母(94歳)に会いに行く。
家で弟家族が世話をしていたが、転んで足を骨折し、手術をしたが結局思うようには回復しきれず、
春先に介護施設に入所した。
6月初旬、そろそろ寿命が来ているようだと弟から連絡が来た。
母が最後に過ごした場所をこの目でみておこう、、、、
先週末新潟に行く。
一人でそっと行ってこようと思っていたが、弟が越後湯沢まで迎えに来てくれ妹も施設に合流した。
父が早くに逝き、ついこの間まで母は常に家の中心で堂々と君臨している存在だった。
もうまったく君臨するのにも飽きて、ただただ眠りこけていた。やっと肩の荷おろしたか。。。
すでに目を開ける力はなく、口をもごもごと動かすが感情の表現とは違うような気がした。。。。
弟や妹が「母さんネーちゃんがホッカイドーから来たよーー」と耳元で大きな声を出すが無反応。
母の傍らで久しぶりに姉弟三人水入らずの時間を子供の頃の思い出話に花を咲かす。
4-5歳のころ、
ブレーキのない三輪車でどこにでも行った。
親たちが田畑に行く近道にしている階段状の急斜面をフルスピードの三輪車で降り、下の田んぼに三輪車ごと頭から落ちた。
ある時はつづら折りの山道を三輪車でツーリング。
登りはこがずに押して行く。
帰りの下り坂の急カーブを回り切れず直線のドン詰まりに何度も何度も体当たりしながら降りるのが面白くて仕方がなかった。
春先は山遊び。雪解け水どうどう流れる川を見下ろしながら滑り落ちないように
忍者のように山肌にへばりつきながら生えている草や木の枝に命を預け一歩ずつカニ歩きで進む。
つかんだ草が抜けたり枝が折れれば川に真っ逆さま。
瞬時の判断の連続で生きて家に帰りつく。4-5歳のチビの日常。
9歳違いの弟も大体同じような事をしていたことを初めて聞いた。
母は知っていたのか、子供たちが命がけで遊んでいたこと。
三人でゲラゲラ笑いながら「自分の孫には絶対させられない!」と思うのが可笑しい。
聴こえているのかいないのか母は最後まで目を閉じたまま、15分の面会時間はあっという間に過ぎた。
「この家(一応本家だ)には自分が居なければ」と持ち前の正義感と意地で生きてきたように見えたが。。
母には長いこと口うるさく言われ続けたであろう弟の連れ合いの真奈美さんがここ10年そんな母を赦し、愛し、献身的に寄り添ってくれた。
弟が心から感謝していると言った。
母とはそりが合わず避け続けてきた身では感謝しかない。全く頭上がらず。
すっかりこの世のしがらみから抜け出した母は子供たち三人の笑い声を冥途の土産に旅支度を始めた。