日付がちょっと前後しますが
5月16日、桂川の残念石を見に行きました
残念石って、不思議な名前でしょ
築城などに使われるために切り出されたものの、いろんな理由で残念ながら使われなかった石のことです
大阪城や小豆島(石の産地)にたくさんあります
今回見に行ったものは、桂川の羽束師橋のすぐ下流にあります
この石は、本当は二条城の城郭になるはずでした
瀬戸内から船で鳥羽の港へ運ばれ、陸路で二条城に運ばれる途中に川底に沈んだとか
ほんま、「残念」やねえ・・・
草が生い茂ってて、川岸からは見えにくいので、橋の上から写真を撮りました。
川の中の、川下に向かって右端にあります

羽束師橋の下では「草津みなと 鱧(はも)海道祭り」というイベントをしていて
お客さんでい~っぱい

すぐ近くに「魚市場遺跡碑」がありました
ここ横大路左岸一帯には、京と難波を結ぶ草津湊があり、平安時代から大変栄えていたそうです
特に、魚市場はにぎわったとか
瀬戸内・和歌山四国の魚が船に積まれて
、淀川・桂川をのぼってきたんだって
特に「はも」は夏でも生きたまま運ばれたらしい
でも、鉄道が通って
京都駅近くに魚市場ができて、ここは衰退し、今その繁栄を示してるのはこの石碑だけです・・・

石碑の「魚魂」っていうのが、おもしろいね
ここより少し川上に、別の残念石があるとおとーさんが言うので、ついでに行ってみました
こちらは川から引き上げられて、間近に見ることができます
のみで削った跡もはっきり

川の中にある「残念石」も、引き上げられた方が幸せなんかなあ・・・
好天のサイクリング
、すっかり日焼けしてしまいました
5月16日、桂川の残念石を見に行きました
残念石って、不思議な名前でしょ

築城などに使われるために切り出されたものの、いろんな理由で残念ながら使われなかった石のことです
大阪城や小豆島(石の産地)にたくさんあります
今回見に行ったものは、桂川の羽束師橋のすぐ下流にあります
この石は、本当は二条城の城郭になるはずでした
瀬戸内から船で鳥羽の港へ運ばれ、陸路で二条城に運ばれる途中に川底に沈んだとか
ほんま、「残念」やねえ・・・

草が生い茂ってて、川岸からは見えにくいので、橋の上から写真を撮りました。
川の中の、川下に向かって右端にあります

羽束師橋の下では「草津みなと 鱧(はも)海道祭り」というイベントをしていて
お客さんでい~っぱい


すぐ近くに「魚市場遺跡碑」がありました
ここ横大路左岸一帯には、京と難波を結ぶ草津湊があり、平安時代から大変栄えていたそうです
特に、魚市場はにぎわったとか

瀬戸内・和歌山四国の魚が船に積まれて

特に「はも」は夏でも生きたまま運ばれたらしい
でも、鉄道が通って


石碑の「魚魂」っていうのが、おもしろいね
ここより少し川上に、別の残念石があるとおとーさんが言うので、ついでに行ってみました
こちらは川から引き上げられて、間近に見ることができます
のみで削った跡もはっきり


川の中にある「残念石」も、引き上げられた方が幸せなんかなあ・・・

好天のサイクリング

