折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

京都の旅から帰って

2023年12月16日 | 京都


「宿の前から」
今日の絵は帰宅後に写真からハガキに描きました



先週の2泊3日の京都旅行からすでに1週間も過ぎ、改めて楽しかったこと困ったことなど思い返しています。

出発の3日ほど前に新幹線の割引切符を買いに名古屋駅へ行きました。切符を買った帰り道、バスに乗って名古屋駅を出発してすぐ新幹線の高架が見える所に出ると、窓に明かりがついていない新幹線がゆっくりと動く、夕暮れが迫った薄明かりの中でも黄色い車両はドクターイエロー! 幸運のドクターイエローに切符を買った帰り道で初めて会えたのですから、きっといい旅になるはずだと心の中で バンザ~イ! 


旅で良かったことは、ちょっと贅沢かと思いながら連泊したことです。おかげで2日目は全く時間に縛られずに動けたこと。自分が組んだ予定でも膝が痛くなったり疲れたとか、道を間違えるとか、予定通りにとは行かないこともでてきますが、2日目は夜までに宿に戻ればよいので気楽でした。出来るなら(お財布の都合がつけば)、これからも連泊する旅を計画しようと思います。そして見て回るのは午前と午後でそれぞれ1ヵ所だけに絞り予備の時間を多くとる。などともう次に出かける時のことなど考えています。



「愛宕街道 ベンガラ塗りの民家」


今回家を出るときは荷物を出来るだけ減らして、小さなリュックと小さなショルダーだけでした。この小さなリュックは肩ひもを収納すればキャリーバッグにもなってとても重宝。以前旅先でこのリュックを見かけて、ぜひ欲しいと今年ネットで買いました。お寺の堂内はもちろん段差のある場所や砂利道はゴトゴト引いては歩けないのでリュックとして背負って歩きました。2日、3日目は宿に荷物を預けて別の超軽いリュックひとつでテクテクと。この便利なリュックは少し重いですが、買って良かったです。


↑ 引いて歩く時は長くハンドルを引き出す。背負う時は中まで押し込める。


↑ リュックの時
サイドに収納されているカバーを引き出せば車輪も覆うことができる。



拝観料は寺院によって300円から1600円、いくつものお寺を廻れば・・・結構な額になりますが、手入れされた庭園や清々しい境内、トイレも使いやすくなっていますので維持管理に必要な事だと思いました。
仁和寺では庭園と壁画と両方の通し券を買うと手提げ袋をいただけて、薄くて軽くて持ち歩く椅子を入れるのに重宝しました。



2日目の厭離庵の散紅葉を手帳に挟んで持ち帰りラミネート加工して「しおり」完成!冬の間のお家時間には本を読もうと思います。そんな時この栞が役に立ちそうです。



帰って5日目に整形外科の定期検診があり、膝の写真を見て診察して「1年前とは変わりありませんね。過度に歩くのは良くないですよ」と。4万歩以上歩いて痛みはあっても腫れたり水が溜まったりは無い。私の中では散歩とストレッチしながらまだ歩き続けられる「無理は駄目でも膝は良くなっている」と、とうれしかったです。

いくつかは失敗もありました。一日目に着いたばかりの京都駅で反対側に出てしまったこと。大きな京都駅、反対側へ戻るのは大変でした。その他にも道を間違えて曲がったことが2度、宿の支払いはカードのつもりだったのにカードを家に忘れたこと。これにはかなり慌てましたが、何か所かに分けて入れた予備の現金で間に合いました。そのどれも何とかなって、振り返れば幸せな3日間でした。
思い返しては、私の中ではまだまだ京都の旅を楽しんでいます。

晩秋の京都へ(6)

2023年12月14日 | 京都

妙心寺 法堂と大方丈


龍安寺から妙心寺までバスに乗るほどでもないし、ここは若い時に友人たちと歩いた懐かしい道ですし想い出をたどるつもりで歩きました。「きぬかけの路」と呼ばれる金閣寺から龍安寺を経て仁和寺に至る2,5キロの道です。昔々は楽しく歩いた道ですが、今では歩道はあっても車がビュンビュン通る道を傷む膝をなだめながら歩くのはあまり楽しくはありませんでした。途中で赤いポストがあり、どこかで見たような気がしながら通り過ぎ・・・あとで気付けば計画を立てていた時にストリートビューで見た妙心寺への曲がり角のポストだったのです。そのまま通過して到着したのは仁和寺の仁王門の前・・・!


