大阪府と京都府の境にある洞ヶ峠
近代的な街並みを控えてこの地点だけはなぜだけ風流!
あんこいっぱいの大きな『ぼたもち』 最高でした。
由緒ある峠です。ちょっと足を延ばすと興味深い歴史に触れることが出来ます。
wikipediaより
”本能寺の変の直後に主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山城国山崎において激突した(山崎の戦い)。
この時、明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも
、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説があったため、日和見する事を洞ヶ峠あるいは洞ヶ峠を決め込むと表現する事がある。
この伝説は史実に反しており、筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったと言われている。