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曲独楽

2017-10-11 20:54:21 | お話

🎲🎴曲独楽(きょくごま)🎴🎲


扇子や日本刀🔪の上で華麗🌸に独楽を回す🌀曲芸をご存じだろうか。😊

江戸時代🏯に考案され、絶大👑な人気💕を誇ってきた寄席演芸🌸である。

私は木地🌲玩具職人の家系に4代目として生まれ、

木製の玩具🎲をつくり生計🌸を立てる傍ら、
半世紀以上この曲独楽🌸づくりにかけてきた。😊

1980年代から活動🍀が海外🌎に広まり、

私の作品はフランス🇫🇷のルーブル美術館🏤に200点以上永久保存🌸されるなど、ありがたい評価👑をいただいている。

曲独楽🌀の世界は一般的の独楽🌸とは一線を画す。⚡️

形はシンプル✨だが、バランスが命💓であり、

重さを均等にするのは非常に難しく😵、職人の腕💪が試される。

木🌲の素材や木目によって密度🌸が異なるので、ただ丸く削って心棒⚡️を通せばいいわけではない。😊🎵

木🌲と呼吸💨を合わせるようにバランスを見極め👀、

軽い部分には鉛💣を埋め込む。

塗料の塗り方によっても重さが変わるため、丁寧✨に色🎨を重ねて仕上げる✨のだ。

独楽🌸の基本の形は轆轤(ろくろ)で2時間🕑ほどで出来上がるものの、

仕上げ作業にかかる時間は、約1週間🍀。

完成までには、高い集中力🎯と、経験🌸に基づく職人🍀としての勘🌟が求められる。

もちろん、設計図📝はない。

先代である父親🍀からは、

「職人は、目👀の中に物差しを持て」

と繰り返し教えられた。🍀

また、

「曲独楽だけはやるな❗️」

と忠告⚠️し、それを遺言🎵のように残して75歳で亡くなった😇。

難しい上に調子🌸が悪くなるとすぐに調節🍀しなくてはならず、

それでいて、芸人は収入💰が少ない人が多い😵ので、妥当な対価👑が得にくい商売🍀。

自分の貧しい生活🍀を振り返って↩️のアドバイス🎵だったと思う。

そんな中、当時たった1人しかいなかった曲独楽の職人が高齢👴により引退☁️☁️し、

一流の芸人🌸がプラスチック製での代用を余儀なくされていると聞かされた。👂

300年以上続いた曲独楽🌀文化🌸が廃絶💀しかかっている現実🌸を目の当たりにし、

「父親の忠告⚡️を破って💢でも、つくらなければならない✊」

と心💓を決めた。

30歳のことである。😊☀️


そこから2、3年は試行錯誤⚡️の連続だった。

最後の曲独楽🌀の職人🍀は昔気質で、

私が弟子入りを請うても決して受け入れて✋💢くれなかったため、

すべて独学🌸で制作を続けた。

ある時、たまたま遠心力🔄を利用した玩具を手にする機会🍀があり、

独楽のバランス🌈を取る上で非常に大きなヒント🌟を得られたことがある。

何気ない出来事☀️だったが、
必死に考え続けて🌀いたからこそ独楽づくりの発想🍀に生かせたのだろう。😊🎵

つくっては失敗😵し、また作る。

その積み重ね⏫の先に、よい独楽🌀ができるようになっていった。☀️


1983年、48歳の時にはアメリカ🇺🇸からの招聘で、

戦後初めて独楽、凧、羽子板といった江戸🏯職人芸🌸が、海を渡ることになり、

その団長🌸を私が務めた。

その後、毎月☀️海外に行っていた時期もある。

もちろん英語🔡は全く話せない。😵

始めは不安😵が80%を占めたものの、

次第に、好奇心💓が勝るようになり、行く度に発見🌟があった。


例えば、独楽は世界中🌍にあるが、

指先1つで、ここまで精密🔧な仕事をできるのは日本🇯🇵だけであること。

日本🇯🇵の技術力✊の根底には、

戦後の貧しさ😵をバネ🌀に創意工夫🌸を重ねてきた根性✊があること

など、諸外国との文化🌸の違い⚡️に気づかされた。😊🌟


冒頭で述べたように、曲独楽🌀づくりは勝負⚡️の連続である。

神経⚡️を研ぎ澄ませ、集中🎯しなければよい作品🌸は仕上がらない。

しかし悲しいことに、齢80を超えると、若い頃と比べ集中力🎯がなくなった😵と感じざるを得ない。

一方で、年相応の味わい✨が身についたように思うのも、また事実🍀である。


いま、自分の30代の頃の作品🌀を見ると、

ずいぶんと無駄なエネルギー⚡️をかけて精密🔧につくっていたと感じる💓ことがある。

いまでは作品の無駄😵を省略し、

本質的✨なところのみを残して、

完成形🌸に近いものがつくれるようになった。😊🎵

しかし、私自身の半生🍀を正直に振り返る↩️と、満足した独楽🌀は1つもなかった。😊

バランス🎵が少しいい独楽はつくったが、完璧👑✨な独楽は一度もない。

常に、

「明日こそは✊、明日こそは✊」

と、前進し👞👞続けて今日☀️を迎えた。

完璧👑✨な作品というのは、肉体的🚶にも精神的⚡️にもピーク🗻に達した時に、

ようやくできるのではないだろうか。☁️☁️☁️


どんな職業🍀でもそうだが、

もうダメだ😵と思ったらおしまいだ。😊🎵

常に強く✊正しく☀️、完成✨に向けて前進👞👞していく他ない。


最近、20代の頃に父親🍀から教えられた、

「いい職人🍀になるための心構え💕」

を思い出す。☀️

「いい職人🍀っていうのは、いい人間🌸じゃないとなれない」

「仕事🍀を一生懸命💓行い、その中で自分の精神⚡️を磨け✨。

そうすれば、立派🌸な人間🍀になれる」


同年代が大学🏫に通い勉強📝している中、
3Kと揶揄されるような現場🍀で汗💦を流していた私に、

単に仕事🍀するだけではなく、

何かを得よう🎵と思って貪欲に仕事🍀に打ち込む💓こと、

それが結局☀️、人間🍀の修業⚡️なのだと諭して🎵くれたのだろう。😊

私もよく弟子🌸たちに言うのは、

職人仕事🍀というのは、我慢するより仕方がないということ。😊

それは、独楽づくりの世界で昔から言われている次の言葉🍀に集約🎯される。


「怠れば転ぶと 弟子へ 師の諭し

独楽も心棒✨、人も辛抱✨」

10歳から轆轤(ろくろ)を使って木🌲の玩具をつくり始め、

職人として、この道70年という歳月を経た今、

最も嬉しい💕ことは、

私以上に、弟子🌸が活躍💕してくれていることである。


現在出回っている曲独楽🌀の大半は弟子🌸の作品だ。

わずか数秒間⚡️の短いドラマ。

それが独楽🌀の世界である。

これからも、自分の納得のいく独楽🌀をつくるために、

ゴール🏁なき道を極め☀️続けたい。😊🎵💕


(「致知」11月号 致知随想 広井政昭さんより)