仁和寺の仁王門 二日前に来たばかりなのにまた来てしまった


ここから妙心寺南門まで行くにはどうしたらいいのか?と考えている時に目の前の信号で止まったタクシーは「空車」、神様か仏様のお助けかしらと思うほどの気持ちで乗りました。650円で運んでいただけて有難いことでした。



妙心寺
臨済宗妙心寺派大本山妙心寺は大きなお寺です。1337年花園法皇の勅願により創建され南北600m、東西550m 十万坪の敷地に36の塔頭寺院、敷地外に10の塔頭寺院があり。石畳の道で結ばれて周囲とは全く違う堅固な城郭のような雰囲気です。ただ寺院の間の細い道は地元の人の生活道路でもあるようで、通学の自転車が走っていましたし、「禁止」の掲示があっても犬の散歩の人も何組か見かけました。

「妙心寺 退蔵院」




塔頭寺院のうち拝観できる寺院が少ない中で先ず一番近い「退蔵院」へ。
特別展示「国宝 如拙の瓢鮎図」が模本とあるのはちょっと残念・・・・・。
方丈から見る「元信の庭」は室町期の狩野元信が作庭した枯山水庭園です。背後の緑と白砂の対比が美しい庭園、岩に飛んできたイソヒヨドリ?が可愛くてなんかいい感じ。窓の敷居に止まったり縁側に来たり・・・。
パンフレットに宮本武蔵がここで修行に励んだとあると、この柱も触れただろうかと私もなでてみた。



元信の庭



「立入禁止って書いてあるね」と小鳥さん。





もう一つの庭「余香苑」は850坪もある池泉回遊式庭園でこれは昭和の作、小さな滝や流れる水音が意外に大きく響いていました。

余香苑



妙心寺 法堂・大庫裏

法堂(はっとう)の天井画、狩野探幽の八方にらみの「雲龍図」を見たくて受付へ行くと「1時までお休みです」と。仕方が無いので仏殿や法堂、大方丈が建ち並ぶ威容を見上げながら小さなスケッチブックに…とても入りきらなかった。トップの絵です。
続いて寺院の塀に挟まれた石畳の道を描いてもうまくいかない。


ようやく1時になったのでスケッチは中止。

受付が開いて先ずは大方丈(おおほうじょう)へ。続いて大庫裏(おおぐり)へ。昔は何百人もの食事を調理配膳することができた広々とした台所でした。幅の広い板敷きの床が黒光りして、寒い京都の冬にも若いお坊さんたちが磨き上げてきたのだろうと、姿を想像してました。








続いて本命の法堂(はっとう)へ。
狩野探幽の天井画「雲龍図」案内の方の話では天井画の龍は中心に眼が描かれていて、見上げながらその下をひと回りすれば龍が動くと。確かに龍が上を向いたりうつむいたり…どの位置から見ても龍と目が合う八方睨み、不思議な感じでした。私が今まで見た天井画の龍のうちで一番の迫力だったと思います。堂内は撮影禁止のためパンフレットの写真です。




堂内には日本最古の梵鐘(国宝)が置かれてあり、ボタンを押すとゴーーンと録音された鐘の音が聞こえます。
法堂の外では新年を迎えるお供えの花の準備がされていて、その大きさは活けるというよりは組むといった感じで、もう12月だなぁと改めて思う風景でした。



お昼もだいぶ過ぎてお腹も減ったので宿のレストランでランチして預けてあった荷物を受け取り、さぁ 名古屋へ帰ろう!

JR花園駅から京都駅へ。
14:52発 京都行き、私が山陰本線に乗ったのは初めてかも。それに外国人乗客の多さにも驚きました。こんな早い時間に帰る気になるなんて、自分でも信じられないことです。


予定していた新幹線にはまだ時間があっても、お土産を買いに歩く余力はもうなくて、みどりの窓口で1本早い新幹線に変更してもらいました。京都駅も色々見たかったのに、家まで帰る力は残しておかなくちゃと諦めました。なんて情けないことだろうと思いましたが、ともかく無事に3日間過ごせたのですから良しとしなくては、なのです。
名古屋に着いたのはまだ薄明るい時間、家も無事、私も無事、ほぼ予定通り過ごせた良い旅だったと思います。
脚も痛かったし思った以上に疲れたけれど、工夫すればまだ一人旅も大丈夫だわって思えたことも大きな収穫でした。

スマホの歩数計では3日間の合計
28,8キロ  
45,537歩
膝も痛くなり筋肉痛も出るはずです。
帰宅して3日、ほぼ元に戻りました。

長い長い京都の旅にお付き合いいただき有難うございました。
これでおわりです。


晩秋の京都へ(5)

2023年12月13日 | 京都

龍安寺勅使門前の石段


京都の旅の最終日、宿に荷物を預けて身軽になって拝観し時間までに戻れる場所は・・・龍安寺から妙心寺へ戻り妙心寺隣の宿で荷物を受け取ることにしました。


龍安寺
昔々に修学旅行や友人との旅、バスツアーなどで何度か訪れた龍安寺。その頃も参拝者が多くて人の流れの中で「枯山水の庭、教科書で見たよね」と石庭を見て「吾只足知」の蹲を見て・・・という印象しかないのです。時間に縛られずに見られたらまた見え方も変わるかもしれないと期待して龍安寺に着いたのは9時ちょうど。参拝客はぽつりぽつりですが、もう修学旅行の少人数グループが何組か来ていました。石庭を観るために受付の庫裡へ行く路はすでに落葉を掃き集められていて、散紅葉の道を歩きたかった私はちょっと残念。受付の方によると「落葉の季節には早い方は7時半ごろから8時にはお掃除を始められます」とのこと。「境内は広いですからまだ散りもみじの残っているところもあるはずですよ」確かに庫裡に向かう石段には良い形に残っていました。



