京都検定合格めざして!

京都検定受検を口実に、京都のあちこちにいきます。2級は合格しました。v(^^)v

2024年の紅葉 その2 吉田山

2024年12月01日 20時46分37秒 | 旅行

知恩寺を出て、吉田神社を目指します

そのために、京大を縦断 

構内は、土曜日ということもあって人影は少なく

紅葉もイチョウも美しく

 

  

 

  

 

  

 

  

さて、京大を出て、東へすぐのところに吉田山

吉田山は神楽岡とも呼ばれ、古くから山全体が聖地と崇められてきました

859年、平安京の守護神として吉田神社が創建されました

 

  

 

  

吉田山全体に、多くの摂社・末社があります

吉田山には、昔おとーさんと何回来たかわからんくらいですが、その歴史については今回初めて知ったことがたくさんありました

 

本宮です

 

  

 

  

そして、その前にある直来殿には、日本酒の樽が奉納されています

 

  

本宮の写真が控えめで、お酒の写真がしっかりあるところが、いかにもおとーさんらしくていいです 

 

以前はたしか本物の鹿がいましたが、今はこんな鹿になってます

 

  

 

絵馬は、場所柄「京大合格!」が多かったですが

吉田神社はアニメだかなんかの「聖地」らしく、その関係の絵馬も少なからずありました

しかもイラスト入り 

 

御朱印をいただきました

 

  

 

ここから南に行くと山蔭神社

 

  

料理飲食の神様です

京都の有名料理店の名前はもちろんのこと

清水市、旭川、愛知県半田、能代市の料亭などの組合の名前もありました 

 

 

山蔭神社の手前には、菓祖神社というのもあり、その名の通りお菓子の神様なのですが、

残念、夕方が迫っていてそちらへ寄っていく時間がない 

 

  

 

 

続いて、斎場所 大元宮 

 

  

 

   

1484年創建で、重要文化財です

形は八角形で、その後ろに(ここからは見えないけど)六角形の後房がついてます

全国3132柱の神々がまつられており、ここに参拝すると全国の神のご加護が授かれます 

年に何回かは内院の参拝ができるそうですよ

 

 

 

この他、たくさんの摂社末社を通り過ぎ・・・

吉田山を東側に下りたところに見つけたちいさなお寺

東北院(とうぼくいん)です

  

 

  

説明を読むと、もとはなんと1030年に道長の娘の彰子によって建造されたもの

和泉式部も住んでいたという・・・

その後火災などで移転を繰り返し、今の地に移ったのが1693年

その時、和泉式部ゆかりの白梅も移されたとのこと 

なんだか、いま大河ドラマでやってるそのままの世界ですね 

本当に生きて活躍した人たちなんだといういことを改めて感じました

 

近くのおうちの屋根の上には鍾馗さん

  

 

  

さて、このあたりから急に観光客が多くなりました 

みなさんのお目当ては?   

続きます・・・ 

 

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2024年の紅葉 その1 知恩寺

2024年12月01日 11時33分22秒 | 旅行

寒くなってきました

京都は紅葉にひかれて観光客でいっぱいらしい 

そんな時にわざわざ行くことないよね…と言いつつ

お天気もいいし・・・ちょっとのぞいてみよか・・・と結局おとーさんとでかけてみました 

急に思い立ってのことだから、出発も昼を過ぎてからなので

急がないと日が暮れてしまう 

 

出町柳までの電車の中で

「吉田山ならすいてそうや。でも、せっかく出町まで行くなら、叡電に乗るのもええなあ」

なんて話してたんですが、出町に着いて叡電の出町柳駅の「人の山」を見ると

叡電という選択肢はあっさりなくなりました 

 

さて、出町柳から10分ほど歩いて、知恩寺です

紅葉を見に、ではありませんが、お参りです

 

 

1175年に浄土宗を開いた法然上人は烏丸今出川あたりの功徳院を一時の住まいとして、念仏の教えを説いておられました

1222年、法然上人が亡くなったとき、弟子の源智上人は、法然の「恩を知る寺」として「知恩寺」と功徳院の名前を改めました

その後、寺の場所は何度も移動し、現在の地に移ったのは1662年のこと

境内の多くの堂宇が重要文化財です

 

総門(1662建立)

  

ここから御影堂に向かって参道が一直線にあります

広い境内では、毎月「手づくり市」が催されています

大盛況なんだそうですよ 

 

 

御影堂(1756年建立)

  

お堂の中に、大念珠が2連吊るされています

 

 

 

円周110メートル、重さ350キロ、珠の数1080顆という大きさ

よく見ると、珠1つ1つにびっしりと文字が書かれています(たぶんお経?)

 

 

ここ知恩寺は「百萬遍知恩寺」と呼ばれます

百万遍ってこのあたりの地名になってますね

なんで「百万遍」なのか、私も初めて聞いた小学生のころ「なんでや?」と思ったのですが

 

1331年、大地震から疫病も流行し、後醍醐天皇が悪疫退散祈願を知恩寺の空圓上人に命じます

空圓上人は七日七夜、お念仏を称え続け、その数は百万回にも及び、

そして悪疫は止みました 

後醍醐天皇は感激して、540顆の大念珠を贈られました

その後、「百萬遍知恩寺」と呼ばれるようになり

大勢の信徒で数珠を回す、大念珠繰りが今も行われています

 

 

御廟・念字門(1731年建立)

  

鳥居風の門は「念」の字を模しているそうです

 

 

鐘楼(1703年建立)

  

 

  

国内では珍しい朝鮮様式の梵鐘

瑞雲や仏が描かれています

 

 

阿弥陀経石(1714年建立)

 

 

阿弥陀経全文が彫られています

こういう石板は全国に3基しかないそうです

反対側には仏様?が彫られています

  

 

実は、紅葉も美しかった 

 

  

なにか催しをしていたのでもないので

私たちのほかにはほとんど参拝客はいなくて、おかげでゆっくりお参りできました

御朱印をいただきました

 

  

 

ここから吉田神社を目指します 

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