私自身そうなのですが、複雑な心情や表現をする言葉を使わなくなっている気がします
なにもわかりにくい言葉をわざわざ使わなくても言葉は通じると思うのですが
語彙力が乏しいという事は思考力の乏しさにも繋がるように思います
人は言葉で気持ちを伝え、考えを整理しています
先日、ある演説番組を見ました
英語で一つのテーマに付いて一人の方が演説するのです
ご覧になった方もいらっしゃるかと思います
今回、私が見たのは 心のフィルターと通して物を見ている という話です
ある、複雑な表情をした人の写真を見せて、『どう見えますか?』と聞きます
すると、様々な解答が返ってきます
嬉しそう、恥ずかしそう、悲しそう、困っていそう・・・
なぜ答えがバラバラになるのか?
それが心のフィルターだという話でした
主観が物の見方を変えるというわけですね
なぜこの話をしたかというと、語彙力の不足は感情をタイトにしてしまうような気がするからです
人間の感情や思考は本来とても複雑です
白か黒で決まる訳ではありませんし、微妙な違いを意識するのは日本人の特徴でもあるでしょう
例えば いじらしい や したたか という言葉
現代っ子はまず使う事がないのかもしれません
しかし、こうした場面に出くわした時、どう表現するのでしょう?
いじらしい振る舞いをしている人を目にしたとき、
したたかさを目にしたとき、どう感じどう対処するのでしょう?
心のフィルターを通して見ているのだとしたら
さらに
そうした振る舞いをどう捉えるのか?というそもそもの言葉を持っていないとしたら?
考えるだけで、なんだか憂鬱な気持ちになってきますね
自己表現や思考力だけでなく、寛容さなど第三者に対しても変わってきますよね
語彙力は単に学力や知識だけの話ではありません
生活の中から常に豊かにしていく事が大切ですね
しかし、私も冒頭に書いたように私たち自身、こうした言葉から離れつつあります
なので、半強制的に学習という手段で学ぶ必要があるのだと思います
語彙力を単に国語の授業としてみていてはダメなんですよね
ぜひ、家庭学習の中に語彙力を増やす学習を意識して組み込んでいって欲しいと思います