横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

アパートの鍵貸します

2010-11-03 19:49:09 | 映画・テレビ
アパートの鍵貸します 1960年(アメリカ) 日本公開1960年10月8日


 午前十時の映画祭、横浜での第2週目の作品。
 監督ビリー・ワイルダー。1960年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など6部門を受賞した(Wikipedia)。自分にとっての映画ベストテンは、若い頃と今では変わってきているし、いつも同じではありませんが、この映画は現在のベストテンの中に、確実に入る1本です。主人公はどこにでもいるような、と言うより、どちらかというとみじめな立場の男女なのに、何でこれほどロマンティックで魅力的なコメディになったのでしょう。

 第一は、監督脚本のビリー・ワイルダーの手腕です。完璧な脚本というものが存在するとすれば、この映画の脚本がそれです。全く無駄な会話や説明はなく、ユーモアとペーソスに満ちたひとつひとつのエピソード、見事としか表現できないような小道具(ひび割れた鏡、シャンパン、レコード、そしてもちろん鍵)の使い方、随所にちりばめられた伏線の生かし方で、主人公たちを表現していきます。脇役たちもよし、音楽の使い方もよしです。重要な脇役のひとり隣人のドレイファス医師が、主人公に向かってメンシェ(人間)になれ、と言いますが、ラストで主人公はそうなります。人間の幸福とは何か、しみじみとほのぼのと、感じさせてくれる映画です。

 ビリー・ワイルダー、オーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ系。ナチスの台頭でアメリカに亡命してきました。脚本家からスタートし、長い間多くの傑作を撮ったワイルダーにとっても、1950年代から60年代初頭が全盛期と思われ、この映画はやはり彼の代表作でしょう。彼は「私は芸術映画は作らない。映画を撮るだけだ」と語っていたそうです。ヒッチコック、ジョン・フォードたちと同様、そのただ「映画を撮るだけ」にあふれる才能のすべてをつぎ込んで、結果として後世に残る多くの傑作が生まれました。今回の50本では、もう1本、マリリン・モンロー、ジャック・レモン、トニー・カーチスの、”お熱いのがお好き”(1959)が入っています。

 もちろん、主演ふたりの魅力がなければ、この映画はなりたたなかったでしょう。

 シャーリー・マクレーンは、ヒッチコックの”ハリーの災難”のヒロインでデビュー。弟はウォーレン・ビーティ。この映画と、ジャック・レモン、ビリー・ワイルダーと再び組んだ”あなただけ今晩は”(1963)、そして”走り来る人々”(1958)と3度アカデミー主演女優賞にノミネートされ、後年”愛と追憶の日々”(1983)でついに主演女優賞を受賞しました。彼女の魅力はよくコケティッシュと表現されていますが、私は外見の粋な感じとはうらはらの、内面の真摯さの方を強く感じます。この映画では特にそうでした。”愛と追憶の日々”以降は、もうおばあさんになっているのですが、いずれも個性の強い、まさにあの若いころのシャーリー・マクレーンが年を重ねたらこうなるだろうという役で、多くの映画に出ています。
 親日家でもあり、娘さんのサチ・パ-カ-のサチは日本語の”幸”で、映画評論家の故小森和子さん(小森のおばちゃまを知っているのは、何歳ぐらいのまでの人なんだろう)が、命名したそうです。日本語が堪能なサチ・パ-カ-は、最近日本映画”西の魔女が死んだ”(2008)などに出演しています。


 ジャック・レモンは、戦後アメリカ映画最高の喜劇俳優と言われた、というのは大げさにしても、我々の世代がテレビの洋画劇場で、愛川欽也さんの吹き替えとともに、最初に名前を知ったアメリカの喜劇俳優だったと思います。それほど多くの有名な喜劇映画に出ていた、そしてアカデミー主演賞(Save the Tigar(1973))、助演賞(ミスタア・ロバーツ (1955))両方を取ったことのある彼にとっても、代表作はやはりこの”アパートの鍵貸します”でしょう。

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