ローマの休日 1953年(アメリカ) 日本公開1954年4月19日
横浜第9週の上映。映画ファンならずとも誰でも知っている映画なので、いまさらと思われるかも知れませんが、オードリー・ヘップバーンは、私が映画ファンになったきっかけになった女優さんなので、はずせません。
オードリー・ヘップバーンは、イギリス人の父とオランダ人の母の間に、ベルギーで生まれ、10歳でオランダに移住、バレリーナを目指していました。戦争中はナチスに対するレジスタンス運動に寄与していたのも有名です。この映画のアン王女役に抜擢されて、一躍スターになり、数々の映画に主演し、日本でも本当に数多くのファンがいました。私にとっては、ひとつひとつのすべての作品に思い入れがあり、書ききれません。癌を患いアメリカで治療を受けていましたが、死期を悟って家族と暮らしたスイスの自宅にもどり1993年に亡くなりました。私は、一番好きな女優は誰かと聞かれたら、今も、おそらく今後もずっと、オードリー・ヘップバーンと答えるでしょう。
この映画には、彼女の魅力が見事に表されています。演技というより、彼女の内面がそのまま現れているようです。気高い精神が愛らしい容姿に宿る、彼女自身が本当の王女であるような気さえします。他のどの映画のどの役でも、彼女は彼女自身でした。彼女はどんな役をやっても、常に王女だったのです。それは女優としては決して長所とは言えませんが、しかし、ファンは彼女を見に行くのであって、映画の出来不出来は関係ありませんでした。その中で、この彼女のハリウッドデビュー作は、脚本、演出、撮影、配役、舞台となったローマを含めて完璧で、彼女の資質と役がぴったり一致した、幸せな作品だったといえます。
監督は巨匠ウィリアム・ワイラー。フランス生まれのユダヤ系。私の好きなハリウッド映画の監督たち、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー(ふたりは名前が似ていますね)、そしてヒッチコックは、考えてみると皆アメリカ生まれではありません。世界の才能を集めてしまうのが、アメリカの強みです。
ワイラーは、"ミニヴァー夫人”(1942)、”我等の生涯の最良の年”(1946)、”ベン・ハー”(1959:50本の1本)の3回アカデミー監督賞受賞。オードリー・ヘップバーンとの映画は他に、”噂の二人”(1961:シャーリー・マクレーンと競演) ”おしゃれ泥棒”(1966)があります。彼の作品は、ラヴ・ストーリーあり、西部劇あり、歴史劇あり、文芸映画あり、サイコ・スリラーあり、ミュージカルあり、戦意高揚映画あり、社会派ドラマありと、広いジャンルに渡り、そのすべてで名作を生んでいるのには感嘆します。
原案・脚本はダルトン・トランボ。もっとも、それが正式に公表されたのは1990年代になってからです。この脚本を執筆した当時のトランボは、赤狩りでハリウッドを追放されており、他人の名義を借りて発表されました。議会での証言を拒否したというだけで禁固刑に処され、社会の敵というレッテルを貼られ、仕事の機会も奪われ、悲惨な状況下にあったトランボが、現代のおとぎ話とも言える美しく緻密な脚本を仕上げたのです。トランボはその後も別名で脚本を書き、ようやく実名で発表できるようになったのは、キューブリックの”スパルタカス”(1960)からとのこと。晩年の”ジョニーは戦場へ行った”(1971 )、”パピヨン”(1973:50本の中の1本)、”ダラスの熱い日”( 1973)は封切り時に見て、私にとってそれぞれ思い出のある作品です。
あまりにも有名な映画なので、これ以上言うこともないと思いますが、誰も言っていないことをひとつだけ。愛する人への執着心を断つことが必要なときにそれができた者が、相手を不幸に陥れることを免れ、自分の精神を高めることができるというのが、カサブランカにもフォロー・ミーにも共通するテーマです。それができないと、ダースベイダーのように、ダークサイドに堕ちてしまいます。愛と執着は全く別のものなのです。
余談ですが、今週の大河ドラマ龍馬伝のタイトルが”龍馬の休日”でしたが、明らかにこの映画のタイトルのもじりです。龍馬伝は見ていないので内容は分かりませんが、脚本家か制作者が、この映画のファンなのかも知れません。
