日曜の午後、雪がまだ残る畑の奥の水源地を目指し蛇行して流れる川沿いを散策する。
早朝なら雪も固くて歩きやすかったろうに、、昼頃に思い立って出かけたので緩んだ雪にズボズボと足を取られながら3-4時間も遊んだ。
クロも川の中をジャブジャブ走ったり左右の山の中に上って降りて楽しすぎて嬉しすぎて、ヘトヘト。
鹿が山から下り、川を渡り、畑の中を歩き回った足跡が雪の中にくっきりと残っている。
日だまりのフキノトウはゲラゲラ笑って、福寿草もふふふと笑って、オオイヌノフグリまで小さな青い花を存分に日射しに向けていた。
ぼくらはみんな生きている
午後の森の中は静かで 小さな川の水の音と 自分が歩く音 時折鳥の声がするだけ・・・・
こんな場面で必ず思い浮かぶのは〈宮澤賢治の注文の多い料理店 序文〉の世界
以下〈注文の多い料理店 序 〉
わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、
虹や月明かりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風の中に、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのいです。
ほんとうにもう どうしてもこんなことがあるようでしかたがないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになることもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮澤賢治
じぶんのこころの中心にほんの少しこの世界をもっていれば
空腹も、寒さも、、そのほかの面倒なことも
あんまり大したことでは無いような気になるのがふしぎです。