おはなし おじさん の徒然日記

2015年7月からブログタイトルを「失業おじさんの徒然日記」から変更しました。日々の出来事、妻の花の写真を記録します。

桑の実うどん

2015-05-31 | その他
このところ桑の実のシーズンで先日も桑の実ジャムを作ってもらった。
桑の実ジャムをヨーグルトに入れた時のきれいな紫色を見て、うどん作りを思い付いた。
桑の実の水分のせいで成形に苦労したけれど、妻の助けを借りてなんとか仕上がった。
ゆでてもらうと・・・・



きれいな紫色のうどんが出来た。
香り、味の面では桑の実の感じは出ていないけれど、色だけはよく出ている。
ヨモギの緑、普通の白などと一緒に作れば3色うどんで良いと思うけれど・・・・
妻は また作りたいとは思わない とのこと




キウイ

2015-05-25 | その他
今年もキウイの花の咲く時期が雄木と雌木でずれてしまって、雌花の方が先に咲き終わってしまった。
今年も駄目だったかと、あとから咲いた雄木の花粉を来年のために集め冷凍保存した。

改めて見てみると結構たくさん実がついている。
みんな落ちてしまうのだろうと思っていたが、今年はそのまま成長している。
明らかに雄花が咲く前に咲き終わっていた雌木なのだけれど結実するなんて不思議だ。
このまま大きくなって収穫できると良いなあ。


原田マハ

2015-05-24 | こんな本読みました
NHKラジオで土曜日の朝に「ラジオ文芸館」という番組を放送している。
NHKアナウンサーが各種の短編を朗読する番組で、毎回終わると感じ入ってしまう。
先日の「無用の人」も良かったので調べてみると、
原田マハ原作とのことでその作品が収録されている「あなたは だれかの 大事な人」という本と、



日本ラブストーリー大賞の第1回大賞受賞作の「カフーをまちわびて」

という本の2冊を立て続けて読んだ。
どちらも素敵な内容で楽しめた。

「あなたは…・」の中で読んだアボカドのスープに心惹かれてネットでレシピを探して、先日作ってみた。
とてもきれいな黄緑色の濃厚なスープだった。





東京みなと祭り

2015-05-23 | その他
東京みなと祭りというイベントに行ってきた。
会場には開場前に到着した。
目的はこの日に海上自衛隊の護衛艦の公開があったのでその見学だ。

かっこ良い!



こちらは速射砲

1分間に80発発射できるということだ。
あらかじめ80発を装填しておけば自動装てんされるとの説明だった。
すごいなあとも思ったが、だったら、1分間発射したら、次の80発を手で装填した後じゃないと次の発射が出来ないのかなとも思ってしまった。

こちらはアスロック


8発用意してあって、2発ずつ発射されるとのこと。
ということは4回発射するとアウト?

外ではマスコットキャラクターが活躍中!。
この中にもきっと広報担当の自衛官が入っているのだろうなあ。



このほかにも浚渫船、測量船、東京海洋大学の練習船などを見学した。は明らかに違った。
こちらは東京海洋大学の練習船。

でかいビルを船に取り付けた感じ。
居住スペースが多い印象だ。
これらの民間船と護衛艦はやはり違いがあって、階段の角度、踏板の幅が違っていた。
護衛艦の方は階段の角度は急で、踏板の幅も狭い。

会場を一通り見た後、場所を移動し、羽田空港に行って旅客機の発着を眺めてきた。
未来都市のような第2旅客ターミナル内部。


親子連れ、カップルがいっぱい見ていた。

本当は飛行機の格納庫の見学をしたかったが、かなり前に事前申し込みをしておかなければならなかったので、残念ながらできなかった。

バラ

2015-05-15 | 
新聞に愛宕トンネル跡地のバラの紹介がされていたので妻と出かけた。
ちょうど見頃だった。
他にも見に来る人がひっきりなしに訪れていた。



三尺藤

2015-05-11 | 
新聞に山梨市牧丘町の藤の紹介記事があったので、見物に出かけた。

到着すると車が5台ぐらい止まって、賑わっている。
確かに丈の長い藤が見事。



のれんをくぐるようにして棚下を進む。


個人のお宅のもので、この時期は一般に開放しているとのこと。
このお宅の作業場らしきところの窓からは、いながらにして目の前に見事な藤、


そして目の焦点を遠くに向けると…
これまた見事な富士!


立派なものでした。

私たちのすぐ後には観光バスが横付けされて観光客が下りてきた。
なんと長野県からのお客さんだった。

母の日プレゼント

2015-05-10 | 
今日は母の日とあって、娘二人から花が届いた。
長女からはフラワーアレンジメント


次女からはバスケット入りの鉢花。


それぞれ、花好きの妻のために送ってくれたものだ。
妻は花を眺め、「それぞれ二人の娘らしい花。幸せだなあ。」と感謝していた。