龍安寺山門


庫裡への石段


あけ放たれた方丈の南側に石庭・・・白い砂と緑の苔と15個の石、厳しくて少し暗い印象を持っていたのに今回は明るいお庭でした。土塀の向こう側に華やかな紅葉が有るからか、周囲に人が少なかったせいかもしれません。季節と時間と私自身の気持ちとで同じお庭も見え方が違ってくるようです。







この方丈の襖絵40面を細川護熙氏が描かれて一部が公開されていました。大きな襖に球を掴む龍、うねり叫ぶ龍、これほどの大作を描かれる方とは初めて知りました。案内の方が修学旅行の中学生に「昔 日本の総理大臣だった方ですよ」と説明されていました。非自民の細川内閣が発足して自民党が野党に転落、あの時の細川総理…ずいぶん昔になったなと思った私です。








方丈を出て鏡容池をひと回り。池の周りの紅葉が美しくて写真を撮ったりスケッチしたり・・・。





紅葉に囲まれた鏡容池(りょうようち)に水鳥




左側に池

池の中にある弁天島では職人さんたちが松の手入れ中、声をかけて落ちていた小さな松ぼっくりを記念にいただいてきました。


静かな早い時間にゆっくり時間をとれて本当に良い時間を過ごせました。



去るのが惜しくて隅の方でもう1枚
スケッチは禁止かもしれないと思いながら目立たないつもりの場所で。
スケッチしている先の道を時間と共に増えてきた参拝者が石庭を目指して通ります。


龍安寺からテクテクと旅の最後に妙心寺へ。
また次回へ。
つづく。




晩秋の京都へ(4)

2023年12月12日 | 京都

落柿舎 前の空き地から


鳥居本の街道から左に行けば瀬戸内寂聴さんがいらした「寂庵」、私は右へ折れて祇王寺へ。



祇王寺
平家物語では平清盛の寵愛を失った祇王が妹の祇女、母の刀自(とじ)と共に出家し入寺した所。
紅葉の散る音かさかさとが聞こえる庭に立って、当時はどんなに山深い所だっただろうかと・・・。



坂を上れば祇王寺


散紅葉に埋もれそうな草庵




祇王、祇女、刀自の墓と平清盛の供養塔が並ぶ(鎌倉時代)



厭離庵(えんりあん)
紅葉シーズンのみ公開され、今年は尋ねた12月7日が最終日でした。藤原定家晩年の小倉山山荘跡で百人一首を撰したところともいわれる。
住宅街の中にある看板を通り過ぎると分かりにくい場所と聞いていたので注意して間違わずに行けましたが、なるほどと思う…

住宅街の道から見ると庵への道はこんな感じ

進むと入口が見える











縁側に座りただただ 眺めていました。
今回は人の少ない所を選んできましたが、ここは公開最終日とあってか参拝者が思ったより多かった。と言っても皆さん静かで大きなカメラを抱えた撮影の方が多かった。



清凉寺
厭離庵から出て右に行くのをなぜか反対に歩いたらしい。しばらく歩いて見えてきたのは大きなお寺「清凉寺」。
方角がずいぶん違ってしまいました。せっかく来た清凉寺さんにもお参りしました。

清凉寺仁王門

清凉寺は源氏物語の光源氏のモデルとも言われる源融(みなもとのとおる)の山荘跡地に建立され、源融に似せたと言われる阿弥陀如来像はエキゾチックなお顔だとか。昔の人もエキゾチックなお顔に憧れたのですね。来年の大河ドラマは紫式部がテーマらしいのでここも人気のお寺になるのかも。



落柿舎

松尾芭蕉の弟子向井去来の別荘であり芭蕉も3度訪ねて滞在し「嵯峨日記」を著した場所。
NHKBSで落柿舎は南側の広場から観ると現代的な人工物がなく嵯峨野の風景が素晴らしいと言っていたので私も外からだけ見せていただきました。
道を間違えてしまい清凉寺から戻ったため1キロ余り余計に歩くことになり、もう膝が痛くて何とかたどり着いた落柿舎。前の広場に座り込んでスケッチ。それがトップの絵です。



落柿舎から野宮神社への途中には竹の路・・・大人気です!





