2/4 早立春!
晴天が続く。空気が澄んで空が青い。
木の枝々に雪の花が咲き、ため息が出るほど美しい。
すべてを拒絶するほどの吹雪きを起したかと思えば、何喰わぬ顔をでこんな表情をする冬に心を鷲掴みにされる。
大分赤峰農場の親方赤峰勝人氏が昨年11月亡くなられて、早三ヶ月が過ぎた。
30年も前に著書「人参から宇宙へ」に出会い、「塩」がどれだけ大事な物かを教えられた。
その後北海道なずなの会を仲間と立ち上げ、毎年札幌講演会を10年くらい続けただろうか、、、、
その度に繰返し繰返しさまざまな実例を通して「塩」の大切さを伝えてもらった。
2010年の講演を空知生命塾・塾長の東出隆さんが文字に起して講演録にしてくれたものから抜粋してみる。
『塩の大切さを知ったのは昭和37年農業高校を卒業し豚を飼い始めた時。
子豚が白っぽくなり咳をして痩せて次々に死に、原因が分からず必死にあちこち訪ね歩いた、
「それは塩切れじゃ」と長年豚を飼っていたお爺さんが教えてくれた。
すぐに塩を与えるようにすると1週間で真っ白だった子豚がピンク色になって元気に走り出した。
人間も同じ、例えば夏バテは汗で身体の塩分が失われ体内のミネラル分が不足しだるくなる。
このとき水をがぶ飲みするほど体内の塩分ミネラル濃度は薄まりますますバテてしまう。
『塩』という字は土偏で出来ている。
植物は光合成によってミネラルを作り出し、その植物が枯れてミミズや微生物が食べて分解した物が土。
ミネラル溢れる土が雨水により川から海に流れ込み、海水となり、それを煮詰めた物が『塩』
動物も人も植物も塩(ミネラル)が無ければ生きる事が出来ない。
※昭和46年(1971)塩田法(塩化ナトリウム99%の化学塩のみを食用と認めるというもの)施行。
じぶんが食べるために海水を一杯汲んできて塩をつくっても法にふれるという厳しいもの。
近代化促進という名の下に日本中の海岸から塩田が消え、臨海工業地帯に生まれ変わる。
ミネラル分の含まれていない化学塩を食べるようになると、さまざまな体調不良が起こり
難病奇病が発生し、それに対応するべく病院が増え新薬が開発されるも根本解決を見ることは出来ないまま病人が増え続ける現状、、。
平成9年(1997)ようやく塩の専売制度は廃止され、海水から自由に自然海塩を作れるようになる。
1999年5月赤峰さんの循環理念に共鳴した団塊世代の三名が名乗りを上げ、大分県佐伯市の間越ハザコ海岸で塩作りが始まりました。
なずなの塩の誕生です。
70年近い百姓人生を信念で生き通した赤峰親方の愛のミネラルは
弟子達に引継がれて全国に広がり
毎月開催されてきた百姓塾で学んだ人々の心の礎となり、
赤峰農場の野菜を食べる私たちの身体にも日々組み込まれていくのでしょう。
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