🍀この道を歩む🍀①
🔸吉田、こちらは確か、北尾さんから当社に最初にご出資いただいた時に、面談していたいいただいたお部屋ですね。
🔹北尾、あれは5年ほど前でしたね。
🔸吉田、ええ、平成24年でした。
北尾さんのことはそれ以前からよく存じ上げていて、
優れた目利きであるとともに、非常にチャレンジングでパワーのある方だと言う印象を持っていましたから、
ずいぶん緊張しながらお話をさせていただいたのを思い出します(笑)。
🔹北尾、大先輩の吉田さんが、何をおっしゃいますか(笑)。
私はこれまで1,000社以上のベンチャー企業に投資をしてきて、
お目にかかった社長さんは20,000人近いと思いますが、
吉田さんのように69歳で起業なさった方は初めてでした。
しかも、リチウムイオン電池という、最先端の分野に挑戦なさろうというわけですから驚きですよ。
🔸吉田、それでも伊能忠敬なんかは、あの時代に55歳を超えてから日本地図をつくり始めたようですし、
昔からそういう人はいたのだとは思いますけれども(笑)。
🔹北尾、ただ、吉田さんは住友銀行で副頭取まで勤められ、
グループの住銀リースの経営を担われた後、
慶應義塾大学の教授に転身され、今度は起業家でしょう。
この変身ぶりは見事ですし、
その時々に築かれたご人脈、ご縁が次のステージにどんどん生かされている。
大変な強運の持ち主でもいらっしゃると思います。
🔸吉田、65歳です住銀リースの社長兼会長退いた時には、
これで人生も終わりかなという思いも頭をよぎりました。
ところが、たまたま慶應義塾大学の電気自動車を視察する機会がありましてね。
電気自動車は遅いものだと思い込んでいたところが、試乗してみてその加速力に驚いたんです。
これは環境・エネルギー問題を解決する切り札になると考えて
資金集め等の支援を始め、のちに慶應義塾大学に教授として迎えられました。
そして5年ほどやっているうちに、電気自動車を動かすリチウム電池こそが、これからのエネルギーの主役になる。
安全で安価な大型リチウム電池を量産できれば、世界規模のビジネスになると確信したのです。
発電の方法というのは、原発、太陽光、風力などなど、どんどんできてきていますけど、
せっかくつくった電力を蓄積する電池がなければ有効に使いません。
それに、これからは従来のように電力会社の大発電所から電力を供給するばかりでなく、
家庭やオフィスでつくられた電力を電池に蓄積して売買することで、
電力の平準化を図る動きが世界中で起こってくると思いました。
実際に私どものリチウムイオン電池はいま、大和ハウス工業様を中心に20,000件の住宅に設置されていて、
ほとんどが通信で結ばれています。
いまで言うICTです。
出力1キロワットのシステムで換算すると、100万軒結べばだいたい原発1基分の電力供給が可能になりますから、
あと2、3年で蓄電池からの売電が認められるようになるまでに、
いわゆるバーチャル・パワープラント、仮想発電所の役割を担うことを目指しているわけです。
🔹北尾、それにしても、よいところに着目なさいましたね。
リチウムイオン電池と言ったら、今後の日本の国際競争力の要になるくらい重要な分野ですよ。
🔸吉田、最初は自分でやる気はなかったんです。
それで、電池メーカーのトップに順次お目にかかって開発を持ちかけたんですが、
ほとんどは小型電池のメーカーでしたので、
あんな危ないものを大きくはできないと。
リチウムイオン電池は、発火しやすいのが難点なんです。
ならば自分たちでやるかということで、
平成18年に69歳でエリーパワーを立ち上げました。
以来、自分たちが世の中を変えるんだ。
「狂人走れば 不狂人も走る」
という思いで突き進んでまいりました。
🔹北尾、狂人走れば、不狂人も走る、ですか。
🔸吉田、大徳寺ご住職の清巌宗渭(せいがんそうい)という方の言葉でしてね。
世の中というものは、狂ったように夢中で走る人がいると、
それに皆がついてくるようになるものだと。
創業の時、部屋に飾ったこの言葉を見ては、心を奮い立たせてきましたが、
おかげさまで、いまやリチウムイオン電池による蓄電池というのはブームですよ。
🔹北尾、吉田さんは今年80の節目を迎えられたわけですが、
このお年でご自分の事業にかける思いを、こんなに熱く語られる方を、私は見たことがありません。
『三国志』の曹操の言葉に、
「老驥櫪(ろうきれき)に伏すとも、志は千里に在り。
烈士暮年、壮心已まず」
とあります。
駿馬は年老いて馬屋の横木に繋がれても、
なお千里を走ることを思う。
英雄は年老いてなお、遠大な志を失わないと。
吉田さんにお目にかかると、いつもこの言葉が浮かんできます。
やはり事業家で1番大事なことは、
まさに、こういう気概ですよ。
(つづく)
(「致知」11月号 吉田博一さん北尾吉孝さん対談より)