野宮神社(ののみや)



野宮神社は、伊勢神宮に仕える斎王として選ばれた皇女が赴く前に身を清めた場所であり、源氏物語の賢木の巻で光源氏がお忍びで六条御息所を訪ねた場所でもあります。六条御息所は嫉妬深く生霊となって人を苦しめたのですが、今の野宮神社は縁結びの神様として若い人や外国人にも人気のようです。平日の3時半ごろ、参拝するための行列は鳥居の外まで続いていました。私も並びましたけれど。この鳥居は皮を付けたままのクヌギの木を用いられて「黒木鳥居」という日本古来の鳥居様式とのこと。

野宮神社から表通りに出て、バスで宿に戻りました。時刻は4時半。荷物を置いて早速大浴場で湯につかりながら目を閉じると鮮やかな紅葉が浮かんできて・・・とっても幸せな時間でした。

宿のレストランで定食を食べて2日目は終わり。

旅はあと1日、ブログは・・・2日くらい?かかりそうです。
つづく。


晩秋の京都へ(3)

2023年12月11日 | 京都

愛宕街道近くで


二日目の朝はどんよりとした曇り空。数日前の予報では快晴だったはずなのに・・・。
口コミの評判が良かった宿の朝食。お鍋で作るお豆腐も美味しくてご飯をお替りしてしまった。おかずが美味しければ御飯もたくさん食べたくなるババちゃんです。6時に大浴場の朝風呂にも入り、お腹いっぱい食べて準備OK!朝ドラも見ずに出発!



嵐山 大堰川(おおいがわ)の対岸左が小倉山


ホテルからバス停まで歩き嵐山まで行く。予定ではここで清滝行きに乗り換えるのですが、まだ早い時間の嵐山は人が少なく山々には霧が立ち登り、墨絵のような雰囲気です。ちょっと見なくちゃ、ちょっとスケッチしなくちゃ。予定時間より早い出発だったので時間はある。人もまばらな渡月橋を渡って川岸で小倉山辺りを描く。でも,描いている間に刻々と変わる雲や霧や一瞬の日差し。とても私には無理っ!と思ってふと見ると乗るはずだったバスが通ってゆきます。1時間に1本のバス・・・。




絵も失敗 バスにも乗り損ね1日無事に過ごせるかしらと・・・


次のバスの時間まで天龍寺あたりでスケッチしようと歩く。天龍寺塔頭弘源寺の前の看板に「竹内栖鳳と一門の特別展」とあって竹内栖鳳ならと観たくなってしまいました。本堂からの嵐山を借景にした庭園は嵐山屈指と説明にはありましたが,今にも時雨そうな空に借景の嵐山もぼんやりでした。お目当ての竹内栖鳳の絵は素晴らしかった。無駄のないタッチと色、そのものがとらえられたウサギやガチョウ、スズメも良かった。絵葉書は売ってないし「撮影禁止」がとても残念なことでした。帰ってから図書館で画集を探してみようと思いました。

予定より1時間遅れのバスに乗り、15分ほどで護法堂弁天前で下車。降りたのは両側が竹藪で車が通るだけでだぁれもいない道。
標識も無いけれどブロ友さんがブログに「駅からすぐ上に…」とか書いておられたので、竹やぶの間の細い道を行くとそこに「護法堂弁財天」の碑。静かな所です。坂を上って小さなお堂にお参りして、記念のスケッチ1枚。地図で見るとこのお堂の山の上は五山の送り火の一つ「鳥居形」がある場所らしい。かなり標高も高そうで遠くに京都の街がかすかに見える。



護法堂弁財天のお堂の前で


辺りに人影も無い中で描いていると、吹き出した強い風に竹藪がザワザしたりギューギューと音を立て、カラスが鳴く。そのうえパラパラと時雨、烏天狗が山から降りて来るのかしら等と想像するとちょっと怖い。まっ、烏天狗も熊もいないだろうけど猿とか猪とかは怖いなと絵具を片づけて出発。




ここから入ってくと「護法堂弁財天」の碑があった


弁財天のお堂


清水を受ける蹲




今回の旅で目的の一番は「嵯峨鳥居本伝統的建造物保存地区」。愛宕神社へ通じる愛宕街道に沿って茅葺の家と瓦屋根の町屋がが混在するのが魅力です。
小高い護法堂から降りるとすぐに空き家のような茅葺の家と白壁の蔵。ちょっと一枚スケッチ。それがトップの絵です。


いよいよ街道!





