暑い京都のサイクリングの続き
本法寺をあとにして、上御霊神社にむかいます
下御霊神社は以前ブログにも登場したし、何度も前を通ってるんですが、
上御霊神社は初めてです
ここもだ~れもいません(今日はずっとそうやな)
境内は応仁の乱勃発の地なんだって
1467年1月18日の早朝 (昔のことなのに えらく細かいことまでわかってるんやなあ )
この神社の森に、畠山長政が陣をしいたことから 応仁の乱が始まったんだそうです
今はそんな歴史がうそのように静かです
さて、今日最後の目的地 相国寺です
前にmokaちゃんと ここの美術館に 伊藤若冲展を見に来た時
ものすご~く並んだ記憶が・・・
今日は塔頭のひとつ、瑞春院です
「京の夏の旅」で特別公開中ときいて やってきました
残念ながら、中の写真は
さすがにここではもう一人見学の方(東京からだって)がおられて、いっしょに説明を聞きました
ここは水上勉の「雁の寺」の舞台(うんうん、とうなずいたものの、読んでない・・・ )
水上勉がここの小僧さんだった時はまだ子供で、襖絵が「雁」だと思いこんでいた
直木賞をとって久しぶりに訪れ、じつは孔雀の絵だったことを知り、びっくりした
ところが、以前は入れなかったその隣の御住職の部屋の襖絵が雁であることを知り、こんどはぞ~っとした・・・・んだそうです
その襖絵の 上田萬秋筆「雁の絵」 今尾景年筆「孔雀の絵」を拝見し、お庭を見て水琴窟の音色を聴き・・・
この水琴窟は、とっても有名らしい
すごく澄んだ音でした
六本木でこの音の録音が流れていたとかいうことです
いろんな解説をきけて、ほんとによかった
これで今日のサイクリングはおしまい と、出町柳に向かう途中、こんなのみつけた
「甲子役戊辰役薩藩戦死者墓」です
私のガイドブックには載ってませんでした
甲子役とは蛤御門の変、戊辰役とは鳥羽伏見の戦いのことです
これらの戦いで亡くなった薩摩藩士72名の合葬碑
大正4年に建てられたらしいから、ちょっと不思議やな
以上、9時半に自転車借りて午後2時に返すまで、いろいろ見て、お墓まいりもして、
駆け足の旅でした
あ~、暑かった~
そうそう、こんど「雁の寺」を読もうっと
本法寺をあとにして、上御霊神社にむかいます
下御霊神社は以前ブログにも登場したし、何度も前を通ってるんですが、
上御霊神社は初めてです
ここもだ~れもいません(今日はずっとそうやな)
境内は応仁の乱勃発の地なんだって
1467年1月18日の早朝 (昔のことなのに えらく細かいことまでわかってるんやなあ )
この神社の森に、畠山長政が陣をしいたことから 応仁の乱が始まったんだそうです
今はそんな歴史がうそのように静かです
さて、今日最後の目的地 相国寺です
前にmokaちゃんと ここの美術館に 伊藤若冲展を見に来た時
ものすご~く並んだ記憶が・・・
今日は塔頭のひとつ、瑞春院です
「京の夏の旅」で特別公開中ときいて やってきました
残念ながら、中の写真は
さすがにここではもう一人見学の方(東京からだって)がおられて、いっしょに説明を聞きました
ここは水上勉の「雁の寺」の舞台(うんうん、とうなずいたものの、読んでない・・・ )
水上勉がここの小僧さんだった時はまだ子供で、襖絵が「雁」だと思いこんでいた
直木賞をとって久しぶりに訪れ、じつは孔雀の絵だったことを知り、びっくりした
ところが、以前は入れなかったその隣の御住職の部屋の襖絵が雁であることを知り、こんどはぞ~っとした・・・・んだそうです
その襖絵の 上田萬秋筆「雁の絵」 今尾景年筆「孔雀の絵」を拝見し、お庭を見て水琴窟の音色を聴き・・・
この水琴窟は、とっても有名らしい
すごく澄んだ音でした
六本木でこの音の録音が流れていたとかいうことです
いろんな解説をきけて、ほんとによかった
これで今日のサイクリングはおしまい と、出町柳に向かう途中、こんなのみつけた
「甲子役戊辰役薩藩戦死者墓」です
私のガイドブックには載ってませんでした
甲子役とは蛤御門の変、戊辰役とは鳥羽伏見の戦いのことです
これらの戦いで亡くなった薩摩藩士72名の合葬碑
大正4年に建てられたらしいから、ちょっと不思議やな
以上、9時半に自転車借りて午後2時に返すまで、いろいろ見て、お墓まいりもして、
駆け足の旅でした
あ~、暑かった~
そうそう、こんど「雁の寺」を読もうっと