hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
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(^_^)私はとっても普通の人です。

gramのパンケーキ

2016-10-27 19:00:49 | 日記
お店が終わって、お茶。
東急スクエアの「gram」のパンケーキ
限定のプレミアムパンケーキ。
ふわふわだわ!

小腹が減ったので、チリビーンズも。

ピリピリくるねー!

世界をよくするレインボーチルドレン

2016-10-27 15:10:58 | お話
🌏🌏世界をよくするレインボーチルドレン🌈👦👧

(🔹矢作直樹さん(元東大病院医師)、🔸稲葉耶季さん(元裁判官)対談🌸)


🔹世界をよく変えていくことに関して、私は今、あることに注目しています。

それは、日本を中心に、非常に霊性の高い

「レインボーチルドレン」と呼ばれる子供たちが生まれてきているということです。

そういう人たちの自然に広まって牽引役になり、

人々の考え方や感覚が変わっていくのだと思うんです。

今の60代や70代の人たちはもう変わりませんからね。

〈*私はそんなことないと思いますよ(英)〉


🔸ああ、1900年代の終わりごろから、少しずつ生まれてきた波動の高い子供たちですね。

最初に生まれてきた「インディゴチルドレン」といわれる子供は、上のほうではすでに25歳を超えています。

🔹そうですね。その下の世代に、「クリスタルチルドレン」がいて、さらにその次の子供はが「レインボーチルドレン」といわれています。

そういう特別な子供でなくても、子供なら意識の壁はないと思うかもしれません。

しかし、その子供たちと話をしていると、

だいたい小学校に入る頃には、もう意識の壁が出来上がっているのがわかります。

レインボーチルドレンにはそれはなくて、明らかに違いますね。

もちろん、われわれは普通の人間なので、いろいろ正攻法でこんなことを言ってますけど、

響く度合いは個々人によって、全く違う感じがします。

レインボーチルドレンのような意識のレベルの高い子供たちが、ある程度の数と年齢になったときには、

否応なく響いて、おそらく社会は変わっていくと思ういます。

(そういう子供たちは増えているのですか)

🔹増えてきているみたいですよ。

🔸見ると赤ちゃんの時からわかります。

🔹全く見ているものが違いますからね。

🔸向こうちゃんと見ています。

全てを見ていますよ。

バードビュー(俯瞰・鳥瞰)というのは、まさにそういう子供たちの視点ですね。

宇宙全体が見られる子供です。

そもそも日本人は昔、そういう霊性が高かったんですけどね。

🔹まさに昔の天皇はそうですし、聖徳太子の時代くらいまでは、みんなそうだったのではないですか。

🔸そう思います。

それで、そういう子供たちが増えないとだめですね。

パーセンテージと人数が。

🔹はいもちろん。

🔸でも、それを待っていたら、…。

🔹ですから、われわれ凡人が普通にやっていく部分と、

そういう人たちが次元の違うレベルでグーッと引き上げていく部分と両方で、同時進行するのはいいと思っています。

🔸そうですね。

普通の人の中でも、そういうことに気づきつつある人間がどういう行動するか、

ということが非常に大事でしょうね。


(レインボーチルドレンは見ればわかるということでしたが、どういう感じですか)

🔹やはり意識は高く、本質的なことがわかっているなということが感じられます。

そういうお役目で現れる子供たちですから。

それこそ「さとり世代」などといわれている、今の欲のない子供たちの一部はそうだと思いますよ。

🔸そうですね。

最近、ショッピングなどしない、物を買わない、持っていない子が増えていますね。

中学生などで。

高度経済成長の時は、なんでもかんでも買って、

部屋いっぱいにしていたけれど、いまは物を買わなくなりましたね。

物に囲まれているのが煩わしいんでしょうね。

そういう子供は、向こうの世界の波動を、この3次元に持ち込んでいる状態ですから、

すごく意識が広く、物資にとらわれていませんね。

見えない世界も含めて宇宙の構造もわかっているし、

植物・動物の意識ともつながっている。

そういう子ですよ。

(会うとわかりますか)

🔸偏狭でなく、オーラなどの見える人が見ると、光が出ているのがわかりますよね。

アスペルガー症候群とかADHD (注意欠陥多動性障害)とかいわれる子の中にたくさんいます。

逆にそうなのです。

(発達障害の子に多いのですか?)

🔸今の物質世界の教育は自然と相反しているので、

それに適応できないために発達障害というレッテルを貼られているだけです。

むしろ、本質的にはそれこそが宇宙の子ですよ。

(発達障害の子に薬物治療が行われていますね)

🔸それは絶対にやってはいけないことです。

親や先生は理解して欲しいですね。

薬などを投与してはダメです。

そのまま受け入れることが大事。

すぐに自分の枠にはめようとして、薬なんてとんでもないですよ。

私はこのことを強調したいですね。

そういう子を病気扱いしないでと。

「おかしなことをいうな」

と言わないでほしいです。

赤ちゃんの頃から2〜3歳、5歳くらいまで、

生まれる前の自分の存在した宇宙の場所、

会った人、存在達の情報をいう子が多いですね。

多くの子供がそうです。

親は、最初はたわ言だと思って

「ああ、そう」と聞いていますが、

幼稚園に行く頃から

「やめなさい、おかしなこと言うんじゃない」

と圧迫し始めます。

彼らにとっては現実なんですよ。

ほんとに経験してることを言っているのに、

ものすごい顔で圧迫されるので、いわなくなります。

自分がこういう力を持っていることが、悪いことだと思い込むと消えていきます。

いかにそういう子が間違っと大人の対応で犠牲になっているか。

(どういうことを言うのでしょうか)