街道の左手にある石段を登れば化野の念仏寺、ここが外国人に人気の場所なのだそうです。確かに出会うのは外国人の方が多かった。今回は寄らないで通り過ぎ・・・





形の良い柿の木を小さなスケッチブックに。




昼食はこの茅葺屋根の「つたや」さんで。二間続きのお座敷に客は私だけでした
ここは一年中桜餅も名物なのでお土産に買いました(写真は忘れました)

「あゆ丼」子持ちあゆの甘露煮が御飯に乗っていて とても美味しかった
帰り道で出会った一人旅の女の方にもお勧めしました

店の土間には「白長弁財天」が祀られている

一の鳥居を挟んで手前が「平野屋」鳥居の向こうが「つたや」
写っている人達はここを集合場所にしているらしいアジア系の人たち



街道の中ほどにある「町並み保存館」の前で




街道を上の県道から見下ろしてみた。


お腹いっぱいになって、ここから嵐山まで歩きます。道路の案内には嵐山まで30分とありましたが、途中で祇王寺、落柿舎、厭離庵、野宮神社へ。


ここからはまた次回。

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↓ 宿の朝食 左上の鍋がフツフツすると豆腐が出来上がっている(美味しい)


つづく。

晩秋の京都へ(2)

2023年12月10日 | 京都

仁和寺五重塔


北野天満宮からバスに乗り御室仁和寺前で降りる。降りれば目の前に聳える仁王門。一瞬にして初めてこの門の前に立った10代の頃の感動がよみがえりました。友人たちと歩いてきて「着いた!道間違ってなかった」と喜んだこと、「仁和寺はいいですよ」と言われた恩師のこと・・・それにしても大きな門。右側の車用の坂道ではなく無理しても登って見たかった正面の石段、手をつきながら落っこちないようにゆっくりと・・・この石段も昔は何でもなかったはずなのに。



仁和寺仁王門


仁王門を見上げると



旧御室御所 世界遺産 「仁和寺」
888年宇多天皇によって建立され、歴代住職の多くが天皇家から迎えられたことから門跡寺院としても知られています。
応仁の乱・文明の乱から170年後、1641年から再興され、その後も新たな建物や庭が作られ御殿群建造物と調和のとれた「仁和寺御所庭園」として国指定名勝になりました。

仁王門をくぐり御殿入り口で拝観料(仁和寺御所庭園と金堂の壁画拝観共通券)を支払い靴を脱いで(これがなかなか面倒)御殿へ。広々として清々しい庭園や背後に五重塔が見えるお庭と重厚な御殿内部を見て歩く。その御殿の一角に今年10月竜王戦第2局が行われた部屋との説明がありました。藤井聡太さんと当時竜王の伊藤匠さんの戦いの場。高い天井と重々しい襖絵に囲まれた宸殿、ここに座るだけでも緊張して動けなくなりそうな場所で対局。棋士の精神力の凄さを想像していました。




御殿のお庭

御殿のお庭

こんなお部屋で戦われた竜王戦



ここから右手に見える五重の塔、真っすぐ進んで一番奥の金堂まではまだまだ歩かねば。
振り返ると仁王門。





五重の塔の西側には背の低い今は枝ばかりの御室桜が並んでいました。御室桜越しに五重塔をスケッチしてみたくてすぐ近くの観音堂へ。お堂の前には観音堂修復落慶記念と書かれた柱が立っており「この紐を握り真言を唱えてください」とありました。紐は観音堂の御本尊千手観音さまの御手につながっているのだそうです。ご真言は「オン バザラ タラマ キリク」。しっかり紐を握ってつっかえながらも唱えました。


紐を握り真言を唱える

五重塔をスケッチしていると(トップの絵)大きなカメラを持った地元の方が「ここから満開の桜越しの塔がいいですよ。ぜひ春にも来てください」と。私もぜひまた訪ねたいと思いました。




金堂まではずっとゆるい登り坂でまだ遠い。





金堂は国宝、1613年に造営された御所紫宸殿を移築したもの。
今回の目当ては5年ぶりに特別公開されている金堂裏堂の「五大明王壁画」(12月3日までの公開期間を延長されたようです)、370年以上非公開とされてきて普段は僧侶も蝋燭の明かりでしかみることができない場所です。薄暗い場所で非公開だったせいか長い年月が経ったとは思えないほど色も明王のお姿も柱の装飾も鮮かでした。説明役の僧侶が行ってしまうと1人残されて・・・ゾクッと。明王は邪悪なものが入ってこないように結界の役目もしているのだとか・・・私は明るい金堂の外へ。
↓ 普段は五大明王さまは暗い中で(パンフレットから)





