折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

中国の情人節

2017年02月15日 | 中国の想い出


「お土産のチョコと これもいただいた手作りケーキ」


昨日2月14日は、いつからか?バレンタインデー。

ふーん・・・と思いながら、いいただきもののチョコレートを供えて、食べるのは私。

15年ほど前、中国で学生たちに「奥さんは若い時 情人節はどう過ごしましたか?」と
興味津々の顔で聞かれました。
「私の若い頃バレンタインデーなんてなかったです」と‥‥皆さんがっかり拍子抜け。

その頃の中国では男性から花やカードを贈り一緒に過ごすのだと言いました。
今の中国の若者はどう過ごしているのでしょうか。
中国のバレンタインデーは「情人節」 情人とは恋人の意味。
愛人とは配偶者で、私は夫の「愛人」、夫も私の「愛人」なんです。


「歩道で拾った実」

☆ しばらく 木曜、金曜日はブログお休みします。



蘇州からの電話

2017年01月04日 | 中国の想い出
 レンガ工場

毎年、元旦に夫の教え子Y君から新年の電話がかかってきます。
もう16,7年前中国安徽省の学校で夫が日本語を教えた頃の生徒です。
夫が亡くなったと知らせた後も「奥さん元気ですか」と今年も電話をくれました。
今は蘇州で就職、結婚して日本に出張で来ることもあり我が家で
泊まっていったことも。

電話の後、久しぶりに当時を思い出していました。
安徽省蕪湖市の町はずれにある学校周りはまだあまり開発されず
幹線道路のほかは長江が運んできた細かい土埃の立つ道でした。
水田やアヒルの泳ぐ小さな池、レンガ工場と小さな集落と学校があるばかり。
そんな道の脇でスケッチしたのが今日の2枚です。

はじめて行った中国、絵を描いていると子供たちに取り囲まれ
話しかけられても何もわからない。とても残念!
1ヶ月して私だけ日本に帰りるとカルチャーセンターの中国語教室に
入りました。3ヶ月で話せるわけはないのですが、半年後に蕪湖市へ
行った時には単語だけ並べて子供たちと少しは通じて楽しかった!

言葉は大切だと実感したのに、私の中国語はそれ以上にはならず仕舞い。
そんな懐かしい事を思い出させてくれたお正月の電話でした。

絵の風景は今ではすっかり変わってしまったようです。 

 合肥への道 </font

中国の「先生の日」

2016年09月10日 | 中国の想い出


9月10日は中国の「教師節」…「先生の日」です。

生徒が先生にカードや皆で出し合って買った品物を送ったりします。
先生の日以外にも誕生日、クリスマス、新年、卒業などきれいな市販のカードに
寄せ書きしたりしてよくいただきました。

日本人の先生方は「日本と比べたら中国はいつでも教師の日だ」
と言われるように大切にされていました。
夫が5年もの間中国に滞在したのは余程居心地が良かったのでしょう。

多くの国で独自に「先生の日」を決めています。
1994年ユネスコでは10月5日を「世界教師の日」と定めたそうです。
私が知らないだけなのか、日本では聞いたことがないような・・・。

中国の「重陽節」・「敬老節」

2016年09月09日 | 中国の想い出


夫と中国に滞在していたとき日本語科の学生が
 「9月9日は重陽節で敬老節です」
 「邪気を払うため菊のお酒を飲んだり花を飾ったりするのです」
と説明してくれました…日本語の勉強でもあるのでちゃんと聞きます。
その話を聞いたのは20年ほど前、当時は「敬老節」でしたが現在は「老年節」です。
私的には「敬老節」のほうが好きですが・・・。

日本の今年の「敬老の日」は9月19日。
 昭和20年代に地方で「年よりの日」が始まりました。
 昭和38年「老人の日」として祝日に。
 昭和41年「敬老の日」と変更。
ここまでは9月15日でした。
 平成15年 ハッピーマンデー制度で第3月曜に変更。
お役所が率先して使うカタカナ言葉が好きではありません。