🔸向こうの世界での経験を話したり、

科学的な発明・発見に対する見解を述べたりします。

「え、どうして子供がそんなことを」

というようなことを言ったりします。

それから、レインボーチルドレンを妊娠中のお母さんが、

おなかの中の赤ちゃんからの情報をもらって、

まるで自動書記のように文章を書いていくこともありますよ。

例えば、

「バクテリアの力について、EM菌について」

など、

お母さんは全然知らないのに、

バクテリアがいかに大事かということを、世間で知られる前に書いたりします。

胎児の時から、親を介して表現しているわけです。

せっかくの力ですから、圧迫しないで表現させてと、

声を大にして言いたいですね。

🔹ほんとにそうですね。

🔸家でも学校でも圧迫され、学校で疎外感を覚え、

学校が苦手になる子も多いんです。

親、先生、友達も理解できないで独り人ぼっちの子も。

(そういう子たちは自分が新しい存在だと言う自覚はないのでしょうか)

🔸最初はないので、当然のように自分が知っていることを言うわけです。

「ここにこんなものがある」

というように。

すると、みんなが

「変なヤツ」といい始め、

その否定的な反応がわかって言わなくなっていきます。

すると、能力が抹殺されます。

それでも抹殺されずに持ち続ける子が世界を変えていくでしょう。

周りにそういう子がいっぱいいるはずなので、

圧迫しないようにして欲しいですね。

(レインボーチルドレンではなくても圧迫しないほうがいいですよね)

🔸そうです。

子供が何をいっても、そのまま認めていればいいんですよ。

否定することはありません。

言いたいように言わせて、

したいようにさせておくのが1番です。

ちやほやして特別視する必要はありません。

プラスもマイナスにも偏らずに、普通に大事にしてあげて欲しいですね。

これはとても大事なことです。

🔹そうですね。

そういう子供たちを大事にしながら、私たちも地道にがんばっていく。

そうすると、世界と大きく出なくてでも、

少しずつ世間がよりよく変わっていくのではないでしょうか。


(「あっちの世界、こっちの世界」矢作直樹、稲葉耶季著 マキノ出版より)


ちゃんと、次世代にいい子たちが産まれてきてるんですね。(^_^)

無言館

2016-10-26 15:23:18 | お話
🏤🎨無言館🎨🏤


2012年、宮城県石巻市で、若くして戦没した画学生たちの絵を集めて作った美術館「無言館」の展覧会を行いました。

私は「被災した人々に彼らの絵を見せて何の意味があるのだろうか」と思っていました。

そんな時、災害で娘さんとご両親を失い、

自分の家も工場も流されてしまったある水産加工業の社長さんに、こう言われました。

「津波があったから、私はこの人たちの絵を見ることができたんですね。

今日、来て良かったと思います。

生きていく気になりました」


画学生たちの絵には生きていこうと思わせる力、生きる勇気を与えてくれる力がある。

「無言館」の役割を実感した出来事でした。


昭和19年、フィリピンのルソン島で27歳で亡くなった日高安典さんという方がいました。

「無言館」ができて2年目のこと、日高さんの絵のモデルを務めたという女性が訪ねて来られました。

その方が「無言館」にあるノートに残した文章を読ませていただきます。

✉️✉️✉️

日高安典さん。

私、とうとうここへ来ました。

私、もうこんなおばあちゃんになってしまったんですよ。

だって、安典さんに絵を描いてもらったのは、もう50年も昔のことなんですもの。

今日は決心して鹿児島から1人でやってきたんです。

70を過ぎたおばあちゃんにとっても長い旅でした。

朝一番の飛行機に乗って、東京の人混みに揉まれ、

信州に来て、

そして…そしてこの絵の前に立ったんです。

戦争が激しくなってなかった頃、安典さんは私のアパートによく訪ねて来てくれましたね。

いつの間にかお互いの心が通じあって、

私の部屋で2人、あなたの好きなレコードを聴いていた日々がつい昨日のことのようです。

あの頃は遠い外国で日本の兵隊さんがたくさん戦死しているなんて思ってもいなくて、

毎日、私たちは楽しい青春の中におりましたね。

安典さん、私はこの絵を描いてくださった日のことを覚えているんです。

初めて裸のモデルを務めた私が緊張でしゃがみ込んでしまうと、

「僕が一人前の絵描きになるためには、一人前のモデルがいないとダメなんだ」

と私の肩を抱いてくれましたね。

安典さんの真剣な目を見て、またポーズをとりました。

安典さんに召集令状が届いたのは間もなくのこと。

あの日、安典さんは、いつもと違う目をして言いました。

「自分が女だったなら戦争に行くことはなく

絵を描き続けていられたあろう。

しかし、男に生まれたからこそ

君に会えて、この絵を描けたのだ。

だから僕は幸せなのだ」

と。


昭和19年夏、

「できることなら生きて帰ってまた君を描きたい」

と言って、あなたは出征していきました。

実はあの頃、私は故郷に両親のすすめる人がいたのです。

でも私は安典さんが帰ってきて、

また自分を描いてくれるまで、

いつまでも持ち続けようと自分に言い聞かせました。

それから50年、ほんとにあっという間の歳月でした。

世の中もすっかり随変わって、戦争もずいぶん昔のことになりました。

安典さん、私こんなにおばあちゃんになるまで、

とうとう結婚もしなかったんです。

1人で一生懸命生きてきたんですよ。

安典さん、あなたが私を描いてくれた "あの夏" は、

私の心の中で、今も、 "あの夏" のままなんです。


✉️✉️✉️


1999年8月15日の文章です。

遠いところですが、どうぞ「無言館」に一度お越しください。


(「みやざき中央新聞」戦没画学生慰霊美術館「無言館」館長 窪島誠一郎さんより)


これ、二回読むと、涙が出ます。