もう10年ですか。
あの日の事で覚えてるのは、甥っ子から ” 電車が止まって帰れないから迎えに来て ”
ってメールで隣の市の駅まで迎えに行ったことですかね。
停電も一瞬だったし、その後も普通に店開けてたような気が。
WATAセンセーの奥さんの実家が釜石だったから、安否どうなの? なんてメール送ったり。
ウチの方は計画停電もしなかったから普通に日常してたような。
近い将来、来るであろう首都直下や東南海地震への備え・心構えも出来てないし、
どうなるんでしょうかね。
でもダメなんです。 のんき者のボクは
“ なるようにしかならない ”
ダメなんです、コレばっかりは ・ ・ ・
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そう 大変さは当事者じゃないと分からない苦労だったんだと思います。
ただ東日本大震災の時は
県民性と言うか、地域性と言うか、
皆さん声高に大変さを主張したりしなかったのが、
多くの人の共感と言うか、
何かしてあげたいと思う
心が芽生えたんじゃないかと。
まぁ 何処と比較してって訳じゃありませんが ・ ・ ・
うちは、やられました、一日2回のことも。
まだ寒い時期でツラかったです。
一度目の手術後に自宅で療養していた時期で、
寒いし、品薄でスーパーに並ばないといけないし。
でも東北に比べれば何でもなかったんですよね。