鉄鉢料理をご馳走になったあと、4人で大徳寺 瑞峯院へむかいます
ここは、室町時代、キリシタン大名として有名な大友宗麟が創建したお寺です
方丈の額は後奈良天皇の宸翰だそう
重森三玲によって造られた有名なお庭があります
方丈前の 独座庭
蓬莱山式庭園で、「独座大雄峰」という禅語から銘じられました
並んだ岩は、蓬莱山の山岳から半島であり
大海の絶え間ない荒波に洗われながら雄々と独座している
そういう、大自然の活動を現しているそうです
たしかに他の枯山水に比べて、砂紋がかなり高い・・・まさに荒波です
特別な熊手(?)でないと、こうはできまい
方丈裏の 閑眠庭
こちらは、「閑眠高臥して青山に対す」という禅語から
縦に4個、横に3個の石組が、実は十字架になっているんだそうです
中庭にあるキリシタン燈籠を背にしてみると、そう見える ということで、そうやって撮った写真がこちら
で、そのキリシタン燈籠がこれ
さきほどの独座庭は厳しさがあり、こちらの閑眠庭は静けさがあります
・・・・なんだそうです(by パンフレット )
ご朱印をいただきました
この瑞峯院の近くに、千体地蔵塚があります
実際は700体ぐらいだそうですが、これだけあると、なかなかの迫力です
室町時代から江戸時代にかけてのものらしいけど、大徳寺との関係はわからないとか
へえ~~~
またその近くにあった 平康頼の石塔
この人は、鹿ケ谷事件で俊寛と一緒に鬼界が島に流罪になった人です
で、この石塔と大徳寺の関係もわからないとか
え~~~
大徳寺の創建が1315年で、鹿ケ谷事件が1177年やからねえ・・・
まあ、わからなくて当然か
今日の観光はこれでおしまい
このお出かけで、父と母はほとんどエスカレーターに乗らず、階段を使っていました
二人の平均年齢は82歳(ブログ書いてる今日の時点では82.5歳)
いや~、すごいの一言です
私もまだまだこの二人と「京都でお食事」ができそうです
ここは、室町時代、キリシタン大名として有名な大友宗麟が創建したお寺です
方丈の額は後奈良天皇の宸翰だそう
重森三玲によって造られた有名なお庭があります
方丈前の 独座庭
蓬莱山式庭園で、「独座大雄峰」という禅語から銘じられました
並んだ岩は、蓬莱山の山岳から半島であり
大海の絶え間ない荒波に洗われながら雄々と独座している
そういう、大自然の活動を現しているそうです
たしかに他の枯山水に比べて、砂紋がかなり高い・・・まさに荒波です
特別な熊手(?)でないと、こうはできまい
方丈裏の 閑眠庭
こちらは、「閑眠高臥して青山に対す」という禅語から
縦に4個、横に3個の石組が、実は十字架になっているんだそうです
中庭にあるキリシタン燈籠を背にしてみると、そう見える ということで、そうやって撮った写真がこちら
で、そのキリシタン燈籠がこれ
さきほどの独座庭は厳しさがあり、こちらの閑眠庭は静けさがあります
・・・・なんだそうです(by パンフレット )
ご朱印をいただきました
この瑞峯院の近くに、千体地蔵塚があります
実際は700体ぐらいだそうですが、これだけあると、なかなかの迫力です
室町時代から江戸時代にかけてのものらしいけど、大徳寺との関係はわからないとか
へえ~~~
またその近くにあった 平康頼の石塔
この人は、鹿ケ谷事件で俊寛と一緒に鬼界が島に流罪になった人です
で、この石塔と大徳寺の関係もわからないとか
え~~~
大徳寺の創建が1315年で、鹿ケ谷事件が1177年やからねえ・・・
まあ、わからなくて当然か
今日の観光はこれでおしまい
このお出かけで、父と母はほとんどエスカレーターに乗らず、階段を使っていました
二人の平均年齢は82歳(ブログ書いてる今日の時点では82.5歳)
いや~、すごいの一言です
私もまだまだこの二人と「京都でお食事」ができそうです