五重塔の北側から経蔵がいい形に見えたのでスケッチ



その後は境内で期間限定のカフェでコーヒータイム。コーヒーの暖かさが沁みました。
倉を改造したカフェ・外では小さなマーケットも




冬の日は3時近くなると夕方の光です


仁和寺を出るころには膝が悲鳴を上げて、もう歩きたくないっ!と。時間はまだ3時でしたが明日のためにもホテルで休むことにしました。ホテルは妙心寺の隣なので仁和寺前からバスで5分ほどの妙心寺北門で下車。私は北門から南門までの距離がかなりあることを忘れていました。直線距離で600m、道は折れ曲がっていてホテルは南門のさらに東です。立派な妙心寺塔頭の並ぶ石畳の道をゴロゴロ荷物を引いてトボトボ歩く。時折自転車が追い越してゆくだけの道。ちょっと休憩していると手押し車を押した年配の女性が「こんにちは」と。「お散歩にはいい所ですね」と言うと「いい所ですけどね、松ぼっくりを拾いに来たのだけど落ちてないのよ」そう言えば松の木は沢山あっても松ぼっくりは落ちていないしほとんど枯葉も落ちてはいない。どこもきれいに掃き清められている。「スワッグを作ろうと思ってね。ドイツのクリスマス飾りよ。ご存じない?」と言われてスマホに収めた自作のスワッグなるものを見せていただいてやっと理解しました。作るのがなぜスワッグなのか聞こうとしたら「嫁がね~・・・じゃぁ、楽しんでくださいね」と言って行ってしまわれた。妙心寺の大伽藍と数々のお寺に囲まれた狭い道で、ドイツのクリスマス飾りの話、宗教も自由・・・日本はいい国です。


↑ 「正四位象山佐久間先生墓道」の碑

途中で出会った方
ここから南門はまだ遠い


へとへとになってホテルにチェックイン。早速4時過ぎの誰もいない大浴場で手足を伸ばしてヤレヤレ。こんな時間に入浴なんて、今までだったら考えられない事。夕焼けを待ってどこかのお寺の境内にいるはずなのに・・・気持ちよくゆっくりしながら歳を感じていました。
6時からの夕食を終え、翌日の予定をチェックして9時前には京都の1日目が終わりました。


夕食(私はアルコールなし)

つづく。




晩秋の京都へ(1)

2023年12月09日 | 京都

「御土居もみじ苑」の紙屋川沿いで



12月6日から8日まで晩秋の京都へ出かけました。観光客でごった返していそうな所はやめて、出来るだけ人が少なそうなところを探しながら、まだまだ残る紅葉を眺めては膝をさすって、一休み。ハイ イクヨッ!と身体に言い聞かせながらの旅でした。今日からしばらくそんな京都のブログが続きます。

京都在住のブロ友さんの記事に紹介される魅力たっぷりの京都、ぜひいつか行ってみたいと思っていました。今年の春には日帰りバスツアーで桜の京都へ行きましたが、ツアーでは行く先も時間も限られて気持ちに不満が残るばかり。それなら自分で企画して身体とお天気とお財布にも相談しながら、行けるだけ行ってみようと思いました。


6日の新幹線で京都駅に着いたのが8時半ごろ、京都駅からバスに乗り最初の目的地は北野天満宮。バスを降りると大きな一の鳥居が迎えてくれました。本殿までの間に天神様のお使いと言われる牛がそこここに置かれていて、心を込めて撫でながら歩きました。山門には掲げられたばかりだという大きな来年の干支龍の絵馬。











先ずは本殿に参拝して、その後は秋限定で公開されている「もみじ苑」へ。ここはブロ友さんのブログで初めて知った紅葉の名所です。本来は12月3日までの公開でしたが、電話で問い合わせると今年は10日まで延期となったとのこと。おかげで間に合いました。説明によれば「もみじ苑」は豊臣秀吉が洛中洛外の境界、水防のために築いた土塁「御土居」の一部が今も残り、自然林と植林されたもの約350本のもみじの名所「史跡御土居のもみじ苑」となったそうです。
天満宮さまの道真公の御歌には梅の他にも「このたびは幣も取りあえず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と紅葉も愛されたことからもみじの名所ともなったようです。ここは学問の神様ですので中高生らしいグループの他にも、日本人外国人共にレンタル着物で楽しそうな参拝客と様々でした。


名古屋を出た時は快晴だったのに京都へ着くころから黒い雲が流れて時折時雨。でも、苑内を回っている間に時折薄日が差すようになりました。陽を受けると紅葉は一層色鮮やかになり、どう表現したら伝わるか言葉が出ないほど美しい。黄色から橙、赤ととりどりの中を紙屋川まで降りて歩く・・・鮮やかな色に見とれて脚が痛いとか階段は苦手なんてことは忘れていました。時間が早かったせいか、人もそれほど多くなく・・・川沿いでスケッチもできました。



いよいよ「もみじ苑」へ

まだ十分に紅葉は残っていました

木々の紅葉と散紅葉と

下りの階段・・・降りると紙屋川の流れ

朱塗の「鶯橋」

川の沿いの山吹の黄葉も美しい

竹林にもみじ

その後は坂を上ってお休み所でお茶とお菓子をいただきました(入苑料に込)。お菓子は老松の和菓子ふのやき「北野大茶湯」。ゆっくり座ってホッと一息です。





想い出に境内の隅で1枚


空は晴れてきたし、さて次は・・・10代の頃に何度か歩いた想い出の道「きぬかけの道」をたどって金閣寺から龍安寺・仁和寺へと歩けたら良いのですが今の体力と人の多い人気の場所はパスして、バスで仁和寺へ・・・。
この後は次回に。