横浜第9週の上映。映画ファンならずとも誰でも知っている映画なので、いまさらと思われるかも知れませんが、オードリー・ヘップバーンは、私が映画ファンになったきっかけになった女優さんなので、はずせません。
オードリー・ヘップバーンは、イギリス人の父とオランダ人の母の間に、ベルギーで生まれ、10歳でオランダに移住、バレリーナを目指していました。戦争中はナチスに対するレジスタンス運動に寄与していたのも有名です。この映画のアン王女役に抜擢されて、一躍スターになり、数々の映画に主演し、日本でも本当に数多くのファンがいました。私にとっては、ひとつひとつのすべての作品に思い入れがあり、書ききれません。癌を患いアメリカで治療を受けていましたが、死期を悟って家族と暮らしたスイスの自宅にもどり1993年に亡くなりました。私は、一番好きな女優は誰かと聞かれたら、今も、おそらく今後もずっと、オードリー・ヘップバーンと答えるでしょう。
この映画には、彼女の魅力が見事に表されています。演技というより、彼女の内面がそのまま現れているようです。気高い精神が愛らしい容姿に宿る、彼女自身が本当の王女であるような気さえします。他のどの映画のどの役でも、彼女は彼女自身でした。彼女はどんな役をやっても、常に王女だったのです。それは女優としては決して長所とは言えませんが、しかし、ファンは彼女を見に行くのであって、映画の出来不出来は関係ありませんでした。その中で、この彼女のハリウッドデビュー作は、脚本、演出、撮影、配役、舞台となったローマを含めて完璧で、彼女の資質と役がぴったり一致した、幸せな作品だったといえます。
監督は巨匠ウィリアム・ワイラー。フランス生まれのユダヤ系。私の好きなハリウッド映画の監督たち、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー(ふたりは名前が似ていますね)、そしてヒッチコックは、考えてみると皆アメリカ生まれではありません。世界の才能を集めてしまうのが、アメリカの強みです。
ワイラーは、"ミニヴァー夫人”(1942)、”我等の生涯の最良の年”(1946)、”ベン・ハー”(1959:50本の1本)の3回アカデミー監督賞受賞。オードリー・ヘップバーンとの映画は他に、”噂の二人”(1961:シャーリー・マクレーンと競演) ”おしゃれ泥棒”(1966)があります。彼の作品は、ラヴ・ストーリーあり、西部劇あり、歴史劇あり、文芸映画あり、サイコ・スリラーあり、ミュージカルあり、戦意高揚映画あり、社会派ドラマありと、広いジャンルに渡り、そのすべてで名作を生んでいるのには感嘆します。
原案・脚本はダルトン・トランボ。もっとも、それが正式に公表されたのは1990年代になってからです。この脚本を執筆した当時のトランボは、赤狩りでハリウッドを追放されており、他人の名義を借りて発表されました。議会での証言を拒否したというだけで禁固刑に処され、社会の敵というレッテルを貼られ、仕事の機会も奪われ、悲惨な状況下にあったトランボが、現代のおとぎ話とも言える美しく緻密な脚本を仕上げたのです。トランボはその後も別名で脚本を書き、ようやく実名で発表できるようになったのは、キューブリックの”スパルタカス”(1960)からとのこと。晩年の”ジョニーは戦場へ行った”(1971 )、”パピヨン”(1973:50本の中の1本)、”ダラスの熱い日”( 1973)は封切り時に見て、私にとってそれぞれ思い出のある作品です。
あまりにも有名な映画なので、これ以上言うこともないと思いますが、誰も言っていないことをひとつだけ。愛する人への執着心を断つことが必要なときにそれができた者が、相手を不幸に陥れることを免れ、自分の精神を高めることができるというのが、カサブランカにもフォロー・ミーにも共通するテーマです。それができないと、ダースベイダーのように、ダークサイドに堕ちてしまいます。愛と執着は全く別のものなのです。
余談ですが、今週の大河ドラマ龍馬伝のタイトルが”龍馬の休日”でしたが、明らかにこの映画のタイトルのもじりです。龍馬伝は見ていないので内容は分かりませんが、脚本家か制作者が、この映画のファンなのかも知れません。