未来への

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牛天神北野神社

2018-03-05 16:26:52 | 神社・仏閣
文京区の安藤坂付近に30数年いたわりには牛天神北野神社を知りませんでしたので久しぶりに安藤坂へ出かけました
神社は高台にあり細い道に入らないと神社への階段には出会わないので気付かなかった様です
この階段に紅梅が被り神社への雰囲気が盛り上がります
境内には大きな石が有り源頼朝が腰を下ろして休んだ石と案内されています
この石に願いを込めて触れると何でも叶うともあります
神社の裏に牛坂と云われる坂道が有り昔は安藤坂の下迄湾で源頼朝が東国追討の際に船をこの台地の松に繋ぎ止めたと有りましたので源頼朝がこの地に立ち寄ったのは有りでしょう
この後、傳通院 寿経寺へ足を向けます
広い境内では小学生が遊び廻っており昔の雰囲気です。案内板を見ると徳川家康公の生母於大の方(法名傳通院)を始め徳川家の女・子らの墓が多数ある様なので墓地へ
直ぐに於大の方の墓が有りました。デカいと云う感じで近くには千姫の墓も有りましたがこちらは広いと云う感じです。この他にも多数徳川家の墓が有りましたが、11代将軍家斉23男の墓と凄い子沢山の将軍が居たようです
他は思想がハッキリしないので個人的に好きでない男で、麻布でテロに会い斬首された 清河八郎 の小さい墓が有りました。
と近くに居ても歩かないと知らない事が有るものと分かりました





香取神社梅まつり

2018-02-27 17:26:29 | 神社・仏閣
亀戸天神から光明寺を経て小村井香取神社の梅まつりへ向かいます
神社の伝によると平安時代に千葉の香取郡から6軒が開拓に移住してきて氏神様として鎮守したのが始まりだそうです。またこの地の小村井には昔梅園が有ったそうですが天災で梅園を失ったそうです。今は梅屋敷と云う地名が残ってるとか
5差路の角に梅がはみ出して見え直ぐに神社を確認できました。
多数の紅梅、白梅が植えられた今は香取神社の境内に香梅園が造られ120本の梅が咲いてるそうです
大きな石の門柱を抜けると綺麗に手入れされた梅林が見事です
梅の花は小さいので画像にするには難しいのですがここの梅は花が密集しており安心して撮ることができます。
梅林の散策路が有り目の前に梅が咲き誇り香りと共に一時の幸せを感じます
曇り空で画像が重く感じますがそれも又いいものです

本殿は60年前の総桧造りで落ち着いた感じの神社を後にして小村井駅へ初めて乗る東武亀戸線に向かいます。電車は2輌編成で色は濃い緑で関西で見た色に似ていました
曳舟駅で乗り換え浅草で天ぷらを購入して歩行距離8Kmの散歩でした。





亀戸天神・菜種御供祭

2018-02-26 17:03:38 | 神社・仏閣

25日は菅原道眞公がお亡くなりになった日にあたり、” なたね ” が ” なだめ ”に通じることから、
神前に菜の花をお供え、慰める神事が亀戸天神で行われました。
浅草から歩きスカイツリーを過ぎ十間橋から右折して行けば50分程で着きました。
折から梅まつりも始まり梅も開花していました
菜の花と梅の花こんな行事が有ったんですね

「梅まつり」情報  開催期間:2月4日(日)~3月4日(日)
でなんたって 
「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」
菅原道真公が太宰府への左遷直前に詠まれた有名な句で
道真公を追って梅が太宰府まで飛んでいったと言い伝えられている
(飛梅伝説)
約300本の梅の花が境内所狭しと咲きはじめました。
この後もう1件梅まつりの会場へ向かいます



喉が渇いたので駐車場の自販機でホットココアを購入して隣のお寺の境内で
立ち飲みしながら地蔵堂を覗き
周りの戦災慰霊等をみていたら反対側に見た事が有るような大きな石の灯篭が
有りました。気に成ったので側に行き灯篭の文字を見ると
”越後国新發田
 溝口”
と読めました。新発田の溝口なら殿の石灯篭では、この寺との関係はと思い
正面に向かいお寺名を確認して”亀命山 光明寺”で検索したらどうやら
新発田藩主溝口宣広奉納の寛永寺旧蔵石造燈籠
でしたが何とここで出会うとは偶然とは云え何の因果でしょうか
そういえば前夜のTVで溝口宣広が造営した清水園の茶室が話題になっていました


千束稲荷神社・地口行燈

2018-02-21 17:20:00 | 神社・仏閣
三ノ輪駅近くの千束稲荷神社は樋口一葉の胸像が有り、「たけくらべ」にお祭りの様子が描かれているという一葉と関係の神社とされています
2月の初午祭には百灯あまりの地口行燈が飾られ灯りが灯されますが寒いので昼に行きました。。
 地口とは駄洒落のことで、行燈に駄洒落の絵と文句を描く一コマ漫画です。昔は江戸中どこの稲荷神社でも見られたそうですが地口絵を描く職人が少なくなり、ほとんど見られなくなったとか。浅草寺の伝法院通りの街灯は今風の地口行燈になってます。
この初午祭の地口行燈と幟旗を掲げる風習が守り伝えるられるのは素晴らしい事と思います。初午祭は二の午の日に行われてます




ここで伝法院通りの一句
(地口) 大かぶ小かぶ 山から小僧が 抜いてきた
(元)   大寒子寒 山から小僧が 泣いてきた