桜の京都へ(3)

2023年04月01日 | 京都

小倉池



竹林の道で遅くなった気がして休憩なしで急ぐとトロッコ嵐山駅に集合時間の40分も前に着きました。じっとしていては時間がもったいない。駅近くの小倉池を見に行き枯れ蓮と遠くに見えるきれいな桜をハガキにスケッチ。地図で見ると遠くのきれいな桜は常寂光時あたりのようです。
それからふと左手を見ると神社があるようで、行ってみました。そこは「御髪神社」とあり昭和36年創建の日本で唯一髪の神様をお祀りする神社でした。髪に悩みを抱える人や理容美容関係の方に崇拝されているとか。少々薄毛に悩む私は呼ばれたような気がして丁寧にお参りしました。そのあと神社横で記念の一枚。




御髪神社



最後はお目当てのトロッコ電車乗車です。トロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅まで7・2キロの観光列車で、私たちのツアーは途中のトロッコ嵐山駅から亀岡駅までの20分間の乗車です。5両編成の5号車は窓のない車両ですが私たちの席は窓にガラスがありちょっと残念。全席指定でこの日は満席。車窓の左側から右側へと変わる保津川の流れと萌え始めた周囲の山々と桜・・・美しい風景でした。



トロッコ嵐山駅・まだ皆さん集まっていない時間


トロッコが来た!


保津川

終点で下車すればこの日の予定は全て終了。後は順調に7時過ぎには名古屋まで帰ることができました。


春真っ盛りの観光地の人気スポットへ出かければ人が多いに決まっています。ゆっくり見たければ場所と時を考えないとと反省でしたが、嵐山から歩いてもかなり色々行くことができるとわかったのは大収穫。実際に歩かなければ今の私の足で歩けるかどうかはわからないことです。自由に歩きたいのならツアーではなく自分で・・・いつか行く旅の参考になりました。

今回のツアー参加者37名の内私と同じ1名参加は6名(内男性1名)、いつのツアーも1人参加さんは個性的な方が多くて、私の隣の席は多分60代前半の方。車中ではずっとスマホを操っているか居眠り。嵐山の自由時間も「50分も前に着いたので待ってた」とスマホ眺めて過ごされたようです。トロッコ駅で別の方は「今日はもう1万3千歩あるいた。あなたは?」と言われて歩数計を見ると「私は8800歩」「少ないわね」「私座ってスケッチしてたからね」と言っていると、いつもスマホを見ている彼女は「7000と少しだわ」と。そんな話に全く加わらずトロッコに乗っても座らずにバチバチ写真を撮っている方も。旅の楽しみ方も色々あっていいし、他人から見れば一番変わっているのは私だろうとも思います。
今回もコロナの影響はまだ続いていてバスの最前列(4席)は空席、これは決められたことではなくてお客様から「ガイドさんとの距離が近いから間をあけて欲しい」と要望があるからなのだとか。気になるなら乗らなければいいのにと私は思うのですが、人それぞれ、色々な考えもあるんだといろんな場面で思ったツアーでした。
何かと思うようにならないこともありましたが、ツアーを申し込んで1か月近く楽しみにした時間も含めて良い時間になりました。




これで「桜の京都へ」は終わります。
お付き合いいただきありがとうございました。

桜の京都へ(2)

2023年03月31日 | 京都

嵐山 渡月橋



3月28日絶好のお花見日和、出かけたのは京都日帰りバスツアーです。
出発して京都へ向かう1度目の休憩は高速道路パーキングエリア、ここは遠めに見てもトイレの前は外まで長蛇の列「次のパーキングまで我慢してください」とガイドさんは臨機応変、通過して次へ。ここでは割とスムーズでした。京都市内に入ればバスが走るのもゆっくりとなり最初の目的地清水寺へ向かう道路は大渋滞、1時間早く岐阜を出発した別のバスから「清水寺の駐車場から出る道が渋滞で動けない」と連絡があったとかで「このまま清水寺に行って渋滞に巻き込まれるとレストランの昼食時間に間に合わないのですが」とガイドさん。「清水寺はパスしてもいいですか?」の問いに皆さん拍手でした。私、ぜひ清水の舞台を見てみたいと楽しみにしていた場所があったのに・・・しかたがなかったです。昨年3月30日にも二年坂の近くまで行きながら込み合う様子に諦めて、今年はコロナも収まって外国からの観光客も増えて、なおの事無理でした。

清水寺をカットして次は嵐山へ。嵐山では1時からのレストランでの昼食を含めて自由時間は220分。集合は嵐山から徒歩30分ほどのトロッコ電車駅。清水寺をカットした分自由時間が増えました。



