hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

鈍刀を磨く

2017-10-14 14:07:01 | お話
🍀🍀鈍刀を磨く🍀🍀


<ばあさんから学んだこと>

僕は小さい頃、両親と生き別れになり、明治生まれのばあさんに育ててもらいました。

いつもばあさんに「山から薪(まき)を取ってこい」と言われていました。

その山は家から遠く、1日10往復して薪を運びました。それは僕にとって不毛の戦いのようでした。

でもそれが僕の骨格を作り、体を鍛えてくれました。

先日、ある雑誌の依頼で㈱イエローハットの創業者・鍵山秀三郎先生と対談させていただきました。すると鍵山先生も同じような体験をされていたことを知りました。

昔貧乏だった時、親が山にある田んぼをもらいました。

子どもだった鍵山先生は水が来ないのでバケツで水を汲んで何度も登ったそうです。

「当時は本当に大変だった。でもそのおかげで体が鍛えられたんだ」と話されていました。

小・中学生の時、僕のあだ名は「赤ちゃん」でした。

先生が書いている黒板をノートに写せなかったり、漢字が分からなくてひらがなばっかりで書いていたからです。

今は「発達障害」という言葉がありますが、当時はそんな考え方がなかったのでいつも皆からバカにされていました。

運動会ではいつもビリでした。泳ぐのもビリです。でも僕は気にしていませんでした。

ばあさんが「ビリでも『回れ右』をしたら一番だ」と褒めてくれていたからです。

「僕も一番になれる」と思っていました。褒められることはとても嬉しかったです。

お金がなかったので調味料は全て自家製でした。

私の味覚を養ってくれたのは、ばあさんが材料から作ってくれた「本物の味」でした。それが私の味覚の土台になっています。

15歳の時、僕は4000円を持って蒸気機関車に乗り、社会に出ました。

家を出る時、ばあさんにこう言われました。

「人に好かれなさい。仕事は一生懸命しなさい。あと、くれぐれも女の人は大事にしなさい」と。

その時はなぜ女の人を大事にするのか分からなかったのですが、次第に分かってまいりました(笑)。

外出着が無く学生服を着て、学校のカバンに下着だけ詰め、僕は東京へ向けて家を出たのです。

~~~~~~~~~~~~

<お菓子の世界で働き始めて…>

最初は、菓子屋ではなく荷物運びの仕事を1年半しました。

その仕事は大変でしたが、家を出る時にばあさんに言われたことをもう一つ思い出しました。

「お前ならどこに行っても私は心配しないよ」、そして「お前は頑張ってお金を送ってこい」と。

ですので、「働かなくてはいけない」という思いが強くあり、仕事を一生懸命やるしかなかったんです。


17歳の時、「津曲くんをお菓子屋さんに入れたい」と言ってくれた人がいました。

僕はそれまでお菓子の世界を全く知りませんでした。

「シュークリーム」という名前は知っていても見たことがない。
そのくらい知識がなかったのです。

ですから最初は「嫌だ」と断ったのですが、その人はわざわざ仕事場まで迎えに来てくださいました。

なぜ僕に声が掛かったのか。
僕はただ無邪気なだけの男でした。

でもいつも明るくて体力もあったし、どんな状況でも決して根を上げませんでした。

今思えばそういうところを見てくださったのではないかと思います。

東京・渋谷にあったそのお菓子屋さんには、菓子学校から入ってきた人たちがたくさんいました。

でも僕は知識も技術もありません。
彼らはどんどん偉くなっていきました。

僕は本当に何も知りませんでした。

「ゴムベラ持ってこい」と言われてもどれがゴムベラなのか分からない。

「おたま」も分かりません。

ある時「ストスポ持ってこい」と言われたんです。

「スポスポ?」と聞き返したら、「アホか! ストスポや!」と叱られてしまいました。

「すみません、ストスポが分かりません。何でしょうか?」と聞いたら「ストロベリースポンジや!」と言われました。

その時は「そんなの分かるか!」って思いましたね(笑)。

ある日、僕はお店のゴミ捨て場に行ってみました。そのゴミ捨て場の臭(くさ)かったこと。

「店内はきれいなのに裏がこんなに汚くては…」と思いました。

僕は臭(にお)いがなくなるまで毎日一生懸命掃除をし続けました。

するとある日、ゴミ回収のおじさんに言われました。
「いつもここをきれいにしているのは君か? 君は出世するぞ」と。

僕はこの一言を真に受けたんです。

それから毎日、自分に「俺は出世する。俺は出世する」と言い続けました。

また、銭湯で一緒になった知らないおじちゃんから「君、いい顔しとるな」と言われたことがありました。

これは決して男前という意味ではないですよ(笑)。

でもこの言葉も真に受けて人生を送ってきました。

僕の人生がいい方向に向かっているのは、こういった言葉を信じてきたからではないかと思っています。

~~~~~~~~~~~

<無駄ではなかった!>

「鈍刀(どんとう)を磨く」という言葉があります。

「鈍刀」というのは切れ味の鈍い刀のことで、そんな刀は磨いても無駄だといわれます。

しかし鍵山先生は私にこう言ってくださいました。

「鈍刀は磨いても無駄かもしれん。
でもおまえは磨いてきたじゃないか。
そしてその中で光ることができたじゃないか。
鈍刀を磨くそのプロセスの中に大切なものがあるんだよ」と。

その言葉を聞いて、過去のいろんな体験がすべて今につながっていることを実感することができました。


(「みやざき中央新聞」H29.10.9 津曲孝さんより)