだ。

これが、利己的に追い求めた名声と、求めもせず、望もせずに、

正しい行いの副産物として与えられた名声の違いである。

第一のものは幻想であり、永遠のものではない。

第二のものは本物であり、永遠のものであり、

魂に属するものである。

第一のものはカルマを作り、いつか返さなければならない。

第二のほうはカルマを作らない」


(「魂の伴侶」ブライアン・L・ワイス著 山川紘矢・亜希子訳)