京都検定合格めざして!

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2024年の紅葉 その1 知恩寺

2024年12月01日 11時33分22秒 | 旅行

寒くなってきました

京都は紅葉にひかれて観光客でいっぱいらしい 

そんな時にわざわざ行くことないよね…と言いつつ

お天気もいいし・・・ちょっとのぞいてみよか・・・と結局おとーさんとでかけてみました 

急に思い立ってのことだから、出発も昼を過ぎてからなので

急がないと日が暮れてしまう 

 

出町柳までの電車の中で

「吉田山ならすいてそうや。でも、せっかく出町まで行くなら、叡電に乗るのもええなあ」

なんて話してたんですが、出町に着いて叡電の出町柳駅の「人の山」を見ると

叡電という選択肢はあっさりなくなりました 

 

さて、出町柳から10分ほど歩いて、知恩寺です

紅葉を見に、ではありませんが、お参りです

 

 

1175年に浄土宗を開いた法然上人は烏丸今出川あたりの功徳院を一時の住まいとして、念仏の教えを説いておられました

1222年、法然上人が亡くなったとき、弟子の源智上人は、法然の「恩を知る寺」として「知恩寺」と功徳院の名前を改めました

その後、寺の場所は何度も移動し、現在の地に移ったのは1662年のこと

境内の多くの堂宇が重要文化財です

 

総門(1662建立)

  

ここから御影堂に向かって参道が一直線にあります

広い境内では、毎月「手づくり市」が催されています

大盛況なんだそうですよ 

 

 

御影堂(1756年建立)

  

お堂の中に、大念珠が2連吊るされています

 

 

 

円周110メートル、重さ350キロ、珠の数1080顆という大きさ

よく見ると、珠1つ1つにびっしりと文字が書かれています(たぶんお経?)

 

 

ここ知恩寺は「百萬遍知恩寺」と呼ばれます

百万遍ってこのあたりの地名になってますね

なんで「百万遍」なのか、私も初めて聞いた小学生のころ「なんでや?」と思ったのですが

 

1331年、大地震から疫病も流行し、後醍醐天皇が悪疫退散祈願を知恩寺の空圓上人に命じます

空圓上人は七日七夜、お念仏を称え続け、その数は百万回にも及び、

そして悪疫は止みました 

後醍醐天皇は感激して、540顆の大念珠を贈られました

その後、「百萬遍知恩寺」と呼ばれるようになり

大勢の信徒で数珠を回す、大念珠繰りが今も行われています

 

 

御廟・念字門(1731年建立)

  

鳥居風の門は「念」の字を模しているそうです

 

 

鐘楼(1703年建立)

  

 

  

国内では珍しい朝鮮様式の梵鐘

瑞雲や仏が描かれています

 

 

阿弥陀経石(1714年建立)

 

 

阿弥陀経全文が彫られています

こういう石板は全国に3基しかないそうです

反対側には仏様?が彫られています

  

 

実は、紅葉も美しかった 

 

  

なにか催しをしていたのでもないので

私たちのほかにはほとんど参拝客はいなくて、おかげでゆっくりお参りできました

御朱印をいただきました

 

  

 

ここから吉田神社を目指します 


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