🎲🎴曲独楽(きょくごま)🎴🎲
扇子や日本刀🔪の上で華麗🌸に独楽を回す🌀曲芸をご存じだろうか。😊
江戸時代🏯に考案され、絶大👑な人気💕を誇ってきた寄席演芸🌸である。
私は木地🌲玩具職人の家系に4代目として生まれ、
木製の玩具🎲をつくり生計🌸を立てる傍ら、
半世紀以上この曲独楽🌸づくりにかけてきた。😊
1980年代から活動🍀が海外🌎に広まり、
私の作品はフランス🇫🇷のルーブル美術館🏤に200点以上永久保存🌸されるなど、ありがたい評価👑をいただいている。
曲独楽🌀の世界は一般的の独楽🌸とは一線を画す。⚡️
形はシンプル✨だが、バランスが命💓であり、
重さを均等にするのは非常に難しく😵、職人の腕💪が試される。
木🌲の素材や木目によって密度🌸が異なるので、ただ丸く削って心棒⚡️を通せばいいわけではない。😊🎵
木🌲と呼吸💨を合わせるようにバランスを見極め👀、
軽い部分には鉛💣を埋め込む。
塗料の塗り方によっても重さが変わるため、丁寧✨に色🎨を重ねて仕上げる✨のだ。
独楽🌸の基本の形は轆轤(ろくろ)で2時間🕑ほどで出来上がるものの、
仕上げ作業にかかる時間は、約1週間🍀。
完成までには、高い集中力🎯と、経験🌸に基づく職人🍀としての勘🌟が求められる。
もちろん、設計図📝はない。
先代である父親🍀からは、
「職人は、目👀の中に物差しを持て」
と繰り返し教えられた。🍀
また、
「曲独楽だけはやるな❗️」
と忠告⚠️し、それを遺言🎵のように残して75歳で亡くなった😇。
難しい上に調子🌸が悪くなるとすぐに調節🍀しなくてはならず、
それでいて、芸人は収入💰が少ない人が多い😵ので、妥当な対価👑が得にくい商売🍀。
自分の貧しい生活🍀を振り返って↩️のアドバイス🎵だったと思う。
そんな中、当時たった1人しかいなかった曲独楽の職人が高齢👴により引退☁️☁️し、
一流の芸人🌸がプラスチック製での代用を余儀なくされていると聞かされた。👂
300年以上続いた曲独楽🌀文化🌸が廃絶💀しかかっている現実🌸を目の当たりにし、
「父親の忠告⚡️を破って💢でも、つくらなければならない✊」
と心💓を決めた。
30歳のことである。😊☀️
そこから2、3年は試行錯誤⚡️の連続だった。
最後の曲独楽🌀の職人🍀は昔気質で、
私が弟子入りを請うても決して受け入れて✋💢くれなかったため、
すべて独学🌸で制作を続けた。
ある時、たまたま遠心力🔄を利用した玩具を手にする機会🍀があり、
独楽のバランス🌈を取る上で非常に大きなヒント🌟を得られたことがある。
何気ない出来事☀️だったが、
必死に考え続けて🌀いたからこそ独楽づくりの発想🍀に生かせたのだろう。😊🎵
つくっては失敗😵し、また作る。
その積み重ね⏫の先に、よい独楽🌀ができるようになっていった。☀️
1983年、48歳の時にはアメリカ🇺🇸からの招聘で、
戦後初めて独楽、凧、羽子板といった江戸🏯職人芸🌸が、海を渡ることになり、
その団長🌸を私が務めた。
その後、毎月☀️海外に行っていた時期もある。
もちろん英語🔡は全く話せない。😵
始めは不安😵が80%を占めたものの、
次第に、好奇心💓が勝るようになり、行く度に発見🌟があった。
例えば、独楽は世界中🌍にあるが、
指先1つで、ここまで精密🔧な仕事をできるのは日本🇯🇵だけであること。
日本🇯🇵の技術力✊の根底には、
戦後の貧しさ😵をバネ🌀に創意工夫🌸を重ねてきた根性✊があること
など、諸外国との文化🌸の違い⚡️に気づかされた。😊🌟
冒頭で述べたように、曲独楽🌀づくりは勝負⚡️の連続である。
神経⚡️を研ぎ澄ませ、集中🎯しなければよい作品🌸は仕上がらない。
しかし悲しいことに、齢80を超えると、若い頃と比べ集中力🎯がなくなった😵と感じざるを得ない。
一方で、年相応の味わい✨が身についたように思うのも、また事実🍀である。
いま、自分の30代の頃の作品🌀を見ると、
ずいぶんと無駄なエネルギー⚡️をかけて精密🔧につくっていたと感じる💓ことがある。
いまでは作品の無駄😵を省略し、
本質的✨なところのみを残して、
完成形🌸に近いものがつくれるようになった。😊🎵
しかし、私自身の半生🍀を正直に振り返る↩️と、満足した独楽🌀は1つもなかった。😊
バランス🎵が少しいい独楽はつくったが、完璧👑✨な独楽は一度もない。
常に、
「明日こそは✊、明日こそは✊」
と、前進し👞👞続けて今日☀️を迎えた。
完璧👑✨な作品というのは、肉体的🚶にも精神的⚡️にもピーク🗻に達した時に、
ようやくできるのではないだろうか。☁️☁️☁️
どんな職業🍀でもそうだが、
もうダメだ😵と思ったらおしまいだ。😊🎵
常に強く✊正しく☀️、完成✨に向けて前進👞👞していく他ない。
最近、20代の頃に父親🍀から教えられた、
「いい職人🍀になるための心構え💕」
を思い出す。☀️
「いい職人🍀っていうのは、いい人間🌸じゃないとなれない」
「仕事🍀を一生懸命💓行い、その中で自分の精神⚡️を磨け✨。
そうすれば、立派🌸な人間🍀になれる」
同年代が大学🏫に通い勉強📝している中、
3Kと揶揄されるような現場🍀で汗💦を流していた私に、
単に仕事🍀するだけではなく、
何かを得よう🎵と思って貪欲に仕事🍀に打ち込む💓こと、
それが結局☀️、人間🍀の修業⚡️なのだと諭して🎵くれたのだろう。😊
私もよく弟子🌸たちに言うのは、
職人仕事🍀というのは、我慢するより仕方がないということ。😊
それは、独楽づくりの世界で昔から言われている次の言葉🍀に集約🎯される。
「怠れば転ぶと 弟子へ 師の諭し
独楽も心棒✨、人も辛抱✨」
10歳から轆轤(ろくろ)を使って木🌲の玩具をつくり始め、
職人として、この道70年という歳月を経た今、
最も嬉しい💕ことは、
私以上に、弟子🌸が活躍💕してくれていることである。
現在出回っている曲独楽🌀の大半は弟子🌸の作品だ。
わずか数秒間⚡️の短いドラマ。
それが独楽🌀の世界である。
これからも、自分の納得のいく独楽🌀をつくるために、
ゴール🏁なき道を極め☀️続けたい。😊🎵💕
(「致知」11月号 致知随想 広井政昭さんより)