嵐山 桂川下流方面
ハガキサイズ


桂川の岸から渡月橋を眺めると橋の上は人がぎっしりの様子です。道もあふれるほどの人。ここも外国人が多い・・・日本人らしい人も含めてレンタル着物姿も多い。桂川にかかる渡月橋は歩くのもなかなかで、立ち止まって写真を撮る方が多いのも原因です。遠く外国から来て着物姿になったのですからしっかりポーズをとりたくもなるのも分かりますが・・・通れない。
桂川の中之島公園でとりあえずスケッチ。その時のスケッチなどは前回のブログ(1)で。


桂川と渡月橋
こんなふうに人が少ないと思うと突然大勢の人・人・人が押し寄せる


バイキングの昼食もそこそこにまた桂川の岸に出てスケッチ。
折り畳み椅子に座って描き始めると前を人が通るし立ち止まるし、時には「〇△×・・・」とにこにこ話しかける大柄な西洋人のおばさん。お連れの男性は親指でGoodサイン。私の返事はただ「ニッコリ」だけ。こんな時はいつも今度生まれ変わったら英会話勉強しようと思います。
スケッチは思っていたような絵とは全く違ってしまいましたが・・・嵐山に来た記録にはなりました。


ここから歩けばトロッコ駅までは30分と言われているのでその前に天竜寺へ。こちらは後醍醐天皇を弔うために足利尊氏が夢窓国師を開山として創建された寺です。嵐山を借景にした大方丈前の庭園と北門近くの百花苑に花の季節に行ってみたいと思っていた場所です。
この時期に禅寺の静謐な雰囲気などは望めませんが枝垂れ桜は満開、シャクナゲ、ミツバツツジ、ボケとまさに百花のお庭でした。(庭園拝観 500円)




天龍寺


ここから竹林の道を通り嵐山トロッコ駅へ・・・。
思い描いていた静かな竹林の道はまたもや大混雑の道。写真撮影があっちもこっちも。何度もポーズをとってにっこり微笑む前を横切るのもはばかられて立ち止まっては心の中だけで「早くして~」と。







有名な観光地の花見時、込み合うのは当然のこと。私もその中の一人なので仕方がないと思うより仕方がありませんでした。
その後は嵐山トロッコ電車に乗りました。
また次回(3)まで続きます。

桜の京都へ(1)

2023年03月29日 | 京都

嵐山屋形船乗り場
中之島から ハガキサイズ


東京へ出かけて2日置いて28日に今度は京都日帰りバスツアーへ。このツアーに決めたのは3月初め、以前から乗って見たかった嵐山トロッコ電車に乗れること、各種支援でかなりお安いのが魅力だからです。
ツアー料金9,900円ー全国旅行支援1960円ーポイント2,000円=5,940円 (トロッコ料金と昼食付)
行き先は清水寺と嵐山と嵐山トロッコ電車です。

28日桜はちょうど満開!暑くも寒くもない上天気(雨女の私でもかなわない晴でした)。
京都は猛烈な人出で予定通りとはいきませんでしたがそれなりに楽しんで無事に帰宅しました。ですが、帰りのバスで少しだけガイドさんが触れられた川下りの事故がテレビでは1人無くなられ1人は不明と大きなニュースになっていて、今日通ったばかりの場所なのに改めて驚きました。私の参加したツアーは嵐山駅午後4時5分発、亀岡駅までのトロッコ電車に乗車。線路沿いのはるかに下を流れる保津川を見下ろし川下りらしい舟を見ながら隣席の人と「今度乗ってみたいわね」などと話していたのに・・・あの時間は行方不明者を探す舟だったと思うのです。思い出せば12時過ぎに嵐山に着いて昼食時間まで河原でスケッチしていると上空をしきりにヘリコプターが飛び救急車やパトカーのサイレンが響いていました。満開の桜の取材か人出が多いので交通事故でもあったのだろうくらいに思っていたのにあれは転覆事故から1時間ほどの事でした。スケッチ中にも川下り用の舟が船頭さん4人だけを乗せて渡月橋をくぐって下の方に行きました。1艘は目の前に止まって船頭さん4人が何やら話し込んでいて、これからお昼休みの感じじゃないなと思ってみてました。お昼どころではなかったと思います。その時はまだ事故を知らなかったので目の前に観光客を乗せたボートが一面に浮かんでいて楽しそうな風景だと思っていました。



保津川(トロッコ電車から)3/28 16:13



川下りのスリルはあるけれど、安全は守られていると信じて乗るのです。原因究明は必要ですが・・・これで川下りが無くなってしまうのではないかと心配します。安全確保しながらせっかく続いた伝統の川下り続けていただきたいと思っていますから。

今回は私にとってはショックなニュースで、京都の旅は事故の話からになりました。
お亡くなりになられた方のご冥福お祈りいたします。
次回はいつものような京都バスツアーの記録になる予定です。




嵐山中之島公園から上流を望む
この日の一枚目、木も桜もポコポコと丸く重なって川にはボートがいっぱい、難しい・・・


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