🔸吉田、こちらは確か、北尾さんから当社に最初にご出資いただいた時に、面談していたいいただいたお部屋ですね。
🔹北尾、あれは5年ほど前でしたね。
🔸吉田、ええ、平成24年でした。
北尾さんのことはそれ以前からよく存じ上げていて、
優れた目利きであるとともに、非常にチャレンジングでパワーのある方だと言う印象を持っていましたから、
ずいぶん緊張しながらお話をさせていただいたのを思い出します(笑)。
🔹北尾、大先輩の吉田さんが、何をおっしゃいますか(笑)。
私はこれまで1,000社以上のベンチャー企業に投資をしてきて、
お目にかかった社長さんは20,000人近いと思いますが、
吉田さんのように69歳で起業なさった方は初めてでした。
しかも、リチウムイオン電池という、最先端の分野に挑戦なさろうというわけですから驚きですよ。
🔸吉田、それでも伊能忠敬なんかは、あの時代に55歳を超えてから日本地図をつくり始めたようですし、
昔からそういう人はいたのだとは思いますけれども(笑)。
🔹北尾、ただ、吉田さんは住友銀行で副頭取まで勤められ、
グループの住銀リースの経営を担われた後、
慶應義塾大学の教授に転身され、今度は起業家でしょう。
この変身ぶりは見事ですし、
その時々に築かれたご人脈、ご縁が次のステージにどんどん生かされている。
大変な強運の持ち主でもいらっしゃると思います。
🔸吉田、65歳です住銀リースの社長兼会長退いた時には、
これで人生も終わりかなという思いも頭をよぎりました。
ところが、たまたま慶應義塾大学の電気自動車を視察する機会がありましてね。
電気自動車は遅いものだと思い込んでいたところが、試乗してみてその加速力に驚いたんです。
これは環境・エネルギー問題を解決する切り札になると考えて
資金集め等の支援を始め、のちに慶應義塾大学に教授として迎えられました。
そして5年ほどやっているうちに、電気自動車を動かすリチウム電池こそが、これからのエネルギーの主役になる。
安全で安価な大型リチウム電池を量産できれば、世界規模のビジネスになると確信したのです。
発電の方法というのは、原発、太陽光、風力などなど、どんどんできてきていますけど、
せっかくつくった電力を蓄積する電池がなければ有効に使いません。
それに、これからは従来のように電力会社の大発電所から電力を供給するばかりでなく、
家庭やオフィスでつくられた電力を電池に蓄積して売買することで、
電力の平準化を図る動きが世界中で起こってくると思いました。
実際に私どものリチウムイオン電池はいま、大和ハウス工業様を中心に20,000件の住宅に設置されていて、
ほとんどが通信で結ばれています。
いまで言うICTです。
出力1キロワットのシステムで換算すると、100万軒結べばだいたい原発1基分の電力供給が可能になりますから、
あと2、3年で蓄電池からの売電が認められるようになるまでに、
いわゆるバーチャル・パワープラント、仮想発電所の役割を担うことを目指しているわけです。
🔹北尾、それにしても、よいところに着目なさいましたね。
リチウムイオン電池と言ったら、今後の日本の国際競争力の要になるくらい重要な分野ですよ。
🔸吉田、最初は自分でやる気はなかったんです。
それで、電池メーカーのトップに順次お目にかかって開発を持ちかけたんですが、
ほとんどは小型電池のメーカーでしたので、
あんな危ないものを大きくはできないと。
リチウムイオン電池は、発火しやすいのが難点なんです。
ならば自分たちでやるかということで、
平成18年に69歳でエリーパワーを立ち上げました。
以来、自分たちが世の中を変えるんだ。
「狂人走れば 不狂人も走る」
という思いで突き進んでまいりました。
🔹北尾、狂人走れば、不狂人も走る、ですか。
🔸吉田、大徳寺ご住職の清巌宗渭(せいがんそうい)という方の言葉でしてね。
世の中というものは、狂ったように夢中で走る人がいると、
それに皆がついてくるようになるものだと。
創業の時、部屋に飾ったこの言葉を見ては、心を奮い立たせてきましたが、
おかげさまで、いまやリチウムイオン電池による蓄電池というのはブームですよ。
🔹北尾、吉田さんは今年80の節目を迎えられたわけですが、
このお年でご自分の事業にかける思いを、こんなに熱く語られる方を、私は見たことがありません。
『三国志』の曹操の言葉に、
「老驥櫪(ろうきれき)に伏すとも、志は千里に在り。
烈士暮年、壮心已まず」
とあります。
駿馬は年老いて馬屋の横木に繋がれても、
なお千里を走ることを思う。
英雄は年老いてなお、遠大な志を失わないと。
吉田さんにお目にかかると、いつもこの言葉が浮かんできます。
やはり事業家で1番大事なことは、
まさに、こういう気概ですよ。
(つづく)
(「致知」11月号 吉田博一さん北尾吉孝さん対談より)