私の頭は「敬老の日」は9月15日でしょ! と思ってしまいます。
毎年変わるので「今年はいつ?」とカレンダーで確かめることになりました。


中国由来の「重陽の節句」平安の頃には貴族の宮中行事とし行われていたと言う事です。
今、私の身のまわりでは和菓子屋さん、酒屋さんの広告で見るくらい。
あまり聞かれなくなりました。




万里の長城東の端・中国の思い出

2016年08月08日 | 中国の想い出
「老龍頭」

1999年、中国に赴任する夫に短期同伴者として1ヶ月同行しました。
外国国家専家局の招聘を受けての赴任という形なので100名ほどの方達と共に歓迎行事に
続いての2泊3日の旅行がありました。

その時訪れたのが万里の長城東の起点と言われた渤海に突き出た要塞「老龍頭」
当時はそこが長城の東の端と認定されていたのです。
その後発掘、再建などを経て2009年から遼寧省丹東市にある「虎山」が最東端に認定。


近くにある河北省の避暑地「北戴河・ほくたいが」に2泊して海水浴なども楽しみました。
北戴河は中国要人が集まる夏季政治の舞台「北戴河会議」の開かれる場所です。
今年も会議が開かれていると8月7日の新聞で読み、懐かしくなりこのブログを書いています。

海水浴場は専家局専用のビーチ、着替えなどの小屋には温水シャワーも完備しているし
ごみ一つない浜はさすがお役所の施設と感心したものです。
遠くの海岸はビーチパラソル等にぎやかなので一般用ビーチだったのかも。

渤海の水や砂浜は・・・愛知県の海水浴場と変わらないなぁって感じでした。

砂浜で中国最初のスケッチ

桂林で困ったこと・中国の思い出

2016年08月06日 | 中国の想い出
興坪バスターミナル

夫と二人の個人旅行、そしていつも節約旅行。
ホテルはあまり日本人は泊まらない安いところなので日本語はもちろん夫の英語も分かって
もらえないことが多くて、交渉するのは一仕事。

ある時は夫の入浴中に停電になり浴室からは「直してもらってくれ!」と夫の声。
英語も中国語もわからない私はどうするの…先ずはフロントへ、でも忙しくて取り合って
もらえない。仕方がないので入り口で立っていたドアボーイの袖を引っ張って身振りと日本語で
「電気が消えたから来てください」
もち場を離れたくなドアボーイを無理やり連れて部屋に行くと一目瞭然、一挙解決!
こんな時は、おばさん力が一番!
修理の人がやってきた。「修理」は中国語も同じ漢字で「シュウリー」です。


バスターミナルでのこと。近くの名所へ行くバスの時刻を聞いても教えてもらえない。
でも、すでに乗客は乗っているしバスは出ると言うし。
しばらくしてようやく分かったのは、乗客が一杯になれば出発と言う事。
だから時刻はわからないのだと。「流水発車」だそうな、それが理解できるまでのイライラ・・・。


最終日は桂林空港発11:20の飛行機を予約してあるのにこの時間に間に合う、陽朔から空港までの
バスがないことがわかりえっ!!!大連の旅行社で聞いた時はあるって言ってたのに・・・。
今ならネットですぐ調べられるのですが、あの頃はまだ私達にはできなくて。
ごちゃごちゃ交渉してホテルの車で空港まで行ってもらうことになりましたが、一時はどうなるかと。
車は猛烈に飛ばして、私達はシートにしがみついて風景に名残を惜しむ余裕などなく空港到着。
おかげで飛行機には十分間に合って、飛行機の窓からやっと山々にお別れしました。


こうしたドキドキ ハラハラしたことの方が懐かしく思い出すことが多いのです。


桂林の街

桂林 興坪・中国の思い出

2016年08月05日 | 中国の想い出
興坪の町

漓江下りの途中にある小さな街「興坪」背後に独特の山並みがそびえ、古い街並みが残り
中国の田舎町らしい雰囲気を感じる街です。
ガイドブック「地球の歩きかた」にここからの眺めがお勧めと有ったので是非にとバスで
陽朔から40分ほどの興坪へ行きました。
興坪の小さな港近くからの眺めはまさに絶景!中国の20元札のデザインにもなった場所です。

この港から崖を少し上ると「老塞山旅館」があります。
テレビで紹介されたので知ったのですが、日本人のご主人と中国人の奥さんが
経営されている民宿のような宿です。
この宿の背後の山を登れば幾重にも重なる桂林の山々のその向こうに沈む夕日が一望でき
川から眺める山々より何倍も雄大な桂林に出会えるのです。
ご主人のお人柄もあって小さなこの宿に泊まられた方の評価はどれも最高。
また桂林に行くことができたら必ずここに泊まりたいと思いながら、この時は看板だけ見て
帰りました。しかしまた、今度という時はなかなか訪れませんねぇ・・・。

旅館のご主人は長年漓江のごみを拾い続け今も「ボランティアで大掃除」を計画中。
75,000人、ギネスブック登録できるほどのボランティアで大掃除をして「ごみを捨てない」
という意識改革を進めたいのだとか。地元の方に「林先生」と呼ばれるのもうなずけます。
いつまでもお元気で活躍していただきたいと思います。

桂林の鵜飼舟・中国の思い出

2016年08月04日 | 中国の想い出


漓江下りは、そそり立つ山と美しい水の流れ、岸辺に遊ぶアヒルの群れ
水の中で草を食む水牛など飽きることのない4時間の船旅でした。

終点陽朔に着くと桟橋には多くの物売りや笠をかぶって鵜を入れた籠をそばに
置いたいかにも絵になりそうな人がいる。観光客の何人かがカメラを向けると
モデル代の請求・・・え、これはアルバイト?

客船がもう到着しない夕方からが、本業の鵜飼の始まり。
竹を並べて反りをつけた舟を長い竿一本で操り、つないでいない鵜を泳がせるのが
桂林流の鵜飼らしい。
静かで素朴で桂林の風景に溶け込んだ絵のような光景でした。

桂林漓江下り・中国の想い出

2016年08月03日 | 中国の想い出


またまた、古~い想い出話です。

2004年大連に単身赴任中の夫の休暇を利用して以前からあこがれの桂林に行きました。
大連から飛行機で1時間の北京経由、1999年に初めての北京空港は大きな古びた倉庫のようでしたが
この時にはピカピカの新空港になっていました。
北京から桂林までは飛行機で3時間。
桂林のホテルに予約しておいた翌朝の漓江下りのチケットが届いていなくてひと騒ぎ。
ホテルのフロントは「まだ、明日のことだから」とのんびりしていて「ここは中国なんだから」と
なんとか自分の心に言い聞かせる事の多い事。


4時間の漓江下りは想像以上の素晴らしさに、私はカメラを構えて食事もそこそこ。
一組の日本人以外は外国人ばかりで、風景の説明も英語。私は「地球の歩き方」片手に
デッキでひたすらあたりを眺めていました。


日本の粽(ちまき)・中国の粽

2016年05月05日 | 中国の想い出


子供の日、我が家では昔から「粽…ちまき」と「柏餅」を買いました。
両方買うものと思っていましたが、つい最近聞いたところでは関東は「柏餅」
関西は「粽」なのだとか、私は中部地方なので両方となったようです。
どっちも好きだからいいのです。今年も両方買いました。

中国に滞在していた時、親しくしていた中国人から
「お母さんが粽を作るから食べますか?」と聞かれ「大好きです!」と。
しばらくして届いたのは竹の皮で包んだ、もち米にクルミ、ピーナッツ、シイタケ、
干ナツメ(?)、それに沢山の豚肉が入った大きな三角の「肉粽」でした。
そう、日本でも中国料理屋さんで見かけたことありました。
そして粽を食べるのは中国の昔、屈原の故事からと説明してくれました。
夕食に美味しくいただきました。

くるくる紐をほどくと、青い笹の葉の香りの中から白くて甘いお餅が出てくる
「日本の粽」あの中国人の青年とお母さんに出したらどんな顔するかしら・・・。

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